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知的菜産の技術

2024.12.11 公開 ポスト

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まずは土作り?? どないしたらええねん仲野徹(生命科学者)

生命科学者・大阪大学名誉教授の仲野徹さんが、家庭菜園のワクワクを綴る新連載エッセイの第2回。これがなくては始まらない、「土」のお話です。

*   *   *

まず必要なものは、地面、土

pHメーカーで土壌のpHを測定中

家庭菜園を始めるにあたり、必要なものはいくつもある。あたりまえながら、なかでも最重要なのは地面、土地だ。幸いなことに、我が家の場合は十分にあった。都会、というほどではないけれど、そこそこ賑やかな商店街のすぐ近くなのだが、60坪もの「農地」を所有している。ただし、わたしではなくて、妻が、ではあるが。その土地で、過去20年くらいの間、同居していた母親が細々と菜園をしていた。なぜそんな土地、言ってみれば遊休地である、があるのかの話から始めたい。

 

いまから30年近く前の話だ。何軒かの借家が建っていた自宅裏の土地が、相続かなにかの事情で売りに出された。どうしてそんなことになっていたのかわからないが、幅1メートルほどの私道からしか出入りができないような土地だった。なにかを建てることすらできないのだから、買ったところで使い途はなかろう。しかし、もし訳のわからない人に買われて、おかしな因縁をつけられたらたまらない。それならと持ち主にお願いして、かなり格安でお譲りいただいた。と書くと、わたしが買ったみたいに聞こえるが、貯金がなかったから、代わって妻に買ってもらった。

そんな事情だったので使うあてがあるわけでなく、当時60歳くらいだった母親が畑を始めることになった。これは年寄りの健康維持にものすごく役だった。長い年月、家が建っていた場所である。ふつうに考えたら、土の状態が悪すぎてどうしようもないような気がする。けれど、幸いにも、そこそこの農作物は育っていた。

大地の五億年』(藤井一至著、山と渓谷社)という本がある。「土は生命のゆりかごだ!」文庫化の時に頼まれて、帯文にそう書いた。帯文の謝金をしっかりいただいているので、押し売り気味に誉めたりするとCOI(利益相反)に抵触するかもしらんが[順小1]、本当に面白い本である。土の質など、ずっとそこにあるままの状態でさして変わらないと思っていたが、まったく違う。元々の地域によって異なるだけでなく、状況によって生きもののように変化していくものなのだ。

母親は、自分が土壌の改良をしたと自慢していたけれど、それほど堆肥をすき込んだりしていた訳でもないし、怪しいところである。淀川が近くにあるので、大昔には川の土がけっこう流れ込んできていて、元来そこそこ土がよかったのではないかと推測している。ようしらんけど。

「新しいことを学ぶ」とはどういうことか

なにか新しいことを始めるとき、あるいは学び始めるとき、それに関係するものごとを覚えなければならない。この作業を楽しいと思えるかどうかが、うまく学べるかどうかの大きな分かれ道である。言うまでもなく、何かを学び始めるというのは、けっしてたやすいことではない。最初は、関係する言葉を根気よくひとつずつ覚え、その言葉が意味することをしっかりと理解していかねばならない。

今井むつみの『学びとは何か――〈探究人〉になるために』(岩波新書)は、タイトルどおり、なにかを学ぶというのはどういうことなのかをわかりやすく説いた好著である。この本のキーワードは「スキーマ」だ。「認知的枠組み」や「構成概念」などといった訳語があるが、[順小2]なかなか説明するのが難しい言葉である。昔取った杵柄じゃないけれど、現役時代に教えていた病理学――どのようにして病気が起きるか――にでてくる病態のひとつ、炎症を例にとってみよう。

炎症を学ぶとき、まず、その意味するところを覚えなければならない。そこには3つの重要事項がある。

感染や組織が損傷を受けたときに生じる反応である。

血液から生体防御に関係する分子が炎症部位にもたらされる。

原因となったものが取り除かれる。

これでおおまかなことはわかる。しかし、こんなお題目をいくら暗唱しても炎症という現象をイメージすることは難しい。もっと細かく炎症の実際を勉強あるいは観察でもしないと、しっかりと腹落ちした理解はできないのだ。スキーマというのは、さまざまな経験によって初めて身につけることができる、全体を理解するための枠組みだ。とはいえ、全体像を知らずに断片から全体像を組み上げるというのは、なかなかに難しい。

基礎から鍛える量子力学』(日本能率協会マネジメントセンター)という本を読んだ。「基本の数理から現実の物理まで一歩一歩」というサブタイトルに、「初学の編集者がわかるまで書き直した」というキャプションまでついている。たしかに、ていねいに説明されているのだが、内容は相当に難しかった。読み進めていくと、わからないところが出てくる。そんなとき、適当なところまで戻ってまた読み直す。水前寺清子じゃないが「三歩進んで二歩さがる」を繰り返して読み切った。

この本、前半は微分やら積分やら行列やらというように、内容は完全に数学である。それも、必ずしも関連付いている訳ではなくて、いったいなんのためにそんなことを学んでいかねばならないかがわからない。しかし、最後の方になって、そういった数学から導かれた内容――ハイゼンベルクの行列式とかシュレディンガーの波動方程式とか――で、量子現象を説明できることが理解できる。その段階になって来し方を振り返ると、ああそういうことだったのかと一気に視野が開けて、むっちゃうれしかった。これは、苦心の末にスキーマが身についたからこそだ。スキーマは歩いてこない、だから歩いていくのである。これも水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」からですけど、古すぎますかね。スンマセン。

基本は「pHの調整と堆肥のすき込み」と言われても……

何が言いたいかというと、「知的菜産」も、これと同じような作業であるということだ。いろいろなことがらについて、言葉だけでなくスキーマが身につかないと、勘所がわからない。知的菜産のより面白いところは、さらに、それを実地に、産物として確かめていけるところだ。

先に、さらっと「それほど堆肥をすき込んだりしていた訳ではないので」と書いたが、堆肥なるものが世の中に存在することすら知らなかった。なんやねんそれは、である。野菜を育てるには、土に肥料を撒いたらいいだけだと思っていた。言い訳になるが、堆肥って、農作業をしたことのない人にはほとんど知られてないのではなかろうか。家庭菜園の本を読むと、どれも、まずは土作りについて説かれていて、堆肥がとりわけ大事と書いてある。が、そもそも、土作りなどという概念すら持ち合わせておらんかったわ。

あかんがな。道が遠すぎる。基本、へたれな性格なので、こんなことでは野菜作りなど無理ではないかという考えが頭をよぎる。しかし、定年後は晴耕雨読とあちこちで豪語してきた手前、さすがに始める以前にやめるなどというわけにはいくまい。ちょっと勉強したら、土作りの基本は、pHの調整と堆肥のすき込みということがわかってきた。それくらいやったらちょろいがな。

もちろんこれも知らなかったのだが、一般的に日本の土は酸性に傾きやすいらしい。pHについてはさすがに知識があるぞ。酸性ならば、アルカリ性の物質を投入すればいいだけだ。中学生でも知っておるるわっ。土壌用のpHメーターを購入して、石灰を撒いて調整した。といえばスムーズに聞こえるが、そうでもなかった。溶液のpH測定は十分な経験があるが、土のpHの測定などしたことがない。土に水をまいて土壌用pHメーターをつっこむだけなのだが、どう考えてもええ加減である。そんなんでちゃんと測れるんか。それに、同じように石灰を撒いても、場所によってけっこう測定値がばらつくやないの。どないしたらええねん。

それぞれの野菜ごとに栽培に至適なpHが知られてはいる。しかし、野菜の育て方の本には、そのpHに合わせましょう、ではなくて、平方メートルあたりどれくらい石灰を撒きましょうという量が書いてあるだけだ。ここから、スキーマ的に何をどう読み取るか。おそらく、土壌のpHをきっちりと合わせるのは難しいに違いない。決めた、適当でいこう。横着だけれど、できないものを悩んでも仕方がない。知的菜産とかスキーマが大事とか、偉そうなことを言うわりには、我ながらむっちゃええ加減やけど……。時々、気休めのようにpHを測ってはいるが、そこそこの値にはなってるから、まけといたってください。

堆肥の歴史は肥料よりうんと長かった!

お待たせしました。いよいよ、堆肥とはなにか、である。広辞苑をみると「藁・ごみ・落葉・排泄物などを積み重ね、自然に発酵・腐熟させて作った肥料。つみごえ。」とある。「つみごえ」は「積み肥」、堆肥の堆の訓読みは「うずたかい」だから、同じ意味、単に作り方に由来する名称である。ふむ、家庭でも作ることができるらしいが、そんなもんまで作ってたら、どんだけ手間と時間がかかんねん。購入するしかないわ。

広辞苑には「肥料」とされているが、その作用は養分だけではなくて、土壌改良効果も大きい。というよりも、そちらがメインのようだ。ふかふかしてるので水分の保持がよくなって、肥料の成分も長持ちする。そのような働きで植物の生育を助けるのだ。えらいぞ、堆肥。しかし、こういうことを知ると、いつも不思議に思う。誰がどのようにして、そんなものを思いついたのだろうかと。ChatGPT様に聞いてみたら驚いた。

「堆肥の利用は非常に長い歴史を持ち、その起源は農業の歴史とほぼ同じくらい古いと考えられています。堆肥の使用に関する最古の記録は、古代エジプトやメソポタミア文明に遡ります。紀元前3000年頃には、これらの文明で堆肥を利用して土壌を肥沃にし、作物を育てていた証拠が残っています。」

肥料の歴史より、うんと長いんや。ホンマですか……。堆肥と肥料、知名度と歴史はまったく逆なんや。「農作、それは堆肥と共に歩んで来た歴史」とかいう宣伝文句をつけたくなってしまうがな。

ホームセンターで買ってきたバーク堆肥というのを使っているのだが、1平方メートルあたり、10リットルをすき込みましょうと書いてある。60坪のうち半分は果樹を植えてあるので、畑は約30坪、畝にしか撒かないのでおよそ半分として15坪、ざっと50㎡だから、1シーズンに20リットル入り約8キログラムが25袋で計200㎏、けっこうな量だ。入れると確かに土はふかふかになる。けれど、しばらくたつと元の木阿弥、畑はカチカチになっている。う~ん、これはあんまりよろしくなさそうだが、どうしようもないわなぁ。これより大量に堆肥を入れてもキリがなさそうやし。

土がよくなったかどうかは、野菜を育ててみないとわからない。しかし、たとえ育てたところで、比較対象がないのだから、結局のところ、本当にいい土かどうかはわからない。何種類か違った土作りをしての比較は不可能ではない。しかし、同じ条件で植えた隣り合った苗ですらずいぶんと違う育ち方をすることがよくあるくらいなのだから、土の良し悪しを判断するには、そこそこの規模の面積で比べる必要がある。面倒くさすぎるやん。それに、そんなに土地ないし。ということで、あまり凝ることなく、適当にpHをあわせるための石灰や草木灰を撒き、堆肥と肥料は多くの本に書いてある量の平均値くらいをすき込んでごまかしている。家庭における菜産では、これが限界とちゃいますかねぇ。言い訳ですけど。

現代人には農作業の経験がなさ過ぎる!

梅棹忠夫の『知的生産の技術』は1969年の刊行なので、「京大式カード」や「ひらがなタイプライター」の使用など、内容はさすがに古い。しかし、そういった個々の方法論は別として、そこに通底する考えは今でも十分に通用する。それは、この本が「知的生産の技術」についてのスキーマを教えてくれるからだ。今頃になってふと思ったのだが、この連載では、知的菜産についてのスキーマを手っ取り早く学んでもらうことを目的にしたい。

現在の日本人は農作業の経験がなさ過ぎではないか。少しやっただけで、農作業とか農業というものがどのようなものかがわかってくるのに。かといって、都会住まいで実際にできる人はそれほど多くはなかろう。だが、野菜を食べずに暮らすのは難しい。野菜についてのスキーマは身につけておくべきだ。自分の生命と健康のために。おぉ、こう書いたらむっちゃ賢そうやん!

と、自己肯定感マックスで、次回に続きます。

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知的菜産の技術

大阪大学医学部を定年退官して隠居の道に入った仲野教授が、毎日、ワクワク興奮しています。秘密は家庭菜園。いったい家庭菜園の何がそんなに? 家庭菜園をやっている人、始めたい人、家庭菜園どうでもいい人、定年後の生き方を考えている人に贈る、おもろくて役に立つエッセイです。

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仲野徹 生命科学者

1957年大阪・千林生まれ。大阪大学医学部医学科卒業後、内科医から研究の道へ。ドイツ留学、京都大学医学部講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、2004年から大阪大学大学院医学系研究科病理学の教授。2022年に退官し、隠居の道へ。2012年日本医師会医学賞を受賞。著書に、『エピジェネティクス』(岩波新書)、『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)、『考える、書く、伝える 生きぬくための科学的思考法』(講談社+α新書)、『仲野教授の仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』(ミシマ社)、医学問答 西洋と東洋から考えるからだと病気と健康のこと(若林理砂氏との共著 左右社)など多数。

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