どんな作家にもデビュー作がある。
それが華々しいときもあれば、静かな船出であることもある。
いずれにせよ、みな、書き出し、書き終え、世に問いたい、と願ったのだ――。
<今回の執筆者>
麻耶雄嵩(まや・ゆたか)
1969年三重県生まれ。京都大学工学部卒業。大学では推理小説研究会に所属。’91年『翼ある闇 メルカトル最後の事件』でデビュー。’11年『隻眼の少女』で第64回日本推理作家協会賞、第11回本格ミステリ大賞を受賞、’15年『さよなら神様』で第15回本格ミステリ大賞をふたたび受賞。
先を考えていなかった「メルカトル最後の事件」
『翼ある闇』(講談社)でデビューしたのが一九九一年なので、ちょうど三十年が経った。一九九一年といえば、バブル崩壊、ソ連崩壊、湾岸戦争勃発などなど。当時大学生だった自分には、これから世界はどうなるのかといった緊張があった。世紀も変わり、ずいぶんと遠い昔のようにも、逆にまだつい最近のことのようにも感じられる。
デビューの契機は、京大ミステリ研の同人誌『蒼鴉城(そうあじょう)』に掲載した中編『MESSIAH』を改稿して出版しないかと、新本格の生みの親である編集者の宇山日出臣さんから声を掛けられたこと。まだ二十歳の頃だ。
それまで新人賞に応募したことすらなく、趣味で同人誌に書き殴っていただけなので、実感は何一つ湧かなかった。あれよあれよとデビューしたのだが、当初はプロになる思いは薄く、本を一冊出せただけで満足だった。まだ学生だったこともあり、そのまま作家として専業としてやっていくか、将来のことは決めていなかった。
先のことを考えていないのは、「メルカトル最後の事件」という副題にも現れている。ミステリ研内で書いていたシリーズ探偵の最後を書いたのだから、当然これから先に繋げようがない。結局、なんとか誤魔化しながら今なおメルカトルを登場させ続けてはいるが……。
大学にはだらだらと六年もいたので、次作の『夏と冬の奏鳴曲(ソナタ)』(講談社ノベスル)を書いたのも在学中だった。その時初めて、これからもミステリーを書き続けていきたいと、遅ればせながら実感した。卒業が迫り、モラトリアムの猶予が切れたというのもある。なし崩しで専業作家になったせいか、今もなおプロの実感が薄いというか、アマチュア気分が抜けない。
翻ってデビューした頃はもっと気楽なものだった。ミステリ研の仲間とミステリの話ばかりしていた。学内にあるサークルBOXに毎日のように入り浸っていたし、誰かの部屋で酒を呑んで夜通し饒舌な議論を交わすこともしょっちゅうだった。ミステリ研の例会の読書会や犯人当てにも参加したし、『蒼鴉城』にも寄稿していた。
要はデビュー前の生活と何ら変わらなかった。学生デビューで、プロとアマチュアのグレーゾーンにいたせいもあるだろう。どちらにも属し、どちらにも囚われない、楽しい時間だった。今が楽しくないわけではないけれど、学生特有の気楽さに囲まれて執筆していたのはあのときだけだった。貴重な体験だと思う。
学生時代と云うのは不思議なもので、時間だけはたくさんある。もちろん当時は実感なく、振り返って思うだけだが。ああしておけば良かった。もっとすることがあっただろう。悔いがなくもない。いくつか事情が重なったものの、次作が二年後になったのもその一つだ。
当時、新人作家はデビュー後三作は立て続けに書いた方がいいと云われていた。時間だけは豊富にあったのだから、会社勤めの兼業作家よりもたくさん書けたはずである。
デビューしてから卒業するまでの三年間。客観的には、無駄に日々を過ごしていたかもしれない。でもそれでいい。無駄に生きられたことこそが収穫だと今では思っている。
そのおかげで今も自分はプロとアマチュアの境界を楽しめていると。