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文化系ママさんダイアリー

2009.01.15 公開 ポスト

第二十三回

「ドキュメント・ザ・断乳」の巻堀越英美

 お正月の外出先でのこと。人前でもかまわず乳にかぶりつこうとする娘に閉口していたら、89歳のおばあさんにこうたしなめられた。

「女の子にあんまり長いことおっぱいを飲ませていたらよくないよ」

 なぜ女の子限定? 理由は聞かなかったが、母乳育児のメリットとしてよく言われる「顎の発達にいい」がいきすぎて類人猿化するということなのかしら……。このとき思い出したのは、小説家として少女たちから絶大な支持を受けるも、男性作家たちから醜女と揶揄され、正当な評価を受けることがなかったという某女流作家の伝記。確か冒頭部分で、大きくなるまで乳離れできないお母さん子だったという記述があったはず。肖像写真を見てみると、決してブサイクではないものの、昔の女性にしてはかなりゴツめの顔立ちだ。

 断乳なんて面倒だから子どもが自分から飲まなくなるまで待つか、とぼんやり構えていた心がゆらいだ。赤の他人の言うこととはいえ、89歳の言葉は重い。関東大震災と太平洋戦争を生き抜き、いまだに(他人の育児に口を出すほど)達者なんて、私からすればほとんど仙人の領域。きっとその目でいろんな母乳飲みすぎウーマンたちの行く末を見てきたのだろう。男の子だったら顎が発達しすぎても、アントニオ猪木の物まねで食いつなぐなり、ミスタープロ野球になるなり、クッキングパパになるなり、なんだったら芸名でアゴを名乗るなり、いくらでも身過ぎ世過ぎの道があろうが、女の子は……。いや、母乳を続けたらクッキングパパ化するなんて誰も言っていないわけだが、女の子に許されている生き方のレンジがいまだ狭いのは事実。普通に育てるに越したことはないのだろう。2人のオタ遺伝子を受け継いでしまった我が子に、せめてもの罪滅ぼしとして母がしてやれることは、無難な育児。1歳5ヶ月で離乳するならまだ普通の範疇だ。断乳、するか。

 断乳には夫の協力が必須なので、なるべく休日が続いているときに決行するのがベストらしい。やるなら夫が代休をとって5連休が控えている今しかなさそうだ。

「もうおっぱいバイバイだからね」と言い聞かせたら神妙な顔でおっぱいに手を振り、二度とおっぱいを求めなくなる子ども、そのいじらしさに涙する母……は育児エッセイでも定番の萌えエピソードである。うちの子にもぜひそんないじらしい行動をとってほしい、と断乳決行数日前から「もうすぐバイバイだからね」と乳を飲む我が子に呼びかけてみる。子は「うん」「うん」と空返事しながらおっぱいに夢中。意味、わかってないんだろうなあ。母乳ジャンキーの我が子が、そんな簡単に卒業してくれるはずがない。

 木・金と夫が休みなので、水曜日の夜から断乳を始めることにした。寝つきはいつも授乳とセット、夜中も乳を求めて何度も起きる子が、果たして乳ナシで寝てくれるはずもなく。ひたすらだっこと子守歌でやり過ごすが、泣き止むのはほんの一瞬で、すぐに思い出したように泣き叫ぶ。徹夜したっていいや、明日の家事は全部夫に丸投げすればいいし、と自分に言い聞かせながら怒れる乳児におつきあい。しかし朝7時頃、乳が張って痛いのと、もうろうとしていたのが相まって、うっかり乳を与えてしまう。断乳は木曜の朝からに変更。

 夫の迎えで保育園から帰ってきた我が子は、いつものように乳にまっしぐら。だっこしながら「言い忘れたけど、今朝飲んだのが最後のおっぱいだったのネー」「もうおっぱいはおしまい」「おっぱい! バイバイ!」と何度も言い聞かせるが、そのたびに「なぜえ!」とばかりに口を∞の形にして最大級の絶望と怒りを全身で表し、全く聞く耳をもってくれない。さすがいじらしさとは無縁のわが子。これは萌えない!

 そこまで聞き分けがないならと、おっぱいに怖い顔を描くという禁断の方法にチャレンジしてみることにした。しかし子は一切動じる気配を見せず、乳にむしゃぶりつこうとする。あとで鏡で見てみたら、怖い顔のはずが「自慢の鉢巻を取られて怒っているマヌケなタコ」にしか見えなかった。道理で子がおびえないはずである。私のような残念な画力のママさんたちのために、「断乳用ホラー顔タトゥーシール」を作ったら売れるのではないか。あるいは、「蓮コラ」にちなんだ蓮の実シールとか(説明しよう。「蓮コラ」とは蓮の実をおっぱい画像にコラージュし、生理的嫌悪感を催すと5年ほど前にネットで大騒動になった有名な恐怖画像。勇気のある人は検索してみてね! あまり勧めないけど!)。

 蓮コラのトラウマを思い出して震えている場合じゃなかった。そうだ、乳よりおいしいものを食べさせれば気がまぎれるのでは? 泣いて足にまとわりつく我が子を引きずりながら急いでバナナブレッドを焼き、一切れ食べさせてみた。ぴたりと泣き止む。ホットケーキミックスと牛乳とつぶしたバナナとすりおろしにんじんを目分量でまぜてパウンド型にいれ、オーブンで焼いただけの雑なおやつなのだが、甘味らしい甘味を知らない我が子にとっては、十分に極上スイーツだったのだろう。もぐもぐバナナブレッドをほおばる我が子にのりものDVDを見せたら、もう乳のことは忘れきって「ブーブ! ブーブ!」と大はしゃぎ。今までの執着は何だったんだ……。

 その日の夜はあっさり寝つき、何度か夜泣きもしたが、背中をトントン叩けばすぐに眠りに落ちる。なんだ、断乳チョロいじゃん、と思いきや。

 乳が痛くて熟睡できないまま金曜日の朝を迎えた。なにやら微妙な倦怠感。仕事をしているうちにだんだん熱が上がってきて悪寒に耐えきれず、布団に潜り込む。乳は張りに張ってガチガチに痛い。昼まで寝たら熱は下がったので乳腺炎ではなさそうだが、悪寒と倦怠感に頭痛と吐き気が加わって体調は最悪。何もする気になれない。

 寝込んでいる間、知人のmixi日記に書かれていた橋本聖子のことをぼんやり考えた。出産直前まで議員活動を続け、高齢出産にも関わらず入院後わずか2時間で第一子を出産。産後1週間で公務に復帰したという。その後も立て続けに出産し、今は実子3人、連れ子3人の計6人の子どもを育てている、まさに鋼鉄の女。きっと彼女ほどに鍛え抜かれた体なら、断乳ごときで寝込んだりはしないのだろう。なんで私は橋本聖子でもないくせに、子どもを産んだんだ……。体調が悪いとどこまでも悲観的になる。この日は朝ご飯から夜の寝かしつけまで、初めて全面的に夫に任せたが、子は特別ぐずる気配もなく、あっさり寝付いたようだ。風邪で高熱が出ていたのに授乳せざるをえなかった去年の冬を思えばありがたいことが、今までしつこくまとわりついていたのは、単なる乳出しマシーンとしての私だったのだなあ。もう私なんていなくても子は平気なんじゃないかしら。うう。

 吐き気はその日の夜間まで続いた。少々不安になったので原因を解明すべくネットで検索してみると、断乳によるホルモンバランスの崩れから嘔吐をともなう片頭痛を起こしているらしい。海外のお悩み相談サイトを見てみたら、「風呂に入れ」とある。日本では乳が張るので断乳中の風呂は控えるように言われるのが一般的なのだが、試しに入ってみたら吐き気は収まり、どうにか眠りにつくことができた。

 断乳3日目の朝。押されると張った乳が痛むのでだっこはできないものの、体調は回復。元気になった私を見た子は、いつにもまして激しく甘えてくる。もはや乳出しマシーンではない私だが、「絵本読みマシーン」「YouTubeで面白動物動画を探しソムリエ」「かくれんぼでわざとらしく驚くガヤ芸人」など、まだまだ任務は残されているらしい。ご飯の支度や寝かしつけは他の人でもできるかもしれないけど、君の面白がりのツボを一番心得ているのは、私だもんね……。

 全くいじらしくなく、萌えもしない断乳話で恐縮だが、同じような悩みを抱える人がいればこんな体験談も何かの助けになるかもしれないと思い、記憶の新しいうちに書き留めてみた。断乳すれば小食が治るというのは本当で、今までの小食・偏食がうそのように3度の食事に貪欲になったことも併記しておきたい。断乳3日目の昨晩など、冷めるまで待てと言い聞かせているのにこらえきれずに夕飯にかぶりつき、熱くて手を離す、を延々繰り返していた。挙げ句、両手で顔を覆ってガッカリ感をアピール。これはこれで、いじらしいかもしれない。いじらしいというか、いじましいというか。 

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文化系ママさんダイアリー

フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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