4年に1度だけゴツイ女子がチヤホヤされる祭り、通称オリンピックがついに終わった。スポーツに無知な私でも、テレビ空間の中でゴツ女子がブスキャラではなくヒロインとして厚遇されるという非常事態に興奮が止まらなかった。感動をありがとう、夢と希望をありがとう。試合はいっこも見てないけど。
もちろんママさんとしては谷亮子選手に注目しないわけにはいかない。鋼の身体を持ちながら、セクシーグラビア、公開デート、ヘソ出し始球式、ハデ婚、母乳育児アピールと、貪欲に女らしさを振りまいてきた元祖ゴツ女子の華。「いったい誰が得をするのか」とささやかれながらも力ずくでメディアからのヒロイン扱いを取り付けてきた彼女の姿に、ひっそり勇気をもらってきた女子も多いはずだ。「ママでも金」も、彼女なら強引に実現させてしまいそうだった。
結果は銅メダルに終わったとはいえ、「帰国後は主婦をしたい」とどこまでも女らしい谷選手にマスコミの視線は優しい。良妻賢母でありながら世界を相手にがんばる天才柔道家、という誰も文句をつけられない立ち位置にまで上り詰めた彼女に、子供を産まなかったら、あるいは他人に家事・育児をまかせて競技に専念していたらもっと上を狙えたんじゃないの、とは言いづらい雰囲気。
私とて感動をありがとうと言いたい気持ちはやまやまなれど、やはり谷選手ほどの超人をもってしても育児の壁に阻まれるのか、というガッカリ感はある。夜泣きはつらいし授乳は体力を使う。妊娠期間中はまともに筋トレもできなかろう。スポーツ選手にとって、妊娠・出産・育児(プラス家事)はどう言いつくろってもメリットにはならなそう。
谷選手ですらダメなのだからまして私など、と自分の話に引きずり込むのも僭越ではあるが、私のような在宅仕事と家事育児を中途半端にのらりくらりとこなすワーキングマザーならぬボンクラマザーですら、思うところはそれなりにあるのだ。目の前の仕事をこなすのに精いっぱいで、とても新知識を詰め込む余裕がない。森茉莉曰く、八万巻の書物を読んでも八万一巻を読んでないというので非難されるのが評論稼業というものらしいが、そこまでではなくても文章を通じて情報を売る仕事をするからには、絶えず新しい情報を仕入れておく必要があろう。しかし現実は本を数行読んで泣く子をなだめて「えーとどこまで読んだんだっけ?」という有様。日々が雑事で細切れに過ぎていく。
もちろん、育児・家事をこなすことが仕事のプラスになる女性の物書きはいっぱいいる。でもそういう人たちはたいていライフスタイルそのものが商売になる生き様アーティスト。人間性にサッパリ魅力のない私が手の出せる領域ではない。考えてもどうしようもないことはあまり考えないようにしているものの、「ママなのに銅メダル! すごい!」が強調されればされるほど、そんな心の奥にしまいこんだ不安が思い起こされてしまう。
そんな折、「崖の上のポニョ」を見に行く機会があった。多くの男性評論家が「物語になっていない」「母親像が不愉快」「意味不明」と酷評している中、あるオタク系評論家が悪夢のような不条理アニメとして褒め称えていた。不条理アニメなら独身時代から大好物。普通のアートアニメーションは赤子連れではいけないが、ジブリ映画なら多少子供が声を出しても大丈夫なはず。これは見に行かねば! と時間のやりくりをして映画館に出かけた次第。
主人公の宗介は5歳の男の子。その母親・リサはデイケアサービスセンターで介護職員として働く田舎のワーキングマザー。朝は子供とともに車で出勤し、併設の保育園に預けてから仕事を始める。買物は商店街ではなくショッピングセンター。夫から帰ってこれないという連絡があり、自分一人で家事育児をこなすストレスからかブチギレて料理放棄。家の中には学術書や文学書らしき本がたくさん並んでいて、読書家らしい雰囲気をうかがわせているが、劇中で読書するシーンはない。忙しくて本が読めないことも苛立ちの一因……?
不条理どころか、超リアル。こんなに生々しく働くママさんが描かれたアニメがこれまであっただろうか。しかしこのアニメらしからぬガサツなママさん描写が批判を浴びる一因になっているらしい。大泥棒や死体から生まれた妖怪が主人公なのは文句が出ないのに、子どもを第一に考えない母親像を受け付けない人は多いようだ。谷選手が競技生活を続ける上で「ママ業を第一にがんばってます!」と過剰にアピールしなくちゃいけない理由はここにあるんだろうなあ。
海から人の顔をした金魚がやって来るのは不条理には違いないが、このポニョがまた魚のくせに幼女として超リアルなんである。無駄にゆらゆら体を揺らしたり、すぐに眠くなってうとうとしたり、好物には貪欲にかぶりついたりと、暴発する衝動のままに目まぐるしく動き回るさまは我が子そっくり。聞けばスタッフの1歳の娘がモデルとのこと。わが母も孫にそっくりでかわいいと喜んでいたので、アニメ史上屈指のリアルな幼女描写だと思う。もうずっとポニョの動きを眺めてキュンキュンしていたいくらい。
ポニョは人面ながら、魚、半魚人(両生類)、哺乳類と自在に変化する不思議な存在である。妊娠中にエコー写真で見た、おなかの中で魚類から哺乳類にまで進化する胎児みたいだ。父親であるフジモトにつかまって魚に戻され、液状の球体の中で頭を下にして眠っているところも胎児らしい。そして繰り返し挿入されるポニョが死んでいるように見えて宗介があわてるシーン。ちょっとしたことで流産しないかハラハラしていた妊婦時代を思い出す。
ストーリーは非常にシンプル。金魚のポニョが人間の宗介に恋をして人間になろうとし、あり余るパワーで町ごと水没させてみたりしつつも、晴れて人間になって宗介にキスをするまでのお話。酷評される最大のポイントは、ポニョが人間になるまでの過程があっさりしすぎということらしい。男の子が友や師匠と出会い、いくつかの葛藤、障害、危機を乗り越えて敵に打ち勝ったのちに美少女との愛が成就するという通常のエンターテイメント映画を期待すると、「え? これで終わり?」とあっけにとられてしまうこと必至のラストは以下の通り(ネタバレ注意)。
産道とおぼしき暗いトンネルを逆行して、生まれる前の世界にたどりついたポニョと宗介の前に現れたのは広い海。光が満ちあふれる美しい海中ドームの中では、歩けないはずのデイケアサービスセンターの老婆たちが自由に歩き回っている。ポニョの母親は宗介に問う。「ポニョの正体が半魚人でもいいですか?」。宗介はどんなポニョでも好きだと答える。晴れてポニョは人間になることを許可され、宗介とキスをしてエンディング。
なんだか、子供を産む前に障害があってもわが子を愛せるだろうかと自問自答する妊婦みたいだ。「生まれてきてよかった」というキャッチコピーや、「母なる海」をイメージさせる豊かな海の描写からして、これはラブストーリーというより生命が誕生するまでの物語なんだろう。「どんなポニョでも好きだよ」と約束するだけでいいなんて、ボーイ・ミーツ・ガールの定石からは逸脱している。でも、母の心意気なんてそんなもんだろう。その約束が果たされる保証なんてどこにもないけど、愛してあげるから生まれてらっしゃい、生まれてきてよかったと思えるはずだから、と手を差し伸べるしかないのだ。
そんなに小難しく考えなくてもポニョの生命力あふれるかわいさや海中世界の美しさだけでも十分楽しめるのだが、ママ業経験があれば映像から受ける多幸感は倍率ドン、さらに倍。本読むだけが勉強じゃないのよネ、と言葉にすれば陳腐なことを思い、たやすく癒されてしまった次第だ。
そういえばメダル、野球選手の夫、子供と、欲しいものに向かって他人を巻き込みながら猪突猛進する谷選手って、ポニョみたいじゃないですか? ここまで書いて結論それか。
文化系ママさんダイアリー
フニャ~。 泣き声の主は5ヶ月ほど前におのれの股からひりだしたばかりの、普通に母乳で育てられている赤ちゃん。もちろんまだしゃべれない。どうしてこんなことに!!??
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