先月から始まった、大竹まことさんによる等身大の“老い”をテーマにした連載エッセイ。本連載では、テレビやラジオで今なお活躍を続ける大竹さんの“素”がつまった言葉をお届けしていきます。2回目の今回は、変わり果てた渋谷の街で遠回りしたエピソードです。
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「破壊ありがとう」
変な名前だが、新しくうちの事務所に入った若手グループである。
大手からの誘いもあったが、なぜかそれを断って、弱小であるわが事務所に入ってきた。男2人と女1人の3人組で、一番年上が26歳である。有名大学を出て、そのうち2人は大学院まで行ったそうだ。そして、コントグループを作った。
「破壊ありがとう」
この道に入り、生き残ることができるのはほんの一握り。今年テレビの賞レースには1万3,000組もの応募があったらしい。
(過ぎし)12/6(金)、事務所に入ってからの初ライブを渋谷のユーロスペースで行う。地獄の扉が開かれる。「シティボーイズ」のきたろう(75歳)と見る約束をした。久しぶりの渋谷である。
私は前に止めた安い駐車場に車を置いて、東急百貨店本店の脇を抜けてと思ったが、そこにもう東急はなかった。広大な更地が広がって、囲いに覆われていた。
「はて」
たしか、この脇を抜けて二筋目の坂道を登っていけばと思ったのだが、ままよと坂道を登ると、そこはラブホテルばかりで道に迷った。
「迷いました」
右のホテルは休憩3,000円、泊り7,500円とある。左のホテルは休憩だけで5,000円もする。
前からカップルが——それも女性が先頭に立って、楽しそうだ。男はもごもごとマフラーと帽子で顔を隠して、おずおずとついてくる。そういう時代か。
とうとう道玄坂まで来てしまった。
コント赤信号が昔出ていた。道頓堀劇場の脇に立って、私は諦めた。
マネージャーの伊藤くんに電話を入れ、助けてもらった。
昔とはいえ、ユーロスペースは何回か来ている。なぜ道に迷ったのか。5、6分で着くところを、20分はかかった。しかもマネージャーに連れられて、劇場にたどり着くと、半死の状態のきたろうがもう座席にうずくまって石ころみたいに固まっていた。
「大竹、迷っちゃったョー」
聞けば、きたろうは私よりひどい。渋谷駅に着いて、まっすぐ線路沿いに原宿駅の方に歩いていってしまったらしい。散々迷って、東急の前に出た。
「大竹、東急がないんだョ」
30分以上歩き回ったらしい。
変わり果てた渋谷の街は、老人に冷たい。さぞ不安であったであろう。私は彼の肩を抱き、水を飲ませた。
* * *
照明が落ち、ライブが始まった。どのコントもステキだった。何本かは、ふだんあまり笑わない私も声を出して笑っていた。
葬式の受付にいる3人。どうやら彼らは三つ子らしい。親が亡くなり、健気に訪問客に頭を下げている。
とても仲のよい兄弟、しかし、そのうちの1人は養子で、3人同時に育てられたことがわかって、それが誰なのか、血みどろの罵り合いになる。
何本目かにやる結婚式のコント。花嫁役の女はスゴイ。間もよい。コントの命は「間」である。
* * *
暗転中、私は思いに沈んだ。どうしようもない男3人がコントを始めたのは、28くらいか。六本木の「ゆう子」というBarが場所を貸してくれた。大嵐の日であった。
かなり出来の悪いコントであった。しかも、客は7人。窓を雨が鳴らしていた。
これでは笑うわけがない。しかし、その客の1人に、マルセ太郎さんがいらした。
どういう理由か、マルセ太郎さんは私たちを認め、人力舎という事務所に推薦してくれた。そこには、玉川善治さんという東北出身の社長さんがいて、手厚く私たちを迎えてくれたのであった。
人力舎は、いわゆる地方回りの営業を中心とする事務所で、「サムライ日本」さんや、「ミュージカルぼーいず」さんが在籍していた。玉川さんは、たまにテレビのお笑い番組に出て、名を売り、地方の営業で稼ぐやり方から、テレビ中心の芸人さんを育てなければと思っていたらしく、私たちを迎えてくれた。
私たちがテレビに向いているかはともかく、地方の営業に行っては、失敗ばかりをくり返した。それでも、私たちは玉川さんの好意に甘え、好きなことをやった。
そして、とんねるずとともに、「お笑いスター誕生!!」で優勝する。
のちに、宮沢章夫や竹中直人、いとうせいこう、中村ゆうじが加わって、東京のサブカルチャーの担い手と言われ、客席はおしゃれな東京人で埋まっていった。
「砂漠監視隊」は、何もない砂漠を5人の男たちが監視をするというシュールな劇であった。ラフォーレ原宿の8階の会場一面に、何トンもの砂を——実際の砂を敷き詰め、男たちは無為に時が過ぎるのを待った。
* * *
(コントが終わって)きたろうが私を見た。何か言いそうであったが、私にはもうわかっていた。
そうなのだ。
きたろうも久しぶりに昔を思い出している風であった。
「よかったヨネ」「そうだな」
楽屋に寄って、若者たちを見て「若いなぁ」とあらためて思い、私もきたろうも軽く祝儀を切って小屋を後にした。
帰り道は、さすがに迷わない。昔あった「ヘギソバ」の店を見つけた。
年寄りはソバに限る。「シティボーイズ」の斉木(75歳)も来るはずであったが、出がけに立ちくらみがして、その場に座り込んだらしい。元気になったら劇場に来ると言っていたが、どうしたのか?
劇場に、ジジイ、3人、がん首そろわなくてよかった。
ジジイの細道
「大竹まこと ゴールデンラジオ!」が長寿番組になるなど、今なおテレビ、ラジオで活躍を続ける大竹まことさん。75歳となった今、何を感じながら、どう日々を生きているのか——等身大の“老い”をつづった、完全書き下ろしの連載エッセイをお楽しみあれ。