物質や光などを極限まで小さく分けた最小単位を「量子」と呼び、私たちの身の回りにある物質は全てこの量子からできています。しかし量子には謎が多く存在し、そもそも量子が一体どのような姿をしているのかもわかっていません。教科書を開けば「量子とは波であると同時に粒である」という一見して矛盾した記述がされており、多くの学習者を悩ませてきました。量子の世界で、一体何が起きているのでしょうか。発売後たちまち重版となった『量子で読み解く生命・宇宙・時間』の一部を抜粋して紹介します。
生物の営みを支配する特別な物理法則が存在する?
多数の原子が結合した巨大な分子は、さまざまな作業を行う精密機械であり、その機能は、人間の技術が到底及ばない水準にある。
自動車のエンジンは、筐体内部で気化したガソリンを爆発させ、その勢いでピストンを押し出すことで移動のためのエネルギーを生み出す。
炭素化合物の分子に蓄積された化学エネルギーを利用する点は、生物の場合と共通するが、爆発によって運動エネルギーに変換するという荒っぽい過程を経るため、ガソリンに含まれるエネルギーのうち移動のために利用できるのは、せいぜい20~30パーセントである。
これに対して、バクテリアが移動の際に使う鞭毛は、エネルギー効率が遥かに高い。細胞膜内外でのイオンの濃度差を利用して、らせん状のフィラメントをプロペラのように回転させる分子モーターを駆動しているのだが、イオンの流れが持つエネルギーの90パーセント以上を活用している。
精密な分子機械を活用することで初めて可能になる生命の営みは、前近代の人々にとって、ほとんど理解できない代物だった。歯車やゼンマイのような巨視的な物体を組み合わせて駆動させる機械類は、たとえ最高水準の技術を駆使したものであっても、生物が実現する機能に遠く及ばない。
このため、19世紀頃まで、生物は通常の物質とは異なる法則に従うという生気論が、根強く信奉されることになった。
生命活動を支える量子論
現代では、こうした生気論を信じる科学者はいないだろう。生命活動が物理学によって完全に解明された訳ではないにしても、光合成や神経興奮における物質的なプロセスがかなりのレベルまで明らかにされ、生命が物質と同じ物理法則に従っていることは、ほぼ確実になった。
ただし、生命が従う物理法則は、「物体は加えられた力に比例する加速度で運動する」といったニュートン力学とは、本質的に異なる。ニュートン力学では、風紋の模様を作ることはできても、精密機械のように作動する分子を生み出すことはできない。
もし分子がニュートン力学に従うのなら、水分子が常に一定の形を保つことなどありそうもない。原子が押し合いへし合いしながら動き回っているのに、すべての力がうまく釣り合うようなメカニズムは、想像することも難しい。
いくつもの原子から構成される分子が安定な構造を維持し、複雑な反応を実現するのは、原子レベルの物理現象を支配するのが、量子論だからである。生物が示す複雑精妙な現象を説明するのに、生気論は必要ない。こうした現象は、量子論によって解明することができる(はずである)。
量子論は、生物であろうとなかろうと、原子レベルのあらゆる現象を支配する。
量子で読み解く 生命・宇宙・時間
2022年1月26日刊行の『量子で読み解く 生命・宇宙・時間』の最新情報をお知らせいたします。