子供と手をつないで公園を散歩していたら、見知らぬ女性にいきなりパンフレットを渡された。いわく、お母さんが手をかけて作ったご飯は愛情のあかし。総菜や外食にたよらず子供には手作りのごはんを与えましょう。時間がないときは、塩だけでにぎったおにぎりでも、親の愛情さえあればどんなごちそうよりおいしくなるのです……。
例によって例のごとくの「お母さんの手作り」至上主義にはもう慣れっこだが、このとき心に浮かんだのは「また米か!」だった。
妊娠、授乳、離乳食と、ママさんライフは食事管理が欠かせない。ほとんどの授乳婦は多かれ少なかれ、母乳マッサージの桶谷式が説く「お米と野菜をたくさん食べれば良いおっぱいに、肉・脂肪・甘いものを食べると悪いおっぱいになる」という食事法の影響を受けているはずだ。そのほか前回書いたマクロビオティック、『子どもの「パン食」は今日からおやめなさい!』など数多くの食育本を手がける「粗食のすすめ」の幕内秀夫、「自然流育児」を説く小児科医の真弓定夫らが世のママさんたちに布教を進めている。
彼らの説く食事法は細かい違いがあるものの、一様にパンを否定して「米」を推し、肉・乳製品を忌避するものばかりだ。しかしいくら肉の食べ過ぎがよくないからといって、
「母親が動物食(陽性)過多の食生活を送れば、胎児の目から上の部分が縮んで眉毛がつり上がった子どもが生まれ」
「中東地域は争いがとても起こりやすいところなのです。なぜなら、かの地域で彼らが日常的に食べているのは肉食であり、脂っぽいものであり、大量の砂糖や香辛料だからです」(『マクロビオティックが幸福をつくる』より)
「(肉食の人は)目や眉がつり上がっていて、鼻が赤く膨れていて、口が大きい。そして、耳には耳たぶがほとんどなく、小さくとがっている。こんな顔は猛々しい印象で、お世辞にも穏やかそうだとはいえません。失礼かもしれませんが、ちょっと悪魔を連想してしまいそうです」(『久司道夫のマクロビオティック入門編』より)
悪魔て。いくらなんでも言い過ぎというか、差別っぽくないか。久司道夫や『牛乳はモー毒?』を監修した真弓定夫が主張する「牛乳は牛が飲むために作られたもので、人間が飲むものではない」という理屈もよくわからない。そんなことを言ったら米の栄養だって稲穂を成長させるためのものだろう。アレルギーやアトピー性皮膚炎が増えたのは食の欧米化で肉・乳製品を摂取しすぎたせいという幕内秀夫の主張も、肉・乳製品を中心とした食生活を送っている遊牧民族のモンゴル人にアレルギーが極めて少ない事実を考えると信憑性が薄い。アレルギーが増えた原因は、1歳までに家畜の糞などから発生するエンドキシンに触れる子供が減ったからという説が有力だ。肉・乳製品を駆逐して日本から家畜が消えたら、余計アレルギーが増えるんじゃ?
断乳してから育児に余裕ができて「あの米信仰、肉食忌避はなんだったのかしら……」とつらつら考えていたら、ちょうどその疑問を解消してくれる書物に出会うことができた。『歴史のなかの米と肉 食物と天皇制・差別』(原田信男)だ。天皇を頂点とし被差別民を底辺とする身分制度が、それぞれ米の崇拝および肉への忌避と密接に結びついていることを膨大な史料をもとに解き明かした食文化史である。以下要約。
味よく保存がきいて富として蓄積可能な米が伝来したことで、米の奪い合いを巡って争いが起こり階級が生まれ、米の司祭者である天皇を頂点とする原初的な国家が成立する。国家の力を強めるためには、搾取しづらい狩猟民を農民に転向させる必要があった。「天皇」という称号を最初に使ったとされる天武天皇は、仏教における不殺生を政策的に組み込み、675年に初の肉食禁止令を発布。以降、死の穢れを忌避する古神道と肉食を罪とする仏教が組み合わされ、肉食を「穢れ」と見なす日本独特の肉食観が中世から近世にかけて日本国民に浸透していくことになる。一方で天皇を初めとする支配者層が農民から収奪した米を中心とした食生活を営んでいたため、下々の間にも米を清く尊い至上の食物とする価値観が戦国期頃までに形成されていく。あわせて米を中心とした収奪の体系から外れた人々を、“賤”もしくは“悪”と見なす認識も浸透していった。そして江戸時代に完成した階級制度のもと、死んだ牛馬の処理に関わる人々が穢れ多き者、つまり「穢多(えた)」と呼ばれて底辺におかれることになる。
この中で、親鸞の唱えた「悪人正機説」の“悪人”とは、生活を維持するために殺生や肉食を行わなければならなかった貧しい狩猟民・漁撈民らを指すという話があった。この言葉を日本史で習ったときは、「なんでワルのほうが救われるの?」としか思わなかったが、かわいそうな貧民こそ仏の救いの対象となるのです、という話なら納得である。肉食の人間は“悪”魔みたいな顔になるという主張は、差別っぽいどころか、正しく日本史に基づいた差別の保守本流だったのか。『マクロビオティックが幸福をつくる』の中で数ページにわたり天皇をたたえているのも、こうした思想と無縁ではないのだろう。
そもそもマクロビオティックを生んだ食養会自体、米は天皇家の象徴であるとして食養を奨励し、八紘一宇の世界観をもとに平和的な世界統一を目指していたと伝えられる。桜沢如一、久志道夫らマクロビオティックの指導者たちがなぜ海外に出て布教を試みたのかも、「八紘一宇」というキーワードを聞けば納得だ。
マクロビオティックの起源ともなった食養会を創設したのは、帝国陸軍軍医の石塚左玄である。西洋をモデルに進められた明治の文明開化の中で肉食が解禁され、西洋風の食事が体によいともてはやされる風潮に逆らい、陰陽に基づいた独自の食養理論を編み出した。彼と親しい菟道春千代は、明治39年に食養新聞社から『食パン亡国論』を出版している。近代デジタルライブラリーに全文が掲載されていたので中身を見てみると、パン食をもてはやす婦人達や、脚気の原因を米飯だと断定する医学者を「国家を破壊する」「亡国の民」と猛批判し、建国以来帝国国民が常食していた米が優れた食物でないわけがないと説いている。
脚気といえば思い出すのが、森鴎外。陸軍軍医時代に、海軍が西洋食と麦飯を導入して脚気患者を減らした一方で、白米食にこだわって3万名近い兵士を病死させたとされる話はよく知られている。これは鴎外が脚気=細菌感染説をとっていたからだと伝えられているが、鴎外が日本兵の食事に白米が適していると主張した『日本兵食論大意』には、「米食ト脚気ノ関係有無ハ余敢テ説カズ」とあり、本格的な脚気論を持っていたわけではなかったらしい(山崎一穎『森鴎外 明治人の生き方』)。そこにあるのは、「西欧人の知力、体力が優れているのは、その食事のためで、日本人は西洋食にすべき」という当時の論調にあらがい、「日本の伝統や習慣を一挙に排除して、西欧一辺倒になる日本の近代化の危うさを指摘する」日本文化防衛論だった。「数百年来よしとされ維持されて来た風俗習慣には必ずやある良い内実があるにちがいないので、さもなければそれがそんなに長つづきするはずはなかったのだということを忘れてはならない!」(『日本兵食論』小堀桂一郎訳)。
もう、理屈じゃないんである。もっとも、当時の農家の次男、三男にとって「白米が腹いっぱい食べられること」が軍隊に入隊する強い動機となったそうだから、この件に関して森鴎外のみを責めるのは公平ではないかもしれない。
農学者の渡部忠世は日本人は米食民族ではなく米食悲願民族である、と言ったそうだが、庶民が米を主食として常食できるようになったのは戦後のことで、それまでは雑穀や麦を混ぜたご飯が当たり前だったようだ。昔は瀕死の病人の枕元で竹筒に入れた米を振り、その音で病人を元気付ける「ふり米伝承」というおまじないが日本各地に存在したという。現代においてこれをやったらほぼイヤガラセだが、米に対する憧れが強さがよくわかる話だ。これほど強烈な米信仰が、たかだか百数十年でなくなるはずもないのだった。名著『育児の百科』の中で小児科医の故・松田道雄は「主食は米でなければならぬと思うのは、一種の国粋思想である」と離乳食についての考えを示しているが、育児について物申したがる人々は往々にして保守であり、つまりは米信仰の持ち主だったりするので、このような柔軟な発想はしてくれない。米もいいけどパンも好きなんダヨネー、などというと国賊ママさん扱いされかねない勢いなのだった。あなおそろし。
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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??
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