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パーティーが終わって、中年が始まる

2024.07.20 公開 ポスト

マクドナルドのハンバーガー59円で青春時代を生き抜いた“昭和生まれ”のノスタルジーpha

最新刊『パーティーが終わって、中年が始まる』が話題の元「日本一の有名なニート」phaさん。ロスジェネ、超氷河期世代といわれるphaさんが青春時代を過ごした2000年代とは、どんな時代だったのでしょうか? その片鱗を本書より抜粋してお届けします。

デフレ文化から抜けられない

たまにファミレスに来ると、高くなったな、と思う。

ちょっとちゃんとしたものを食べようとするとすぐに1000円を超えてしまう。1500円、2000円くらいするメニューも珍しくない。そんなのちょっといい料理屋さんみたいな値段じゃないか。ファミレスってもっと、600円とか700円くらいでいろいろ食べられる手軽なところじゃなかったっけ。

営業時間も短くなった。昔は24時間営業が普通だったけれど、深夜も営業している店舗はほとんどなくなって、22時や24時に閉まるようになってしまった。

ファミレスといえば、夜中に友達と集まって、ドリンクバーを何杯もおかわりしながらだらだら喋しやべるもの、というイメージが自分の世代にはあるのだけど、そんな光景はもう遠い昔になってしまった。

ファミレスだけではなく、二〇二二年頃からすべてのものが値上がりし始めている。日本では二〇二〇年から始まった、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの影響と、二〇二二年から続くロシアによるウクライナ侵攻の影響で、全世界的にインフレが起こっているらしい。外食も、スーパーで買う食品や日用品も、電気代などの光熱費も、すべてが高くなってきている。

値上がり自体よりも、みんなが素直に値上がりを受け入れていることに衝撃を受けたかもしれない。昔だったら、客離れが怖いから値上げなんてなかなかできないものだったのに。

昔はいろんな店が値下げ合戦をするのが普通で、牛丼の並が280円だったこともあったし、マクドナルドのハンバーガーなんて一時期(二〇〇二年)は一個59円で、みんな面白がって無駄にたくさん買っていた、みたいなことをつい思い出してしまうけれど、昔はラーメン一杯が100円だった、とか語る自分の親世代と同じことをしている。

(写真:Unsplash/Road Ahead)

僕が以前に出した『どこでもいいからどこかへ行きたい』(幻冬舎)という本は、街の中のいろいろな好きな場所について書いたゆるいエッセイ集なのだけど、中でもチェーン店の話をたくさん書いた。

ファミレス、コンビニ、ファストフード。牛丼屋、漫画喫茶、スーパー銭湯。

そういった、どこにでもあって手軽に安く使えて、マニュアルとシステムで運営されているチェーン店、そんな店がたくさんあれば、大してお金がなくても楽しく生きていけるんじゃないか、と昔は考えていた。

でも、何もかもが値上がりしていく今の時代では、そんな意識は時代遅れなものになりつつあるのかもしれない。

日本は九〇年代半ばからずっと、物の値段が上がらないデフレが続いていた。

僕は一九七八年生まれなので、気がついたときにはすでにデフレで、それ以外の状態をほとんど知らない。いわば「デフレの子」だ。

また、僕らの世代は就職活動をする時期に景気が悪かったため、就職氷河期世代、ロスジェネ世代などと呼ばれている。

景気が悪くて収入も不安定。それでもなんとかやっていける気がしたのは、デフレで物が安かったからだ。低賃金と低価格がギリギリのところでバランスを取っていたのだ。

デフレが続いていたゼロ年代にはたくさんの安価なチェーン店が日本中に広がった。

ファミレスやファストフード、ブックオフやユニクロなど、昭和の商店街にあるような地元密着で非効率的な店とは違う、綺麗で安くてシステマチックな平成の新しい店たち。

昔からある店が潰れてどこにでもあるチェーン店ばかりになることで日本固有の大切な文化が失われていく、という批判も当時は多かったけれど、僕らの世代はおおむねチェーン店が広がることを歓迎していたように思う。

昭和的な古臭い店ではない、新しくて綺麗なチェーン店は、自分たちのためにあるような感じがした。日本の文化が失われつつあるのではなく、むしろこれが新しい日本の文化なのだ。そんな気持ちで、ファミレスやハンバーガーショップにたむろしていた。

しかし、その長かったデフレ時代が終わりつつある。

そもそも経済というのは、極端なインフレはよくないけど、デフレであるのもよくなくて、ちょっとインフレくらいがちょうどいいらしい。目安として、年に2%のインフレ率が目標とされていて、これをインフレターゲットと呼ぶ。

物価は少しずつ上がっていくけど、賃金も少しずつ上がっていく。そうして少しずつすべての値段が上がっていきながら、経済が成長していくのが健全な状態で、この三十年ほどずっとデフレが続いていた日本経済のほうがおかしかったのだ。

そのことは理屈としてはわかる。だけど、ずっとデフレ環境で育ってきた自分には、すべてが値上がりしていく世の中にやはり慣れない。

若い頃は、お金があまりなくてもインターネットで遊びながら、安いチェーン店とかに行ってふらふらしていれば楽しい、みたいなことを言っていたけれど、そんな言葉は昔より世の中に響かなくなってきているのを感じる。

自分はあまりにもデフレに適応しすぎてしまったのかもしれない。今まで自分の意見が注目されて本を書いたりしてこられたのは、低成長のデフレ時代にちょうど合っていたからだったのだろう。だけど、そんな考え方はもうインフレ時代には通用しないのだ。

今の若者は自分の世代に比べて、みんなしっかりしているな、と感じる。どうやってお金を稼いで生きていくか、ということを若い頃からきちんと考えている人が多い。自分たちが若かった頃は、デフレや不景気と言われていたけれど、まだ呑気でいられる余裕があったのだろう。今はもっと余裕がなくなって現実的な世の中になってきている。そんな今の状況では、僕みたいなふらふらとした生き方に憧れる人は減っているんじゃないだろうか。

年をとると、だんだんと生き方が時代に合わなくなってくる、というのは、上の世代を見て知っていたつもりだった。

だけど、いざそれが自分にやってくると、やはり戸惑う。ああ、これがそうか、意外と早く来たな。

まだもうちょっと余裕があると思っていたのにな。四十代も半ばになって、今さら生き方を大きく変えることもできなそうだし、これからどうやって生きていこうか。

最近、近所の古びた小さな中華料理屋によく来ている。本格的な中華料理屋ではなく、いわゆる「町中華」と呼ばれるような、中華料理屋なのにカレーライスやオムライスがメニューにある、そんな店だ。

のれんをくぐって店に入ると、カウンターだけの小さな店内を老夫婦が二人で切り盛りしている。セルフサービスでコップに水を注ぎ、席につく。注文をすると、寡黙な大将がサッと中華鍋をふるって、素速く料理を作ってくれる。

この店の特徴は、価格が安いことだ。ラーメンが500円、チャーハンが600円、中華丼が600円。その値段で、たっぷりの量が出てくるうえに、無料でミニラーメンまで付いてくる。

物価が値上がりしている世の中でこの価格でやっていけるのは、おそらく店の物件が持ち家で、家賃を払わなくていいからなのだろう。あと、おそらく年金収入もあるから、そんなに稼がなくてもいいのだと思う。引退するとボケそうだから体が動くうちは仕事をやっていたい、という感じなのかもしれない。

採算度外視のそんな店が営業していると、普通に家賃を払って開業しようとする若い人が太刀打ちできないから、あまりよくないのかもしれないけれど、僕みたいなお金のない人間にはこういう店はありがたい。そんなことを考えながら、いつもチャーハンなどをもそもそと食べている。

昭和的な店よりも平成的なチェーン店のほうが好きだ、と思っていた自分が、令和の今になって、こんな昭和の遺産のような店に通うようになるとは思わなかった。

本当かどうかは知らないけれど、最近ネットでときどき見かけるのが、「日本で安く外食ができる時代はもうすぐ終わるだろう」という意見だ。

ヨーロッパでは外食をすると安くても2000円とか3000円とかするので、庶民は自炊ばかりでほとんど外食をしないらしい。外食というのは富裕層の文化だ。それが普通の国で、日本もそうなっていくだろう、と言うのだ。

今まで日本の外食産業は、安い労働力をブラックな労働環境で使うことで低価格を維持してきたけれど、それは不健全な状態だった。本来外食はもっと高い値段であるはずなのだ。

海外のことはよく知らないけれど、そう言われるとそうなのかもしれない。外食産業のブラックさはときどき耳にするし、それが解消されるのならいいことなのだろう。

だけどそのことによって、そんなにお金がなくてもいろいろなものが気軽に食べられる庶民的な外食文化が失われてしまうとしたら、寂しいものがある。

ファミレスでドリンクバーを飲みながらだらだら喋ったり、自炊がだるいときは定食屋でごはんを食べたり、ときどき寿司や焼き肉を食べたり、そういったことはもうあまりできなくなってしまうのだろうか。

今はまだ、探せば安い店はある。この中華屋みたいな店もあるし、チェーン店も値上がりしつつあるとはいえ、払えないほどではない。

だけど、年金でやっていっている町中華などは、十年後や二十年後には消滅しているだろう。チェーン店もどんどん値上がりしていくだろうし、そのうち安く食事をできる店は街から消えてしまうのかもしれない。

そうなったら、世の中はどう変化するのだろう。外食という選択肢がなくなって、みんながひたすら自炊をする時代が訪れるのだろうか。年をとってから新しいことを覚えるのは大変だから、今からもっと自炊の腕を磨いておくべきなのだろうか。

いや、それよりも、平成デフレの名残りがぎりぎり残っている今のうちに、チェーン店文化をできるだけ楽しんでおくべきなのかもしれない。

ブックオフで安い文庫本を買って、サイゼリヤのワンコインランチを食べながら読もう。そのあと漫画喫茶でマンガを読んだり、スーパー銭湯でだらだらしたりしよう。夜中に牛丼屋に行って期間限定の新メニューを頼んだあと、コンビニに寄って、ちょっと気の利いたコンビニスイーツを買って帰って家で食べよう。

デフレ文化の思い出を今のうちにできるだけ溜め込んでおいて、将来ノスタルジーとして語る準備をしておこう。

「わしらの若い頃は、ファミレスで300円のドリンクバーだけ注文して五時間くらい粘るのが普通だった」

とか言って、令和生まれの若者から、

「ただの迷惑客じゃん、ほんとに昭和生まれってモラルがないよな」

と蔑まれたりしよう。

関連書籍

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出 る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフ ェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかか る高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べ ない。景色も見ない。でも、場所が変われば、 考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なの は、日常から距離をとること。生き方をラク にする、ふらふらと移動することのススメ。

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パーティーが終わって、中年が始まる

元「日本一有名なニート」phaさんによるエッセイ『パーティーが終わって、中年が始まる』について

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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