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文化系ママさんダイアリー

2009.10.15 公開 ポスト

第四十回

「オムツが一日で外せるって本当ですか?」の巻堀越英美

※徹頭徹尾ビロウな話なので、お食事中の方はご注意ください。

2歳2ヵ月になり、最近とみに口が回るようになった我が子。保育園の帰りに犬の鳴き声を聞けば、「あ、ワンワン。ボクゥ、おさんぽにいきたいよぉ」と犬語を翻訳してくれるまでになった。1歳半の頃に「“ママ”が言えない」と不安がっていたのがウソみたいである。

すっかり誇らしくなり、「孫、どうよ」的な心持ちで帰省したみたところ、母にこう言われた。
「いろんなことを言えるようになったのに、肝心なウンチやオシッコは教えてくれないのねえ」

 

そうなのだ。未だにウンチもオシッコも紙オムツの中に垂れ流し。出たあとも報告してくれることはめったにない。一応、オムツを替えるたびに「出る前に教えてね。出たあとでもいいから」と釘をさすものの、効果はない。そのくせ、悪さをして叱ると「ウンチ出た!」とウソをついて母の気をそらす作戦に出るからタチが悪い(たまに本当に出ているからなおタチが悪い)。言語を操り、さらには人を欺くという犬猫にはなしえない知的営為が可能になったのに、なぜ犬猫にできるトイレができないのか。

一般に、紙オムツの子はオムツが外れるのが遅いと言われる。紙オムツの着け心地が良すぎるせいだ。だからトイレトレーニングといえば、紙オムツの代わりに「トレーニングパンツ」というものをはかせて、ウンチやオシッコをしたときの気持ち悪さを体感させるところから始める。もらしても体が冷えることなく、衣服の被害も少ないので、夏に始めるのが効果的らしい。保育園でも夏あたりに、トレーニングパンツを用意するようにとの通達があった。だからある程度、保育園でトレーニングを受けているはずである。ところが私が面倒くさがって家でのトレーニングを怠ったせいで、成果はまったく上がっていない。なんだ私が悪いのか。でも、帰園後はとても子のトイレに張り付いている余裕はないし、休日は子連れで外に出ることが多いし、子の遊び場(兼私の仕事場)は畳だし……。

「私は専業主婦だったから、じっくりあんたたちを見られたおかげですぐにオムツを外せたんだけど。あんたは働いているから難しいかもねえ」と、母が追い打ちをかける。対抗意識が働いたわけではないが、「オムツ外れるとラクになるわよぉ」という言葉がダメ押しとなって、トレーニングを始めてみようかという気になってきた。ラクなのはいいことである。成功しなくてもダメ元。成功すればオムツ代も節約できる。

2ちゃんねるのトイレトレーニング関連スレッドをのぞいてみる。するとちょうど、『一日でおむつがはずせる』という本が話題になっていた。一日で? 平日バタバタしている私にはピッタリだ。しかし離乳食に並んで育児の最大難所と言われるトイレトレーニングが一日で終わるなんて、そんなうまい話があるのだろうか。なんでもアメリカの心理学者が提唱するトイレトレーニング法をまとめた書籍で、日本語版の初刷は1984年。現在は絶版となっている。ネットでの評判を読む限り、効果は絶大であるらしい。地元の図書館の蔵書を検索してみたが、予約がいっぱいでしばらく借りられそうもない。連休中日である今朝は10月だというのにポカポカして暖かく、今日を逃したら来年の春夏までトレーニングはできないかもしれない。検索でひっかかった要約記事を斜め読みして、うろ覚えのまま挑戦してみることにした。

何しろ一冊の本が書かれるくらいだから決まり事はいっぱいあるはずだが、要はジュースをいっぱい飲ませてオシッコを近くし、いつでもおまる(トイレ)に連れ出せるように1日中子供に張り付いて、うまくいったらおやつをあげなさい、という主旨らしい。子供がトレーニングに集中できるようにおもちゃや絵本は隠しておかねばならず、もちろんテレビもダメ。家事はおろか電話がかかってきても出てはいけない、と徹底している。家事を夫に頼み、起き出してきた娘にトレパンをはかせて、さっそくスタートである。

しかし……おもちゃも絵本もテレビもないのに部屋に娘と2人きりという状況が、こんなに座持ちがしないとは。定年後の夫婦のようだ。トイレの話を言い聞かせて時折野菜ジュースを飲ませ、定期的にパンツをチェックするほかは、オシッコのサインを見逃さないよう娘の顔色を伺うしかない。変化を見逃さないように何かを見続ける仕事って、つらいんだなあ。ドモホルンリンクルのCMの人を尊敬してしまう。ついに私のほうが観念して、絵本とブロックを解禁。しかしミロを牛乳に溶かしている間に、ウンチとオシッコを無言でやらかしてしまったようだ。まあ1度は仕方がない。しかしその後、昼までに5回続けて失敗してしまった。いずれもティッシュの予備を取りに行ったときなど、一瞬の隙をついての出来事である。半日顔を見続ける作業、完全にムダ。子供用椅子を伝って床にしたたり落ちるドモホルンリンクル、じゃなかった尿を見ていたらイライラが臨界点を突破して、メッタメタに叱ってしまった。娘はギャン泣き。トイレトレーニングで叱るのは御法度なのに。これがトラウマになって、おまるから逃げるようになったらどうしよう。

見かねて娘に紙オムツをはかせようとする夫にも、「ここでオムツはかせたら今までの苦労が水のアワじゃん!」と軽くキレてしまう。すっかりしょげきった顔で黙々とブロックを積み上げる娘を見ていたら、じわじわと罪悪感がこみ上げてきた。人間がデキている夫が娘をそっと自分の部屋に連れていってくれたので、1人反省会である。母の都合でパンツをはかされ、いつもようにオシッコやウンチをしたら怒られるというのは、娘の身にしてみれば大変に理不尽な話である。あのままではうまく行くはずがない。何度言い聞かせても便意・尿意を教えてくれないのは、ウンチとオシッコという言葉が指し示すところの概念を、完全には理解していないのではないか。もう一度トレーニング法を確認してみると、人形にオシッコの実演をさせ、それを子供と一緒に褒めてやるところから始めるとある。言葉で言えばわかるだろうと省略してしまったが、幼児には必要な段取りだったのかもしれない。また、失敗したときのことを振り返ってみると、4度は私が目を離した隙だったが、2度は自ら母の元を離れ、こっそりもらしている。私の前でするのがイヤなのだろうか。とすると、娘が私から離れようとするのが、まさしくオシッコサインなんじゃないか。

作戦を立て直し、午後はぬいぐるみの股間にスポイトを添え、おまるでオシッコを出す姿を見せるところから始めた。ぬいぐるみにごほうびのおやつを与えるように促すと、娘がパクリ。「●ちゃんがここでオシッコしたら、もっといっぱいおやつがもらえるんだよ」。このやりとりがきいたのか、しばらくすると「オシッコする」と自ら言い出した。おやつ目当ての虚言の可能性が高いが、おまるに座らせてみる。案の定、いっこうにいたす気配がない。まあいいや、オシッコするまで座らせておこう。できたら褒め称えればいいのだ。いいかげん、口で諭すのに疲れた。思いっ切り、何にも考えずに褒めたいのです。さあ早く、私の子褒め欲を満たしてちょうだい、と野菜ジュースをじゃぶじゃぶ与える。

「ヤダモウ! おこるから! ダメ! ←おかあしゃんのマネよ! ギャハハ!」

……トラウマを心配した私がバカみたいである。怒る母を真似て1人でウケるという座芸をひとしきり繰り返したあと、おまるごと後ずさりし始めた。お、これはオシッコのサインかも。ここで私が追いかけると我慢してしまう恐れがあるので、目の端で動向を確認しつつ、本を読むふり。待つ事しばし、ついにチョロチョロ音が。

「出た~!」
「やった! すごい! すごいね! ●ちゃんサイッコー! 天才! お父さんもお母さんもジイジもバアバもワンワンもくまさんもみんな大喜びよ~!」

長く暗い夜のあとにさす暁光はひときわまぶしい。後にも先にも、人の尿でこんなに喜ぶことはないだろう。先ほどとは一転、心からの賛辞を全方位から投げかけられた上に野菜せんべいを2枚与えられた娘は、たいそうご満悦である。一気におやつを食べ尽くし、「おやつ、もうおしまいね」と名残惜しそうに言う。

「次、おまるでできたらビスコあげるからね」
「ビチュコ!?」

娘の目の色が変わった。ビスコは双方の実家に帰ったときにだけ、それぞれの祖母が出してくれるとっておきスイーツ。持って帰りなさいと義母からいただいたものの、このおいしさに慣れたら小魚こんぶなどの我が家の貧乏くさいおやつを食べてくれなくなると思い、こっそり隠しておいたのだ。ビスコの甘い誘惑に、自らパンツを脱いでいそいそとおまるに座る娘。そんなにすぐ出るわけないのにいじましいなあ、と微笑ましく眺めていたら、すかさず「出たぁ!」という歓声が。「こらこら、ウソはよくないゾ★」とおまるをのぞいてみると、わあ、オシッコについでウンチも成功。ビスコを与え、パンツをはかせようとすると、再び「ビチュコォ!」と催促がきた。「だから、おまるでウンチやオシッコできたらね」

すると娘、パンツをはくことを拒否し、またまたおまるに。これまでに見た事もないような真剣な顔をしばらく続けたあと、「出た!」。見てみると、少しではあるが尿が出ている。ビスコを食べるためにムリして出したらしい。あわてておまるを洗って娘の元に戻ると、「ビチュコォ!」。この繰り返しで何と3度も尿を出した。もしかして、ビスコを少しでも多くゲットするために尿を小出しにしている? そんな高度な芸当が、ついさっきまでオシッコのオシッコたるを知らなかった娘に可能なのだろうか。3回で膀胱は搾り尽くしたようで、4度目はついに、乾坤一擲というか、ウンコ一滴というか、腸を総動員してひねり出したようなひとしずくが。なんて涙ぐましい。

そうこうするうちに「公園に行こうよぉ」と娘が言い出したので、気が大きくなってトレパンのまま公園をはしご。ついでにごほうびとして、スーパーで新しいおやつも購入する。昼寝なしのトレーニングでさすがに疲れたのか、帰宅するや玄関に倒れ込んで寝入ってしまった。ズボンには尿もれを示す小さいしみが。まだまだオムツ外しまで先は長そうだ。しかし目覚めたあとに買ったばかりのビスケットをちらつかせたらオシッコを教えてくれたので、お菓子で釣ればある程度の成功が望めることを確信。一日でこれは大変な進展と言えるだろう。

子供をお風呂に入れながら、改めて子褒め欲を全開放してみた。

「今日はすごかったね。おまるでオシッコいっぱいできたもんね」

「うん、ウンチも」

「そうね、ウンチも」

「ウンチがお空に上がっていって、雲に隠れたの」

「????」

娘は本当にウンチとオシッコの概念を理解したのだろうか。すべてはビスコ欲が見せた幻だったのだろうか。

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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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