速水健朗さんのポッドキャスト「これはニュースではない」と幻冬舎plusがコラボし、「80年代と90年代はどう違ったか。」が3回配信されました(ゲストは米澤泉さん。その1、その2、その3)。時事ネタ、本、映画、音楽について、膨大な知識を背景にしたウィットにとんだ切り口が人気の速水さんのポッドキャスト。その書籍版『これはニュースではない』も読み物ならではのおもしろさがあります。コラボを記念し、抜粋記事をお届けします。
迷惑系YouTuberと血盟団事件
「迷惑系YouTuber」というのは英語では「Prankster YouTuber」。
「いたずら」とか「悪ふざけ」を示す言葉。ちなみにスーパーマンに出てくるヴィランの名前もプランクスターだ。そうかヴィランか。
ちなみに「闇バイト」は英語で「パートタイム・ヴィラン」だ。というのは嘘。
ともあれ迷惑系YouTuberは、世界中で発生していて、日本だけが「寿司ペロリスト」に辟易しているわけではない。迷惑系YouTuber現象も闇バイトの増加も、世界で同時に起きているのだ。
ちなみに2017年の金政男のクアラルンプール国際空港での暗殺のその後の裁判の報道などを見て驚いた。犯人の若い女性は単にいたずらの動画撮影のバイトのつもりで参加したという。さして悪意などないまま、世界中のニュースが取り上げるレベルの暗殺者になってしまった。
こうした闇バイトを端から見ている分には、経済合理性を欠いた行動のように見えてしまう。つまり「時給1000円で命売ってるやつらはバカ」だということ。
だが、彼らには彼らなりの合理性があってやっている。まじめに働いたところで、やりがいのある仕事も一部の人にしか与えられないし、給料が増える未来すら見えない。社会の構造も、資源や財産は高齢者優遇だけが独占し、若者たちはひたすら旧弊世代に貢がされるのだ。
闇バイト問題は、一種の貧困問題だという声もある。本当にそうだろうか。日本の経済は、若年層の雇用問題として見れば、この10数年、ずっと好調をキープしている。人手不足で引く手あまたの売り手市場。安くて割りの悪い「闇バイト」に心を引かれる人々は、経済の状況が改善されても減らないだろう。
こうした話を考える上で、何かしらのヒントになるかもしれないのは、マリナ・アドシェイドというアメリカの経済学者が書いた本だ。
『セックスと恋愛の経済学: 超名門ブリティッシュ・コロンビア大学講師の人気授業』。この本が取り上げているのは、誰とでもやっちゃう女の子の話だ。
彼女たちの所属する社会階層を見ると、ハイクラスとロークラスにヤリマンが多く、中間層には少ないことがわかる。それはどのような理由からか。周囲から「あの娘はヤリマンだ」と噂が広がると、当人の社会的な評価が落ちる。自分の評判が就職や結婚に直結するミドルクラスは、ヤリマンだと思われないように生きている。だけどハイクラスとロークラスは、評判が落ちても自分の将来に影響はないと知っている。
ハイクラスは、将来もハイクラスでいられる保証があるし、ロークラスは、評判がどうであろうが、そこから抜け出せる可能性が低い。だからヤリマンになる。そういう話だ。
この仮説は、まさに闇バイトや迷惑系YouTuberが生まれる社会状況を考えるヒントになるのではないか。自分の評判が落ちてもかまわない。それが人生を左右することはない。つまり、「無敵の人」が生まれる構図。社会的な階層の固定化が「無敵の人」を生む。
そこまで当たり前の話だが、階級が上で「無敵」というケースもあり得る。例えばキム・カーダシアンがそう。彼女は、人気下着デザイナーであり、カニエ・ウエストの元妻であり、カイリー・ジェンナーの姉であり、インフルエンサーである。日本でも彼女は有名で、特に「Kimono」を商標登録しようとしたときに「文化的盗用」問題が炎上した。
キム・カーダシアンの有名人生活は、セックス映像の流出から始まっている。元々はセレブ一族ではある。O.J.シンプソン事件の弁護士である父とタレントの母、クリス・ジェンナーの娘。その後、パリス・ヒルトンの友人としても注目されていた。だがテープの流出で知名度が高まり、彼女の一家を追うリアリティー番組のヒットともに、全米きっての有名一家になる。階級が上で無敵の人である。
また、ドージャ・キャットだってアンダークラスでドラッグの売人だったところから出てきて、リアリティ番組を経てポップスターになった口。無敵の人と言うよりも、むしろ階級が下から上に突き抜けた人。一発逆転人生。彼女を「迷惑系YouTuber」と一緒にしてはいけないが、ロークラスの住人だったからこそ、彼女は上の階級に行けたということ。現代的なアメリカのセレブには、元から上の階級にいる人々と一番下から上の階級に行った人々の2種類がいるということ
先日(編集部注:2023年6月)、中島貞夫監督(1934〜2023)が亡くなった。『日本暗殺秘録』(1969年)の監督である。この映画は、井伊直弼の桜田門外の変から始まって、大久保利通とか安田善次郎といった人たちの暗殺シーンがオムニバスで描かれる作品。『仁義なき戦い』の原型となった映画の1つでもある。脚本はどちらも笠原和夫だ。この映画が痛快なのは、オムニバス形式にすることで、名場面集的なアクション映画になっているところ。かつての映画には、オールスターキャスト映画という分野があるが、本作も片岡千恵蔵、鶴田浩二、田宮次郎、高倉健らオールスターキャストを実現している。一方、この映画が不穏なのは、実際にこの国で起きたテロリズムを再現しているところ。政治的な不満が高まると、この国は、テロリズムでなんとかしてきたという歴史を持つ。多分、大化の改新くらいからの伝統だ。
映画では、血盟団事件が中心的なテロ事件として描かれていた。戦前の政治家の井上準之助と團琢磨が暗殺された1932年のテロ事件。この事件をきっかけに、愛国青年たちによる実力行使を容認する国民感情が生まれ、のちの二・二六事件、五・一五事件とテロリズムの連鎖が起きていくことになる。
先も触れたようなオールスターキャストの中でも、当時、若手スターとして台頭を現していた千葉真一が、この事件の実行犯の1人である小沼正を演じている。
血盟団事件は、複数の実行犯たちが「一人一殺」のキャッチフレーズを掲げて、1人が1人を確実に殺していくというもの。実行犯のグループには、彼のような極貧の農村出身の青年たちが多かった。彼らは、日本に貧困をもたらす政治家たちに天誅を下すという意図でテロに及ぶ。彼らの動機には、一発大きな事件を起こして英雄になりたいという願望があっただろう。他に、彼らのメッセージや立場を伝える手段があれば、テロまで起こす必要はなかったかもしれない。日本の歴史はテロリズムの歴史。現在の迷惑系YouTuberとも無縁ではない。
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【お知らせ】
米澤泉さんと速水健朗さんのトークは、音声と動画の両方を公開をしています。ぜひご覧ください。
「80年代と90年代はどう違ったか。その1」米澤泉さんと対談。雑誌『Olive』とハラカドの話。(音声/動画)
「80年代と90年代はどう違ったか。その2」米澤泉さんと対談。「世界の坂本」が90年代にいかに向き合ったか(音声/動画)
「80年代と90年代はどう違ったか。その3」米澤泉さんと対談。2人のキョウコの話。(音声/動画)
これはニュースではない
ライター・編集者・速水健朗さんによるポッドキャスト『速水健朗のこれはニュースではない』の書籍版からの試し読みです。