吉野努(45歳)が待ち合わせの喫茶店にあらわれた時、私は彼の姿を見て、一瞬TVか何かの冗談なのかと思った。まるでギャング映画の中のエドワード・G・ロビンソンみたいな格好だったからだ。白地に黒の5センチ角の千鳥格子のオーバーコート、グレーのフェルト地の中折れ帽、白と茶色のコンビネーション・シューズ、緑色のスエードの手袋、おまけに手には象牙と漆黒の木でできたステッキ。
私が近づいていって名前をなのると、
「こんにちは、吉野です」といって彼は少し照れたように微笑んだ。
彼がコートかけに帽子をかけ、オーバーコートを脱ぎはじめると、店内の人たちがちらちらと彼の姿を盗み見た。
コートの下は、明るいグレーの地に青緑色のピンストライプが入った三つ揃い、シャツはピンクで白のストライプが入っていて、首に紫色のアスコットタイを巻き、胸には紫色のポケットチーフがのぞいている。
私は吉野の服装を見せてもらうために会いにきたのではない。彼が失業中で苦労しているというので、その話をきかせてもらおうと思ってきたのだ。
書店の店長をしていた吉野が解雇されてから、1年と5ヶ月が過ぎていた。失業給付の期間は終わり、仕事なら何でもいいという気持ちになってやっと最近、病院の警備の仕事にありついたのだという。
吉野は警備の仕事に満足はしていない。店長の時は展示の企画を考えたり、店内を飾ったりと自分の趣味を生かすことができた。それに較べて警備は立っているだけだったり、座っているだけだったりと何も考えないことが仕事のようなものだ。「45の男がやる仕事じゃないですよ」と彼はいう。
さらに、店長の時は手取り26万円の給料だったのが、警備は時給900円で一番多く働いても月18万円程度にしかならない。
「マンションのローンがあと30年も残っているし、どうしようかと思って」吉野は眉根をよせる。
私は吉野の話をきいているのだが、その最中に、どうしても彼の服装に目がいってしまう。困った。警備についての話が一段落したところで、我慢できずにこうきいた。
「いつもそういう服装をしているんですか?」
「ええ。ダンディズムを追究しているんです」彼はまじめな顔で答えた。「これだけは失いたくないんです」
後日、埼玉県にある吉野のマンションを訪ねた。最寄り駅まで迎えにきてくれた彼は、ハンチングをかぶり、首にストールを巻き、七分丈のコートにツイードのズボンというあいかわらずお洒落な服装だった。
「今の給料じゃ、マンションを売らなきゃならないと思うんですよね」歩きながら吉野がつぶやく。
彼の住まいは7階建ての5階にある。3LDKで築3年目だ。
居間のテーブルにつくと、コーヒーを出してくれた。それからアルバムをテーブルの上に置き、
「見ますか?」と彼がきく。
アルバムは二年前に彼がイギリスとイタリアに旅行した時のものだ。写真には洋服屋、帽子屋、ステッキ屋、靴屋などが写っていて、どれも由緒ある店らしい。店員といっしょに写っている吉野は外国にいても着飾っている。
「みんなジーンズにTシャツとかカジュアルな格好で行くでしょう。それがイヤで、自分の好きな格好して本場の街に立ちたかったし、毎日違う服装したかったから、荷物も増えちゃって、靴も三足持ってったし」
「ここがボルサリーノです。奥から帽子を出してもらうんです。午前中に行って、午後にも行って、違う服装で行ったものだから、店の人から『あんたは俳優か』なんていわれちゃって、フフフ」
写真の中の吉野は目の前の人物よりずっと若く見える。目の前の吉野が小さくため息をついた。
「もう、海外旅行にも行けないですけどね」
居間の隅にビデオテープが積み上げられている。吉野のお洒落の出発点は映画なのだという。
『華麗なるギャツビー』『ベニスに死す』『炎のランナー』『アンタッチャブル』などを見て、1930年代のファッションに身をつつみたいと思ったのだ。
映画が好きで、今でも、毎週のように観ている。
「『刑務所の中』という映画を観てきたんです」と彼がいう。「刑務所の中にいても、ほんの小さなことを楽しみに変えちゃう。管理はされてるんですけど、食事は三度三度出てくるし、それがなんかおいしそうに見えたり、週に一回映画の日があって、お菓子が出てコーラが出て、お風呂に入るのを楽しみにしたり……、なるほどなーと思って。ほんのちょっとした小さなことに楽しみを見つけるしかないのかなーって」
居間を出て、他の部屋を見せてもらう。他の二部屋はベッドを除いて、全て衣類で埋まっている。帽子の箱が60個くらい。蓋をあけると、どれも同じフェルト地の中折れ帽で、ワインレッドだったり、オリーブグリーンだったり、紺だったり、オレンジ色だったりとどの色もしっとりと美しい。スーツとジャケットは百着近くある。ベージュに紺のピンストライプ、グレーの地に赤と白と緑のタータンチェック模様、ペイズリー柄のもの、麻のダブルのスーツ、襟が中国服のようになっていてステッチに刺繍のはいっているもの、袖口と襟だけがベルベット地の黒のジャケット……、どれもあつらえた服なのだという。
靴もシャツもストールも手袋も鞄も時計もステッキもサスペンダーも数えきれないくらいある。まるで洋服屋だ。
毎年160万円くらい使っていたという。
「こんなことしないで、貯金しとけばよかったと思いますけどね」吉野は出した服を一着一着ていねいにしまいながらいう。「でも、これが自分の証のような感じがするんですよね。他に全然とりえもないし、背も低いし、どっちかっていうと人の中に埋没しちゃう方でしょう。そうはなりたくないんです」
「警備の仕事が決まった時に、渋谷の街を歩いていたら、知り合いの店に新しいコンビネーションのシューズがあったんです。とりおきしといてもらいました。5万4千円なんです。就職決まったし、自分の就職祝いで買おうかなと思ったんですけど、でも、今5万4千円払うのもなーと思って、で、待たせちゃって、何日も悩んで、結局キャンセルしちゃいました」
「だんだん、だんだん、与えられた中でやりくりするしかないのかなーと思うようになりましたよね。本読んだり、映画観たり、ちょっとした楽しみしかないのかなーって」
吉野はジャケットをビニールのカバーに包んでしまっていく。と、ひとつのカバーを取り出して、
「これこれ」彼がうれしそうにいう。「書店に勤めている時にね、クリスマスシーズンになると、みんなが『吉野さんまた着てきてくださいね』って、いうんですよ」
彼がカバーをはずして取り出したジャケットは、雪のように真っ白なフラノ地で、その上にひいらぎの葉と赤い実が小さく上品に点々と描かれていた。彼が服を自分の前にあてがって、〈どうですか?〉というように私の方を見る。その時の吉野の表情が、一瞬にして、あのイタリア旅行の写真と同じ若々しい笑顔になっていた。
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