好きな人ができたとき、自分で運命を切り拓こうと思えますか? 渋谷で30年近くバーを続ける林伸次さんによる短編集『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』より、意気地なしの王子と漁師の女性のお話。
料理と出会い人生を変える
その国では国民全員が、一年のうち半年間は料理人になる決まりになっていました。大工をやっている人も、銀行員をやっている人も、もちろん王様も、一年のうちの半年間は自分の仕事を休んで、朝から晩までせっせと料理を作りました。
料理の食材や調味料は、国から全部支給されました。みんな自宅の一部をレストランやカフェ、小料理屋さん風に改装して、それぞれが自分の得意な料理を作って、そこにお客さんを招きました。
すべての国民に、朝ご飯と昼ご飯と晩ご飯のチケットが配られたので、みんなそのチケットを片手に、自分の好みの誰かのおうちに通って、朝ご飯と昼ご飯と晩ご飯を食べました。
誰も自分では料理はしません。朝から家族でそろってお目当てのあの人の料理を食べるために電車に乗って出かける人たちもいましたし、朝ご飯は近所や職場の近くですますという人たちもいました。
生まれつき歌がうまい人や足が速い人がいるように、料理の才能も人それぞれです。とびきりの料理が作れる人もいますし、いつまでたっても不器用でそれなりな料理しか作れない人もいます。
でも、その国では全国民が一年のうち半年間は料理人になって、他の人たちに自分の料理を振る舞わなくてはいけなかったので、みんなあれこれと試行錯誤しました。
たくさんお客さまが来てくれたら、たくさんのチケットが入るので後で銀行で換金すればちょっとしたお金持ちになれたから、美味しい料理を研究する人たちもいました。
でも、先ほども申し上げたように、誰もが料理の才能があるわけではありません。基本的な料理を丁寧に作って、あとは室内の雰囲気やBGM、あるいは接客の会話なんかでお客さまを集める人もいました。
なにしろ国民全員が料理人になるのです。近所の顔見知りの人たちがお昼ご飯を食べにくることもあれば、わざわざ遠くから恋人たちがディナーを食べに予約を入れてくることもあります。
その国の国民たちは、丁寧に料理を作り、お客さまが「美味しい」というのを聞いて、良かったと胸をなで下ろすという生活を一年間の半分経験したというわけです。
自分たちが料理人をやっていない半年間の時期があります。今度はお客さん側です。朝ご飯や昼ご飯や晩ご飯のチケットが手元にあるわけですから、今日は何を食べようかなと思って、国から配られた全国民の料理のメニュー表を見ます。
あなたが、王様が作るオムライスを食べてみようかなと思ったとします。王様のオムライスは、やっぱり国民みんなが一度は食べてみたい料理なので予約をとるのが大変です。予約がとれたら王様がいるお城に行き、お城の中にあるキッチンに案内されます。キッチンの前のカウンター席に座っていると、王様が一生懸命オムライスを作っているのが見えます。
王様のオムライスだからといって、食材が他の人より特別なわけではありません。食材は平等です。すべてはその料理人の腕とセンスです。王様はオムライスを作るとお皿に盛り、ケチャップをかけて、カウンターのあなたのところまで持ってきてくれます。
王様が「お待たせしました」とお皿を出し、あなたも「いただきます」と挨拶をして、スプーンでオムライスをすくって口に入れます。王様はこちらの反応をこっそりと見ています。あなたが、「美味しい。美味しいです!」とつい言葉をもらすと、王様はこちらを見て、「ありがとうございます」と微笑みます。
王様が、「今日はどちらからいらっしゃったんですか?」と質問します。あなたは近くの村の名前を告げて、「実は私もたまにオムライスを出しているんです」と伝えます。すると王様は目を輝かせて「そうですか。それではあなたが料理人の側になったら、すぐにでもうかがいます。オムライスって人それぞれの味があって面白い料理ですよね」と嬉しそうに話します。あなたが「是非、お待ちしております」と答えると、王様はウインクをして、また別のお客さんのオムライスを作り始めます。
王様の息子である王子は、食通として有名で自分が料理を作らない半年間は、国中の人たちが作る料理を食べて旅をしました。王子様だからといって決して偉そうにせず、慎ましい服装で、国民が楽しそうに料理を食べているのを隅っこで見ながら、ひっそりと食事をとるのが王子の喜びでした。
ある日のこと、海が見える丘にある一軒家で王子はお昼ご飯を食べました。そのおうちのお昼ご飯は、イカや貝がたっぷり入った魚介のサラダと、シンプルなミートソースのスパゲティだったのですが、王子はその美味しさに驚きました。
キッチンの中を見ると、作っているのはショートカットで元気そうな若い女性でした。王子は帰り際にその女性に昼ご飯のチケットを渡しながら、「今夜もこちらで食事がしたいのですが、予約はできますでしょうか?」と聞きます。「はい。一席だけ残っております。是非お待ちしております」と彼女が嬉しそうに答えました。
王子は外に出て、その一軒家を振り返って眺めながら、「こんな美味しい料理を出すところがあったなんて知らなかった」と思い、しばらく近所を歩くことにしました。丘を降りて海の方に行くと、漁港がありました。もう昼過ぎなので漁港に人はあまりいませんでしたが、網を手入れしている漁師たちがいたので、王子は彼らに近づいて話しかけました。
「作業中のところすいません。僕、このあたりは初めて来たのですが、さっき丘の上の一軒家で偶然お昼ご飯を食べたらすごく美味しくてびっくりしました。やっぱり彼女はこのあたりでは有名な料理人なのでしょうか?」
一人の漁師が答えました。「ああ、あそこね。彼女も俺たちの仲間で漁師をやってるんだ。あの子の両親も漁師だったんだけど、あの子がまだ中学生のときに船が嵐にあって亡くなってしまってね。それからずっと一人きりでああやって毎日頑張ってるよ」
そうか。彼女はずっと一人で漁師をやってたんだ、と王子はつぶやきました。
王子はこの港町をゆっくりと回り、目についた図書館で時間を潰してから、時間通りに彼女の家に向かいました。夜はどんな料理が出てくるんだろう、イタリアンなのか、それともタイやベトナムの要素があるアジアンテイストなのか、といろいろと想像して期待していた王子の予想を見事に裏切った料理が出てきました。
とろろがあらかじめかけてある麦飯に、海老で出汁をとったお味噌汁、ブリ大根、茄子ときゅうりのお漬物でした。それらは王子が今まで食べたどんな料理よりも美味しく感じました。海が近いから鮮度がいいのか、いやしかし、食材は平等なはずだから、それほど差はないはずだ、と頭で考えながら、王子はすべての料理を味わいました。
「すごく美味しそうに食べてくれるんですね」、女性が王子のそばに近づいてきました。
王子は女性を見て、「美味しいです。僕、この国中の料理を食べて旅するのが趣味なのですが、こんなに美味しい料理を作る人は初めてです」と答えました。
彼女は少し恥ずかしそうな表情を見せて、「ありがとうございます」と微笑みました。
王子は晩ご飯のチケットを彼女に渡しながら、「しつこいと思われるかもしれませんが、明日の朝ご飯も食べにきていいでしょうか?」と聞くと、「是非、お待ちしております」と彼女は答えて、ニコニコしながら頭を下げました。
次の日の朝、王子は嬉しそうな表情で丘をのぼり、また一軒家の扉を開けました。中はもう近所の人たちで賑わっていて、王子は一番隅っこの席に座り、キッチンにいる彼女を見ました。彼女は王子の方を振り向き、「おはようございます。お待ちしておりました。飲み物はコーヒーか、カフェラテ、アールグレイ、ハーブティーから選べます」と聞きました。王子は少し悩み、「カフェラテでお願いします」と注文しました。
しばらく待つと彼女が大きなマグカップに入ったカフェラテと、三つペストリーがのったお皿を持ってきました。ペストリーはチーズがたっぷり入ったものと、ブルーベリーがたっぷり入ったものと、リンゴがたっぷり入ったものでした。彼女が朝焼いたばかりなのでしょう、まだ少し温かくて、外側はサクサクしていて生地も濃厚で食べ応えはしっかりあり、王子はまた「美味しい」とため息交じりにつぶやいてしまいました。
食べ終わりそうな頃合いを見て、彼女が王子の方に近寄ってきて「いかがですか?」と声をかけました。王子が「美味しいです。本当に美味しいです」と答えると、彼女は「ありがとうございます。私も作りがいがあります」と嬉しそうに返しました。
王子は、彼女にこう伝えました。
「僕、明日から半年間の料理人の期間に入るんです。だからもう今日の夜までには自宅に帰らなくてはいけなくて。また来年、こちらにうかがってもよろしいでしょうか」
「もちろんです。是非、お待ちしております」と彼女が元気に答えました。
王子は自分の心に気づきました。そうか、僕は彼女に恋をしたんだ。だからもっともっと親しく彼女と話をしたいと思っているんだ。彼女ともう少し話したい。できれば僕の料理を食べてほしい。しかし、王子には彼女を誘う勇気がありませんでした。
王子は朝ご飯のチケットを彼女に渡して、「ごちそうさまでした。それではまた来年」と伝えて、外に出ました。
王子はお城に戻り、家族たちに挨拶をすませ、明日からの料理人としての準備を始めることにしました。自分のキッチンに立ち、さて、僕はこれから何を作るべきなんだろうといくら考えても、彼女のことが頭から離れません。
お城には、小さい頃から王子に勉強や政治や料理を教えてきた女性の家庭教師がいました。王子は母や父には言えない悩み事なんかも全部彼女にだけは話していて、お互いが信頼し合っている間柄でした。
彼女がノックをして、キッチンに入ってきました。
「王子、さっき帰ってきたときからなんだか様子が変ですが、旅先で何かありましたか?」
王子は、自分ってそんなに顔に出てしまうんだ、これはもう彼女に話してしまおうと思い、こう答えました。
「よくわかりましたね。実は、漁港の町で偶然入った家の女性が作った昼食の料理が素晴らしくて、その後、ディナーも朝食も通ってしまったんです」
「王子は、その女の人のことを好きになってしまったんですね」
「そうなんだと思います」
「その気持ちは伝えましたか?」
「伝えてないです」
「自分が王子だっていうのは伝えましたか?」
「伝えてないです」
彼女は「ふー」と大きなため息をついて、こう告げました。
「王子、この国の女の子なら、王子様に見初められたって知ると、誰でも喜ぶと思いますよ」
「そうでしょうか。でも彼女にはもう恋人がいるかもしれないし。料理人じゃないときは漁師をやっているみたいだから身分が違いすぎるって言われるかもしれないし」
「とりあえず、『今度は僕の料理を食べに来てください』って伝えるべきでしたね」
「そう思ったのですが、その漁港の町からこのお城まですごく遠いから、ここまで来るのに、彼女、漁の仕事を休まなきゃいけなさそうだし」
また彼女は「ふー」と大きなため息をついて、こう聞きました。
「それでどうするつもりなんですか?」
「来年、また彼女のところに食べに行こうかなって思ってます」
「そんな風だと、彼女、その間に誰かと出会って結婚してしまうかもしれませんよ」
「まあそうだったら、そういう運命かなって」
「運命って自分で変えられるんですよ」
今度は王子の方が、「ふー」と大きなため息をついて、「明日の朝ご飯、考えなきゃ」とつぶやきました。
彼女は、「王子は意気地なしですね」と言って、キッチンを出て行きました。
王子は、意気地なしか、そうだな、自分って意気地なしだなと思い、よし、明日から美味しい料理を出すことに専念しよう、そして来年、彼女の料理を食べに行こう、そのとき、彼女がもし結婚していても、それは運命だからしかたない、運命なんてそう変えられるものじゃない、と自分に言い聞かせました。
次の日から始まった王子の料理は、以前と明らかに変わりました。今まで王子は食べる人を驚かせる凝った料理を得意としていましたが、それが限りなくシンプルな料理になりました。もちろんあの漁師の彼女の影響です。
王子の料理のファンは国中にいたので、予約が取れないことで有名でしたが、王子の料理が変わったと話題になり、さらに予約は困難になりました。
王子は彼女の料理を意識し、彼女のあの笑顔がいっぱいの接客を意識し、お客さんたちに接しました。王子のファンはますます増えて、遠くの国から王子の料理を食べにくるお姫さまたちも増え、「私と結婚してほしい」という声もたくさん寄せられるようになりました。
王子は父や母からも、結婚はどうするつもりなのか何度も聞かれたのだけど、「もう少しだけお待ちください」と伝えて、料理に専念することにしました。
ある日の昼食は、あのとき初めて食べた彼女の料理と同じメニューにしました。魚介たっぷりのサラダと、ミートソースのスパゲティです。
お客さまたちは、みんな王子の目の前で美味しそうに食べています。王子がお客さまたちに挨拶をしていると、突然あの漁師の彼女が入ってきました。彼女の髪型は、あのときと同じショートカットのままで、水色のワンピースを着て、白いスニーカーを履いています。
彼女は、王子を見て、あの笑顔を見せながらこう伝えました。
「料理を食べに来ました」
王子はかたまってしまい、しばらく何も言葉が出ません。
「私、楽しみでもうお腹がぺこぺこで」
「あ、失礼しました。こちらにお座りください。どうぞ。今すぐご用意いたしますので」
王子は大急ぎで、でもすごく心をこめて丁寧に、魚介のサラダとミートソースのスパゲティを作って、彼女の前に持っていきました。
彼女は魚介のサラダとミートソースのスパゲティを見て、「あ!」と驚きました。
王子は「はい。あのとき初めて食べたあなたの料理と同じものが今日のメニューなんです」と伝えました。
彼女はそれを一口食べると、「美味しい! すごく美味しいです」とつぶやき、ぱくぱくぱくぱくとすべてを食べてしまいました。
王子が「すごく美味しそうに食べられるんですね」と聞くと、「すごく美味しいですから」と彼女は答えて笑いました。
「ところで、どうして僕がこの場所にいるとわかったんですか?」
「家庭教師の方が来てくれました。『私が王子の運命を変えるんだ』とかなんとか独りごとを言ってたので、『どういう意味ですか?』と聞いたところ、『それは王子の口から言わせます。とりあえず是非、王子の料理を食べてみてください。王子の料理ってすごく美味しいんです』って私の手を強く握るので、今日、漁の仕事を休んで来てしまいました」
王子はおもいきって彼女にこう告げました。
「実はあなたのことが好きで、あのときからずっと頭からあなたのことが離れないんです。もし、あなたに好きな人がいなければ、もしこんな僕でよければ、結婚を前提にお付き合いしていただけないでしょうか」
彼女は、びっくりしてフォークを落としてしまい「ガチャン!」と大きな音が響きわたりました。
王子が大慌てでそのフォークを拾っていると、今度は彼女の方がかたまっていました。
「あの、漁の仕事を続けたいというのでしたら、もちろん続けてください。僕があなたの漁港の町の方に引っ越します。僕はそこで王子の仕事を続ける、あなたは漁師の仕事を続けるというのでどうでしょうか」
「ああ、ええ、突然なことなので、どう答えて良いのかわからなくて、だってあなたは王子様だし」
「たまたま実家がこんな状況だから、たまたま王子をやっているだけです。料理の腕もあなたの方がずっと上ですし。いつでも僕はあなたの漁港の町に引っ越します」
「ああ、ええ。是非、私でよければ」
彼女がそう答えると、「おめでとうございます!」と家庭教師が扉を開けて入ってきました。家庭教師の後ろには王様とお妃様もいて、「うちの息子をよろしく」と彼女に伝えます。部屋中の他のお客さまたちも「おめでとうございます!」と立ち上がり、割れんばかりの拍手大喝采となりました。
それから数年後、王子と漁師の彼女が漁港の町で二人で作る料理は、世界中の人たちの憧れとなり、この国はいつまでも栄え続けることとなりました。
* * *
続きは、『世界はひとりの、一度きりの人生の集まりにすぎない。』をご覧ください。
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