新川帆立さんの野心作『女の国会』は政治をリアルかつ親しみやすく描いたノンストップ・ミステリ小説。
政治闘争に巻き込まれながら、自分の持ち場で踏ん張る女性たちの姿に、明日へのエネルギーをもらえます。
全六回の試し読み、第四回です。
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それから二週間のうちに、事態はどんどん悪化した。
週刊誌は「十五年にわたる女の闘い――嫉妬、陰口、裏切り」などと題して、高月と朝沼の間の確執を盛んに報じた。たいていは口論をしたとか悪口を言ったとか、その程度のものだ。
記事に嘘は含まれていなかったが、編集に悪意があった。
高月は相手を選ばず口論したし、他人について辛辣な意見を口にした。誰とでも喧嘩していたのである。朝沼との仲が特に悪かったわけではない。
「別にいいじゃん」
事務所で欠伸をしながら、高月はあっけらかんと言った。
「もともと攻撃的な女、気の強い女ってイメージで悪く書かれていたんだし。でも考えてごらんよ。国会議員、特に衆議院議員なんて、男も女も、みんな気が強いよ。そうでなくちゃ、小選挙区選に勝てるわけないじゃん」
沢村は、せりあがる不満に蓋をすることができなかった。
「でも男の場合は扱いが違います。攻撃的でも気が強くても、リーダーシップがあるとか、いざというときに戦える男だとか、好意的に語られるわけでしょう」
「まあそうだけどさ。最近はこれでも、だいぶ良くなってきたんだよ。私が初当選したときの記事なんてひどかったよ。少し喧嘩しただけで、『黄色い声を張りあげて、紅い気炎を吐く』
なんて書かれたもん。ヒステリックな女が男を焼き尽くすって印象を植えつけたいんだよ」
「印象操作ですか」
高月はにやりと笑った。「言論の自由だよ」
日程表を差し出しながら、沢村は言った。
「三好顕太郎とはまだアポがとれていません。どのメディアもコメントをとれていないし、インタビューや面会すらままならない状況です。ただ私は、三好顕太郎の秘書となら伝手があるので。調整を再三お願いしているところです」
「三好顕太郎の秘書と沢村さんって、知り合いなんだっけ?」
「はい。わりと年齢が近いので、何かと融通しあっているんです」
「うん、じゃあ頼むよ」高月は日程表の一部分を指さした。「この午後四時からの新聞記者さんって、会ったことあるっけ?」
「いえ、ないと思います。これまでの面会記録にもありません。そもそも、国民党三好派の担当記者のようですから、野党には出入りしていません。高月先生が色んな記者を呼んで、朝沼さんのことを調べているという噂を聞いて、情報交換を申し込んできました」
「ふうん」高月は不思議そうに首をかしげた。
沢村は、高月の指示を受けて、これまでやりとりのあったメディア関係者に広く連絡をとっていた。朝沼死去に関する情報を集めるためだ。
十数人が情報交換したいと訪ねてきたが、目ぼしい情報は得られていない。情報交換と言いつつ、皆、高月からコメントをとりたいだけだった。
彼らは愛想の良い笑みを浮かべているし、終始和やかに話をする。だが一度社に帰れば、高月の言葉を批判的に紹介する記事を書いた。
高月は、彼らに平然と対応した。「ほんと腹立つ」と言いながら、さほど気にしているふうでもない。むしろ、高月を擁護する記事を書いた記者について「こんなところで逆張りしたって、いいことないのにね」ともらした。敵か味方かではなく、記者としての力量で相手を見ているらしい。どこか超然としたその姿勢が、政治家としての軽やかさ、しなやかさにつながっているような気がした。いくら叩かれても暖簾に腕押し、さらりと受け流してしまう。
午後四時ちょうどに、事務所のインターホンが鳴った。
沢村が扉を開けると、すらりとしたポニーテールの女性が立っていた。三十代前半くらいに見える。
理知的な雰囲気に、グレーのパンツスーツがよく似合っていた。
「毎朝新聞社の和田山といいます」
深く一礼をして、和田山は名刺を差し出した。大手新聞社の政治部所属、和田山怜奈という記者だった。やはり初めて見る顔だ。
「こちらへどうぞ」
応接室に通し、すぐに煎茶と茶菓子を出した。今日の茶菓子は地元A県の事業者からまとめ買いしてある煎餅だ。必ず地元の品を出すこと、頂き物の使いまわしはしないことを、高月から厳しく命じられていた。
高月と和田山は、見合った。ほんの短い時間だったが、火花を散らしながら、互いを値踏みする視線だった。高月が和田山に着席をうながした。
「お電話をさしあげたのには、理由があります。こちらを、お目に入れたかったんです」
和田山は、スマートフォンの画面を示した。
沢村は身体の前で盆を抱えながら、スマートフォンをのぞいた。
そこには、一枚のメモ紙が写されていた。A5サイズのノートから一枚切り取ったものだ。
リングの脇に切り取り線が入っているノートのようで、切り取られた端は綺麗な直線になっていた。
メモ紙には、こう書かれていた。
女に生まれてごめんなさい。
お父さん、お母さん、迷わくをかけました。
わたしは男に生まれたかった。お父さんもお母さんも、そう望んでいたよね。政治家として
やっていくなら、男のほうがだんぜんいいから。
任期が終わるまではガンバろうと思っていたけれど、ダメでした。
家の名前に泥をぬることを、おゆるし下さい。
この秘密を抱えたまま、生きていくことはできない。
「これは?」
高月が尋ねた。
「朝沼さんが亡くなる直前に、私に送ってきました。メールに画像が添付されていて、本文に文字はありませんでした」
応接室の空気は張りつめていた。沢村はその場で棒立ちになった。追い出される気配もない。
高月は沢村を気にする様子も見せず、和田山のほうへ前のめりになった。
「亡くなる直前というのは、どのくらい前ですか?」
「正確な死亡推定時刻を聞いていませんが、朝沼さんが死亡した部屋から本人のスマートフォンが見つかり、ロック画面を解除するとメールアプリだったそうです。現場には、この画像に映っているメモ紙が残されていました。私は警察から事情聴取を受けましたから。その際にあの手この手で聞き出しました」
「それで、毒を飲む直前に送ったのではないかと?」
「毒を飲む直前なのか、直後なのかは分かりませんが、いずれにしても死の直前だろうと思います。つまりこれはーー」
「朝沼さんの遺書だと」
高月が引きとって言うと、和田山はうなずいた。
「朝沼さんは遺書をしたため、毒をあおった。狭まる視界の中でふと思い至ったのではないでしょうか。遺書を残しても、警察に押収されて、政局への配慮という名目で、公開されない可能性があると。とっさの判断で、知り合いの記者に送ったのでしょう」
「あなたは生前の朝沼さんと親しかったの?」
いえ、と和田山は言った。苦々しい声だった。
「私は国民党三好派を担当していて、特に三好顕太郎さんを重点的に取材していました。ご存じかと思いますが、顕太郎さんと朝沼さんには婚約の噂がありましたよね。二人は実際に婚約していました。その関係で私も、朝沼さんを取材させていただく機会がありました。朝沼さんとのつながりはその程度です」
高月は首をかしげた。
「じゃあなんで、朝沼さんはあなたに画像を送ったんだろう? 朝沼さんにはもっと懇意にしている記者さんがいたはずよね」
「いたかもしれませんが、その人はきっと男です。政治記者は九割以上、男ですから。この文面の遺書は送りづらいでしょう」
――女に生まれてごめんなさい。
沢村は唾をのんだ。
小学生が書いたような乱れた文字をしている。もともと達筆な朝沼が、これほどまでに追いつめられていたのかと思うと、胸にきた。
朝沼は政治家の家系に生まれ、政治家として完璧な経歴を歩んできた。
ただ一点、女であることをのぞいては。
彼女にとっては、それほどまでに重い事実だったのだろうか。
「どうしてこれを、私に見せようと思ったんですか」
高月は和田山をじっと見た。警戒しているのが伝わってきた。
「あなたが朝沼さんの死について調べているという噂を聞きました。状況的にも、朝沼さんがどうして死んだのか、一番知りたいだろうと推測します。各社、高月さんが追いつめたかのような報道ですから。高月さんのお役に立てるかもしれないと思って、ご連絡さしあげたのです」
高月はいぶかしげな顔をした。ただの善意、好意で情報をくれるとも思えない。どんな腹があるのか、気になるのだろう。
「この情報を、正規の報道にのせないのはどうしてですか?」
「お恥ずかしい話ですが、上層部にとめられました。今この段階で報道すると、朝沼さんの遺族から名誉毀損で訴えられかねないと。一応、死亡の経緯はまだ伏せられているようですから」
一部の政治家たちからのリークにより、朝沼が青酸カリを飲んで死亡したということは、表沙汰になっていた。だが、自殺なのか他殺なのかを含め、それ以上の情報は出てきていない。
警察は捜査を進めているはずだが、政局への影響をおもんぱかってか、ほとんど情報公開がなされていなかった。
「あ、あの」
おそるおそる沢村が声を出した。高月が驚いたように振り返った。だがとめる気配はない。
発言を許可されたものと考えて、言葉を続けた。
「公益目的の正確な報道なら、名誉毀損にはならないはずですよね」
ロースクール時代に学んだ内容だった。現役議員の変死なのだから、関連情報は当然公益性がある。和田山が嘘をついていないとしたら、情報としても正確なはずだ。
「もちろん理屈上はそうなんです。ただ、このメモ紙の内容は抽象的ですし、何があったのかよく分からないでしょう。さらに取材をして、確定的なことが分かれば、報道できるのですけど」
「それで、私が何か知らないか、訊きにきたわけですね」高月は鼻で笑った。「残念ながら、私は何も知りませんよ。この遺書を見るかぎり、朝沼さんには深刻な悩みがあったようですが。議連で顔を合わせていても、そんな素振りはありませんでした」
和田山は首をかしげた。
「性同一性障害特例法の改正案、どうして通らなかったんでしょう? 総務会にかける前に、当然根まわしは終えていたんですよね?」
「はい。そう聞いています。総務会では、三好顕造が反対したそうです」
和田山の顔色が変わった。「三好顕造が? 彼は、朝沼さんの一番の支援者だったでしょう」
「朝沼さん本人も驚いていました。事前説明の際には反対されていなかったそうですから」
「つまり、朝沼さんは、三好顕造の急な裏切りにあった」和田山が慎重な口ぶりで言った。
「この遺書は、三好顕造の裏切りに関するものかもしれない」
和田山はスマートフォンの画面を触り、メモ紙に並ぶ言葉のうち「秘密」の部分を拡大した。
「この秘密というのは、何のことでしょう」
「さあ」高月は首を横にふった。
沢村にも見当がつかなかった。
「悠然とされていますね。でもそろそろ動かないと、高月さんもヤバいんじゃないですか?」
和田山がうかがうように高月を見た。「足元も騒がしくなってきているでしょう」
ハハハ、と高月は笑った。「ご心配ありがとうございます」
今朝がたには、高月の地元であるA県の県連会長から、高月に謝罪を要求する電話がかかってきたばかりだ。「対応を検討中です」と言ってやりすごしたが、そう長く引きのばせるものではない。
「せっかくご心配いただいたことですし、一肌脱いでもらいましょうか。ねえ?」
高月がニヤニヤしながら、身を乗り出した。
「あなたのほうで、調べてくださいよ」
和田山が身構えた。「調べるって何をですか」
「これまで分かったことを整理してみましょうか。朝沼さんが毒を飲んで死んだ。遺書がある。悩んでいたらしい。死の直前に、顕造の反対にあい法案を潰されている。顕造と朝沼さんの間で何かあって、死につながったと考えるのが自然です。二人の間に何があったのか、調べましょうよ。あなた、三好派担当で、三好顕太郎についていたんでしょ。情報網、あるんじゃないの?」
和田山は目を伏せた。
「この件について、三好派はだんまりですよ。顕造も、顕太郎も、親子そろって何も言わない。派閥のメンバーも当然、口を閉ざしている」
「顕太郎と直接話したいんだけど、つないでもらえないかしら」
「無理です」
「へえ」高月が面白がるように和田山の顔をのぞきこんだ。「あなたも会えてないんだ。担当記者なのに」
図星のようだった。和田山は唇をかんで、黙っている。
「まあいいや。とりあえず私は他の議員をあたります。ここにいる秘書の沢村には、他の秘書から話を聞いてもらう。和田山さんは記者仲間から情報を集めてくださいよ」
めちゃくちゃな要求だが、高月はいかにも公平な役割分担かのように言った。
「それはちょっと」
和田山は顔をあげ、戸惑った様子で高月を見た。
「簡単でしょ。お仲間の話を聞くだけですよ」
「他の記者に訊くとなると、この画像を見せなくちゃいけないでしょう。それは私としては難しくて」
「特ダネをとられるのが嫌ってこと?」
「まあ、そういうことです」
「そんなことだろうと思った」
高月は鼻で笑った。椅子に深く腰かけ直し、やや尊大にあごをあげて言った。
「記者さんって、どうしてそうも、縄張り意識が強いのかねえ」
「政治家ほどじゃないと思いますけど」と、和田山は冷ややかに返す。
高月の肩がぴくりと動いた。目が爛々と輝いている。さらに身体を乗り出し、満面の笑みを浮かべて言った。
「最終的には和田山さんの判断ですけどね。いいですよ。もし和田山さんが調査に動いてくれなかったら、遺書の内容について、私ペラペラしゃべっちゃいますよ。え? そんなことしないと思った? ハハハ、いざとなったら、何でもやりますよ。あなたが動かないなら、私から公表します。それが嫌だったら、他の記者からも情報を集めてくださいね」
高月は愛想よく笑いながら言った。
他人を脅かすときは、ニコニコ笑いながら話すのがよいと心得ているのだ。相手は戸惑い、こちらの雰囲気にのまれてしまう。
高月は立ちあがると、「本日はお時間、ありがとうございました」出口に片手を向け、和田山に退出をうながした。
和田山はムッとした表情のまま腰をあげた。高月をひとにらみすると、「こちらこそ、ありがとうございました。とっても有益な面会でしたね」と、皮肉を残して帰っていった。
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