速水健朗さんのポッドキャスト「これはニュースではない」と幻冬舎plusがコラボし、「80年代と90年代はどう違ったか。」が3回配信されました(ゲストは米澤泉さん。その1、その2、その3)。時事ネタ、本、映画、音楽について、膨大な知識を背景にしたウィットにとんだ切り口が人気の速水さんのポッドキャスト。その書籍版『これはニュースではない』も読み物ならではのおもしろさがあります。コラボを記念し、抜粋記事をお届けします。
ボビ男の有害性とホイットニー・ヒューストン
「有害な男らしさ」という言葉を聞いていつも浮かんでしまうのが「ボビ男」という言葉である。「ボビ男」なのか「ボビ夫」なのか、ともかくボビー・ブラウンに憧れて、髪型やファッション真似をする日本人男性のことをそう呼んでいた時代がある。僕の世代が中学から高校生だった80年代末のことだ。
この当時の「ボビ男」たちは、丈の短いダブルスーツにゴールドのチェーンとかのファッションで決めて、サイドを借り上げてトップボリュームを増すみたいな、『SLAM DUNK』の宮城リョータは、ちょっとボビ男が混ざっている。ボビー風のダンスも流行していた。また、当時の「ボビ男」たちはスクールカーストの上位に君臨していた。
そして、ボビー・ブラウンは、ホイットニー・ヒューストンの夫だった。12月末公開の映画『ホイットニー』は初日か翌日に観た。ホイットニー・ヒューストンの生涯を描く伝記映画。まずは彼女の評伝映画なのだから、ボビーでもボビ男のことでもなく、まずはホイットニーの人生を3つのポイントを通して触れてみたい。
まずは、ブーイングの話。1988年、89年、彼女は2年連続でソウル・トレイン・ミュージック・アワードの授賞式にスターの1人として立った。だが、2度とも会場からブーイングが起きる。なぜブーイングなのか。彼女は「黒人音楽的でない」という評価がついて回った。ホイットニーは、黒人文化を代表しないし、ソウルやR&Bを代表しなかった。ホイットニー・ヒューストンは黒人音楽を普通のポップスにした。
この授賞式でのもう一つのポイントがホイットニーとボビー・ブラウンの出会いだった。へえ、と思ったのは、ホイットニーの方が格上だったはずなのに、若いボビーの方が自信満々、むしろホイットニーが引け目を感じているという描き方だ。
ボビーは14歳からニュー・エディションというグループのメンバーの中心として活躍していた。だからキャリアは長い。でも年はホイットニーより6つ下だ。ニュー・エディション時代のボビーは、かわいらしい少年だが、大人になってソロで活躍するようになったボビーは、下世話で不良でショービズの匂いがする男になっている。当時の彼をプロデュースしたのは、LA&ベイビーフェイス、テディー・ライリーらニュージャックスウィング、R&Bの直系王道のビッグネームたち。ブラックミュージックの先端といっていい。
それに比べてホイットニーは上品で都会的なポップス歌手だった。お昼のFM番組でかかるオリビア・ニュートン=ジョンみたいな歌手。ホイットニーがボビーに引け目を感じている背景は、こうした立場の違いだ。
ボビーとホイットニーは結婚するが、それが彼女の転落の始まりでもある。ヘビードラッグ、絶え間なく続く夫の浮気。ボビー・ブラウン側にも言い分はあるのだろうけど、映画ではたっぷりとダメ男として描かれている。
ポイントその2は、1991年。スーパーボウルのオープニングで「星条旗よ永遠なれ」をホイットニーが歌う瞬間。このショーの10日前に湾岸戦争が始まっている。ホイットニーはこの瞬間に国民的な歌手の座に着いた。彼女は黒人文化を代表しなかったがアメリカを代表する存在になった。そして、これが彼女のキャリアのピーク。映画はそういう意図でこの場面を描いている。
ホイットニーは、自らの方向性をセルフプロデュースしたいと思っていた。だが、それはことごとく父親やボビー・ブラウンに邪魔される。少なくとも、映画はそういう筋書きで進んでいく。スーパーボウルでの衣装は星条旗をあしらった白のトレーニングウェアだったが、それは彼女の「セルフプロデュース」によるもの。ドレスではなく、スポーティーな路線という外しのアイデア。むしろ彼女の多くの人生は、ドレスを押しつけられてきたはず。
映画の『ボディガード』。これはホイットニーのために書かれた脚本ではなく、ダイアナ・ロスが70年代末に演じるはずだったもの。当時は、ダイアナが拒み、撮影には至らなかった。おそらく彼女は、白人男性と黒人女性歌手の恋愛物語に躊躇した。ホイットニーがそれを引き受けた。ダイアナ・ロスもまた、黒人らしくないことを批判された歌手だ。
黒人音楽が脱色されていく。音楽会で起きたこうした変化は、クロスオーバーと呼ばれる。マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』(1979年)と『スリラー』(1982年)の間のどこかでクロスオーバーの時代の裂け目がある。ホイットニーが現れるのはそのあとのこと。
映画と評伝で食い違う部分がある。
僕が読んだのはケビン アモンズ『グッド・ガールバッド・ガール ホイットニー・ヒューストンのインサイド・ストーリー』。これが正確とは限らない。デビュー前にアリスタ・レコードの社長、クライヴ・デイヴィスがホイットニーの歌をクラブに聴きに来る。彼は、歌でなくルックスに可能性を感じる。デビューからしばらく、彼女はルックスを前面に出したプロモーションが行われる。特に日本では、ハイレグの水着の写真がジャケットに使われ、本国とも違ったプロモーションが行われていた。あの水着写真が、日本盤オンリーの仕様だというのは、あとから知った。ただ性的イメージを前面に出した意図という感じではない。健康的なイメージとしての水着。そして、あの時代らしいのは、セパレーツではなく、ハイレグというところ。都会的な新しい世代の女性という感じ。クラリオンガール時代の蓮舫のような感じ。
ホイットニーがデビューした85年は、すでにマイケル・ジャクソンもマドンナもプリンスも大スターで、ブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエルもセールスが絶好調だった。ビッグスターが大渋滞を引き起こしている。最中に割って入ったホイットニー。
マイケル・ジャクソンが死んだ後の世界、プリンス亡き後の時代、僕らはそれをどう生きるべきか考えてしまうが、同時にホイットニーが失われた後の世界についても思いを巡らすべきだ。ボビ男世代に生きた世代になりに。
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【お知らせ】
米澤泉さんと速水健朗さんのトークは、音声と動画の両方を公開をしています。ぜひご覧ください。
「80年代と90年代はどう違ったか。その1」米澤泉さんと対談。雑誌『Olive』とハラカドの話。(音声/動画)
「80年代と90年代はどう違ったか。その2」米澤泉さんと対談。「世界の坂本」が90年代にいかに向き合ったか(音声/動画)
「80年代と90年代はどう違ったか。その3」米澤泉さんと対談。2人のキョウコの話。(音声/動画)
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ライター・編集者・速水健朗さんによるポッドキャスト『速水健朗のこれはニュースではない』の書籍版からの試し読みです。