前回の『アステリオス・ポリプ』に続いて、今回も海外のマンガの翻訳を紹介します。
ケイト・ビートンの『DUCKS(ダックス) 仕事って何? お金? やりがい?』です。
ただし、英語で書かれていますが、英米の作品ではなく、カナダのマンガです。
そして、アメリカのマンガ賞の最高峰であるアイズナー賞において、2023年の「ベスト・グラフィック・メモワール(最優秀自伝マンガ)」と「ベスト・ライター/アーティスト(最優秀脚本・作画)」の2部門で受賞しています。
この2つの部門の名称にもあるとおり、作者であるケイト・ビートンが、21歳からの2年間で経験したことを、自分の言葉と絵で描いた作品です(ビートン自身は現在41歳)。
ちなみに、この『ダックス』は、季刊文化誌「フリースタイル」(2025年冬号)の特集「このマンガを読め! The Best MANGA 2025」で、第8位にランクインしていますが、その作品総評の鼎談のなかで、マンガ解説者の南信長さんが、「これを読むまでは、カナダってもっとちゃんとしてるのかと思ってた」と発言していて、私は思わず笑ってしまいました。
しかし、笑いごとではないのです。
私たち日本人にとって、カナダは『赤毛のアン』の国で、豊かな大自然に囲まれながら、文化や教育や福祉も充実しているといったイメージがあり、しかも、ケイト・ビートンの故郷のケープ・ブレトン島は、『赤毛のアン』のプリンス・エドワード島のすぐ右隣なのです(地図の上で)。
たしかにケープ・ブレトン島は美しい自然に囲まれていますが、この100年ほど景気が良かったことなどなく、より良い未来を望むならここから出ていくほかない土地なのです。
そんなわけで、大学の文学部を出ながら、学生ローンですでに首が回らなくなったビートンは、カナダ中西部のアルバータ州のオイルサンド(砂岩層から石油を取りだす極寒の鉱業地帯)へと仕事に向かいます。
女性なので、さすがに鉱山労働ではありませんが、ほとんど女性のいない場所で、工具倉庫係を務めます。その日常生活の悪戦苦闘ぶりがじつに淡々と、細々と描かれ、しだいに、その重さが私たち読者をも絞めつけてきます。
まずは、男の労働者たちによるセクハラが苦痛の種になりますが、筆致はあくまでも確かな落ち着きをもって描かれています。とはいえ、この落ち着きを得るために、約20年もの時間的距離を置く必要があったわけです。
しかし、そうした男たちの粗暴さが、金銭のためだけに故郷を捨てざるをえなかった社会格差から生まれていることや、このサンドオイルという産業形態そのものが、先住民の土地の収奪から生まれ、環境破壊と、労働者を使い捨てる資本主義のメカニズムによって支えられていることが明らかになっていきます。
表題の『ダックス(カモたち)』とは、オイルサンドの廃棄物で汚染された貯水池で死んだ大量の鴨を指しているのですが、この鴨が私たち自身でないとはいえないことに気づいて、私たちは愕然とします。
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