「今年は夏が日本にこないんだよ。夏さんがこないと日本は夏にならないって」。アホで勇敢な、みっちゃんがそう教えてくれた――。懐かしい夏の空気が詰まった、大橋裕之さんのマンガ『夏の手』。解説は、高校を卒業し上京した頃から大橋さんのマンガが好きで、Netflix ドラマ『火花』の中でも「夏の手」という歌を歌っている、俳優でミュージシャンの渡辺大知さんです。渡辺さんの実感がぎっしり詰まった文章が魅力的です。
僕の心の中のみっちゃんに捧ぐ
『夏の手』の文庫化、おめでとうございます! そして解説のお話をいただけて心から 嬉しく思います。 久々に読み返して、改めて痺れました。 また泣かされてしまいました。
可笑しくて切なくて、かわいいんだけど力強い物語。 小さい頃を思い出して懐かしさにキュンとするというよりも、自分の中でずっと心に残り続けてたけど、カタチになってなかったものを引っ張り出されて、目に見えるもの にして、改めて肯定してもらったような、エールをもらったような清々しい気持ちになりました。
結局、子供の頃に大事にしていたものって、今も大事にしているものなんだと思えました。
それは、タケシくんたちが、一瞬一瞬を生きている瑞々しさに溢れているからなんだ ろうなぁと思います(僕がいつも泣いてしまうのは松崎さんにケータイ電話を借りた夜、 タケシくんが「みっちゃんと話したい」って思うところです。タケシくんの顔キラキラ してたなぁ)。
この物語は、いじめられているアホなタケシくんが、自分よりアホなみっちゃんと出会うところから始まります。そしてみっちゃんの「夏さんが来ないと日本は夏にならな いんだよ」という一言で、みっちゃんに魅せられた男たちが奮闘するというもの。 『スタンド・バイ・ミー』や『グーニーズ』のような少年たちの冒険モノと明らかに違うのは、やっぱりこの「みっちゃん」という存在がいることだと思います。
みっちゃんと出会わなければ、いじめられてたまんまだったかもしれない。みっちゃんと出会わなければ、思いっきり笑ったり泣いたりできなかったかもしれない。
みっちゃんとの出会いとはなんだったのか。
最初、タケシくんが会いたいと強く念じていると、学校にみっちゃんが現れます。実 は一緒の学校! しかもおんなじ学年!
最高のシチュエーションだ。 みっちゃんはアホでクレイジーだけど、誰よりも真っ直ぐで、スーパーカッコいい女の子です。ひとが嫌がることに全くひるまず、気になることにとことん向き合う。
タケシくんをいじめていたマサオくんもユウタくんも、ウンコ事件をきっかけに一瞬 でみっちゃんの魅力に引き付けられます。 そして読者である僕も、一瞬でみっちゃんに恋をしていました。
そのみっちゃんが入院してしまったと聞いたら、そりゃいてもたってもいられなくな ります。そして少年たちはみっちゃんのために一世一代の冒険に出る......!
自分が見てみたいとか、楽しみたいという気持ちを越えて、誰かのために行動できる 時というのは、ものすごいエネルギーが生まれるんだなぁと思いました。
もしかしたらひとはみんな、普段からそうやって生きているのかもしれない。もしく はそう思わせてくれるひとを探しているのかもしれない。
この物語の少年たちに限らず、みんな、みっちゃんのようなひとが現れてくれるのを待っているのではないかと思います。
みっちゃんと過ごす時間というのは、「こんな友達がいてくれたらいいのに」の結晶 のような時間。 みっちゃんは心の中のアイドルであり、ヒーローなんだと思います。 だから、自分自身を救ってくれたヒーローのために、自分自身を鼓舞していく。これ は一口に恋とも言えない、恋を越えた感情です。というか、恋のようで、もはや恋から めちゃくちゃ遠い感情かも。
久々に読んで、一番心に刺さったのは、「どうやらぼくたちは夏が来てないのに勝手に夏をすごしてたみたいだ」というフレーズです。
このフレーズを読んだ時、僕がなにも考えず当たり前に過ごしていた時間が、生きて動いたように感じました。
暑い季節を夏と呼ぶなら夏でいいし、夏じゃないなら夏じゃなくていい。概念はどうでもよくて、「すげー暑いなー」「暑かったなーあの時」という実感が全てである、と言 われているみたいでした。そう考えれば、今までの時間もただ過ごしてたんじゃなく、 ちゃんと生きてたんだなと思えて、救われた気になりました。 「実感」があるってすごく大事なことだと思います。
そこで、『夏の手』というタイトルについて考えてみました。 そもそもこの物語はSF的な突拍子もない展開をしていきます。でもそれは決して現 実世界とかけ離れたものではなく、自分の生活の半径5メートルくらいの距離で書かれているような、名付けるなら「小SF」だと思う。
小さい頃って、家とか学校とか、駅までの道とか、近所の公園とか、登りやすそうな崖 とか、隠れられる溝とかが世界の中心で、それ以外は全部未知の世界だったと思います。 『夏の手』はその知ってる世界と、勝手に作り上げた未知の世界とのバランスがとても 気持ちよくできている。 ケロ島とか、聞いたこともないような島が出てくるんだけど、なぜか「わかる!」と
思わせる説得力があります。子供の頃に誰もが描いた妄想を、そのままのカタチで見せ てくれているみたい。
僕は小学生の頃、「学校の裏の森のほこらに、(ポケモンの)セレビィがおるらしい」 と聞いて真面目に信じて、友達と虫取り網を持ってセレビィを捕まえに行ったことがあります。
なんかその、非現実なのに現実にある感じというか。
そんな「小SF」の子供の妄想のような物語を、触れられるような「実感」のあるも のにしてくれたのがタイトルの『夏の手』という言葉だと思います。
夏に手が生えてる感じ、夏に掬われている感じ、とも取れるけど、「夏を過ごした手」という意味合いの感じが僕にはしっくりきました。 汗をかいてジワリと滲む、てのひらの汗。 鬼ごっことかして、友達にタッチした時の温かさ。 川の苔、土手の土、ウンコを触ってしまった時のあのヌメッとした触感。 そして蝉の声、木の匂い。ひとんちのご飯の香り。夕暮れの生温さ。 読み終えて本を閉じ、ふと表紙のみっちゃんのウンコにまみれた顔を見ると、自分の、手で、この一夏の冒険に触れることができたような「実感」でいっぱいになった。 そこで、「ああ、僕は生きているんだ」と思うことができた。
もしかしたらみっちゃんという存在も、いたかもしれないし、いなかったかもしれな い。でも確実に少年たちの心の中で輝いているひとなんだと思いました。そこには強い 「実感」がある。
だからみっちゃんと出会ったことのない僕の心にも、みっちゃんはキラキラと存在してくれて、勇気を与えてくれた。
みっちゃんがタケシくんたちの記憶を無くした時、ものすごく寂しいけど、なんだかタケシくんたちが少し成長したように見えました。
これからはみっちゃんと会えなくても生きていかなきゃいけないとタケシくんたちは考えたと思います。でも冒険を経て強くなった少年たちは、「なんだかそれも乗り越え られそうな気がする! だって心の中にみっちゃんはずっと輝いてくれているから!」 と、そう言ってるように感じました。
久々にタケシくんたちに会えて、僕もほんの少しだけ成長できたような気がします。
実は、僕は Netflix のドラマ『火花』という作品の中で『夏の手』という歌を歌わせてもらっています。
大橋さんに初めてお会いした時に伝えさせてもらいましたが、はっきり言ってインスパイアされています。というか、「大橋さん好き」をアピールしたかったのもあります。
初めて大橋さんの漫画を読んだのは高校を卒業してすぐの春、上京したばかりの時でした。
作品は『音楽と漫画』です。 自分は日頃から、曲を作る時、その曲から「匂い」を感じさせたいと思っています。 イメージですが、その曲に漂っている気配とか、空気とか、時間に色を塗りたいと思っています。まさに大橋さんの漫画には、自分がしたかった感じというか、匂いに色がついてるような感じがして、嬉しいし、憧れだし、大好きでした。
今もずっと、自分が音楽を作ったり、映画に出たりしていく時、常にこの感覚を大事にしています。
この『火花』での『夏の手』という曲は、恋なのかなんなのかわからないけど自分を突き動かしてくれた夢の中の女の子にもう一度会おうと頑張る、という歌詞をつけました。
大橋さんの漫画の中のみっちゃんではなく、僕の心の中のみっちゃんとはどんなひとかを考えてみました。
そして子供の頃の自分を思い出すのではなく、今の自分にとってのみっちゃんに捧げる歌が作りたかった。
僕がもう少し大人になっても僕の中のみっちゃんはずっと心に残っているだろうか。 いるかもしれないし、いないかもしれない。 いなくなっていたなら、自分の中で何かが変化したってことなんだろう。 確認のために、また定期的にタケシくんたちに会いたいと思います。
─────ミュージシャン・俳優
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