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文化系ママさんダイアリー

2008.12.15 公開 ポスト

第二十二回

幼児とオカルト堀越英美

 3歳以下の子供には不思議な能力がある、と口に出さないまでも思っているママさんたちは意外に多いんじゃなかろうか。

 妊娠中に育児マンガや育児エッセイを読んでいて目に付いたのが、おなかの中の子と会話して性別を当てたり、母親より早く妊娠に気づく幼子の存在。単なる当てずっぽうかもしれないが、複数の幼児が同じような行動をとるのが不思議で仕方がなかった。

 さらに最近熱いのが「胎内記憶」。ある産科医が4歳以下の子供に「ママのおなかにいたときのこと覚えてる?」と聞いてみたところ、3人に1人の割合で出生時や胎内での出来事を語り出したというのだ。「胎内記憶」でネット検索してみると、自分の子供に胎内記憶を聞いてみたママさんのブログがたくさんひっかかる。「おなかがねー ばーーんってひっぱって、よいしょっ!って、なかなかでないの」「ちゅい~、ちゅい~って泳いでいたんだよ」なんていうのなら、「わ~すごい記憶力~」と感心するだけだけど、「空の上からパパとママを見ていた」「お母さんのおなかの中から外を見ていたの」という非科学的な証言も決して少なくないのだ。もちろん子供の言うことだから空想と片付けてもいいわけだが、教えられたわけでもなかろうに子供たちの言葉に一定の傾向が見られるのは、やっぱり不思議としか言いようがない。胎内記憶は2~3歳が聞きどきで、それ以降は急速に記憶が失われるというのも謎めいている。

 育児雑誌によれば、赤ちゃんの脳は生まれてから2歳までにシナプスが大人の2倍までに増大し、それ以降不要なシナプスの刈り込みが行われて社会生活に適応した脳になるという。もしかしたらその無駄なシナプスが、子供に変なものを見せているんじゃないか。

 などとオカルトめいた話をつらつら語りたくなるのには、ワケがありまして。

 今年の夏、私の祖父が急逝した。実家から祖父が寝付いたという連絡がきて、翌朝帰るつもりでいたら、その日の夜のうちに亡くなってしまった。数えで91歳。

 子供の頃の私と祖父は、「ちびまる子ちゃん」のまる子と友蔵のように仲良しで、いつも家庭内でつるんでいた。親戚の葬式の帰り道、私の手をつないだ祖父がこんなことを言ったのを覚えている。

「葬式ってのはどうも辛気くさくてよくない。おとっつあんが死んだときは、もっと楽しくやってもらいたいね。棺桶にばねをしかけておいて、客が来るたびに起き上がって『よう』って挨拶するなんてのはどうだい」
「こわいとおもうよ、おじいちゃん」

 こんなユーモアおじいだったから、関東大震災や従軍体験にまつわる武勇伝や怪談を面白おかしく聞かせるのは大得意。今にして思えば大半はホラだったのだろうが、幼い私は本気になっておびえたり興奮したりしたものだ。あんまり仲良しすぎて、「おじいちゃんが死んじゃったらどうしよう」と勝手に妄想して涙したこともある。我が子は老人を見慣れていないせいか、なかなかなついてくれなかったけど、初夏に帰省した際は祖父が渡した1万円札に大喜びし、ようやく心を開いてくれた。その矢先の死。「現金が好きとは行く末頼もしい」なんて軽口を叩いていたのに、早すぎるよ、おじいちゃん……いや、世間的には大往生なんだけど。

 実家に帰って死に顔を見ても、眠っているだけに見える。生まれて初めて直面した家族の死。それも大好きなおじいちゃん。おかしなことに、全然実感がわかない。「祖父の死」という情報は把握できるのだけど、感情まで届いてこない感じ。死に目に会えなかったせいだろうか。「はじめてのおつかい」で泣くくせに、こんなときに涙が出てこないなんて。我ながら涙腺のスイッチングがおかしいと思う。

 そのとき、1歳になるやならずやの娘が、遺体が置かれているベッドに向かって「バイバイ」と手を振った。遺体の上にはシーツがかけられていて、娘からは見えないはず。今まで人以外のものに向かって手を振ったことなどなかったのに。「赤ちゃんもさよならだってわかるんだねえ」と、一同しみじみ……したのもつかの間、居間に入ったとたん換気扇に向かってバイバイする我が子。無差別にバイバイすることを覚えただけか。ガッカリである。

 実家では葬儀の準備にてんてこまいの母に代わっておさんどんを担当していたので何かと忙しく、悲しみに浸っている余裕はない。夕飯の買い出しに出ても、「これ固いからおじいちゃん食べられないかしら……いやいや、もういないんだった」というボンヤリぶり。お通夜や葬式でも赤子の世話に気を取られて、なかなかしんみりできない。遺骨と対面しても、私をバイクの荷台に載せて海岸通りを飛ばしていた祖父の姿と、目の前の白いかけらがどうしても結びつかず。

 どうしよう、ちゃんとさよならしたいのに。何をすれば、祖父の死を実感できるんだろう。

 モヤモヤした気持ちを抱えたまま数ヶ月。児童書マイブームにのって、育児雑誌で推薦されていた絵本『おじいちゃんがおばけになったわけ』を読んでみた。道ばたで心臓発作を起こして亡くなってしまった“おじいちゃん”が、夜な夜な孫のところに遊びに来てこの世の“忘れ物”を一緒に探すというお話だ。

 おばけになるなら息子のところにも来てあげればいいのに、おばけを見られるのは子供の特権なのかしらんと思いながら読んでいると、あるイラストでページをめくる手が止まった。“おじいちゃん”が子供部屋の壁をくぐり抜けているところだった。

 そのとき脳裏に浮かんだのは、ベッドから起き上がって「よう」と我が子に手を振り、そのまま換気扇をくぐり抜けて「じゃ、さいなら」と外に出る祖父の姿。

 その飄々としたさよならの仕方はいかにも祖父らしく、ようやく「もうおじいちゃんはこの世にいないんだなあ」ということが心から受け止められたのだった。どうせなら娘じゃなくて私にも手を振ってほしかったけど、実際に見たらおびえて手を振り返すどころではないと思うので、私は想像するだけにとどめておきたい。

『おじいちゃんがおばけになったわけ』の中の“おじいちゃん”の忘れ物は、「孫にさよならを言うこと」だった。さよならを言えなくて心残りなのは、旅立つ側も一緒なのだろうか。

 そんなわけで、幼児には大人に見えないものが見えるんじゃないか、というオカルトだけはなんとなく信じてみたいと思う。

 今日も我が子は、天井を見上げて「わんわ! わんわ!」とうれしそうに叫んでいる。私は「マア、愉快な動物霊と話しているのかしら?」とニヤニヤ。天井と犬の区別もつかないアホの子と思うより、そのほうが楽しいじゃないですか。 

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フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??

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堀越英美

1973年生まれ。早稲田大学文学部卒業。IT系企業勤務を経てライター。「ユリイカ文化系女子カタログ」などに執筆。共著に「ウェブログ入門」「リビドー・ガールズ」。

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