2022年の杉並区長選に迫ったドキュメンタリー「映画 〇月〇日、区長になる女。」は、2024年1月の公開から連日満員、全国50館の上映にまで広がりました。そして、このたび第79回毎日映画コンクールでドキュメンタリー映画賞を受賞。監督のペヤンヌマキさんはなぜ、選挙を撮る女になったのか? 自らを綴る新連載の始まりです。
選挙にも政治にも無関心でいたらとんでもないことが進んでいた!
2024年12月29日、私は北海道の知床半島オホーツク海沿いの町でカメラを回していました。私が監督したドキュメンタリー「映画 ○月○日、区長になる女。」の上映会がこの日本最北東の半島の町にあるカフェで行われたのです。年の瀬、雪が積もる中、山小屋のようなお店に、近所から隣の町から少し離れた町から、老若男女たくさんの人々が集い、映画を観て熱心に語り合う。その光景を見て、その輪の中に入って、私はなんだかフワフワ夢見心地でした。
「映画 ○月○日、区長になる女。」は2024年1月2日から東京都中野区にあるミニシアター、ポレポレ東中野1館で封切られました。驚いたことに初日から18日間連続で満席が続き、全国50館に上映が拡がりました。
更に、映画を観て自分のまちでも上映したいという人が次々と現れ、9月からは自主上映会を募集したところ、多くの申し込みがあり、映画館での上映と併せると41都道府県120箇所以上で上映されました。映画館のない町の公民館やカフェ、古民家、本屋さん、お粥屋さん…町の人たちが集う素敵な場所で個性豊かな上映会が開かれました。
映画を観た後のお話会に監督が呼ばれることも多く、私は1年かけて全国を飛び回り、ついに日本最北東の地までたどり着いたのです。こんなことになるとは思いもしませんでした。
「映画 ○月○日、区長になる女。」とはどんな映画なのか?
2022年の杉並区長選挙に私が密着して撮ったドキュメンタリーです。
と言われてもなかなかピンと来ないですよね。そもそも選挙にも政治にもあまり関心がなかった私がなぜ選挙のドキュメンタリーを撮ることになったのか?私はこれまでアダルトビデオを監督したり、演劇の作・演出をしたり、テレビドラマの脚本を書いたりして生活してきました。
選挙権を得てから約30年経ちますが、投票に行くようになったのは20代後半くらいからですし、投票行動としても投票日前日に選挙公報にさらっと目を通して、なんとなくこの人かなと思った人に入れる、といった具合でした。日々の生活に精一杯で政治に目を向ける余裕がありませんでした。
そもそも選挙や政治って自分からはほど遠いものだと思っていました。政治は偉い人たちが動かしていて、その偉いとされる政治家は陰で悪いことばかりしてる人たち、選挙に立候補する人は政治家という地位を得たい人、選挙の時に投票をお願いしてくる人は宗教関係の人、そんなイメージを勝手に持っていました。
選挙といえば、街宣カーが家の近所まで来てうるさいので早く終わってほしいくらいにしか思っていませんでした。義務感で投票には行くけれど、選挙で何かを変えられると思ったことはなかったし、選挙や政治に深く関わろうという発想はありませんでした。そう、2022年の杉並区長選挙までは。
私は長崎県で育ち18歳の時に大学進学で上京し、杉並区に住んで約25年になります。同居者は猫のびーちゃんと亀のカメキチ先輩。長崎で山と海に囲まれて育った私は、都会に憧れて上京したものの、住むところは静かな場所でないと落ち着きません。
杉並区は都心部から近いのに、緑が多く閑静な住宅街が広がっていてとても住みやすいまちです。アパートの窓からの景色には木があり、小鳥のさえずりで毎朝目覚める。近所を流れる善福寺川は、春には桜が満開になり、新緑の季節には生き生きと草木が生い茂り、秋は落葉したイチョウの黄色い絨毯が広がり、冬は様々な渡り鳥がやってくる。
バードウォッチングが趣味になり、毎朝川沿いを散歩しながら出会った鳥さんたちを撮影してSNSでアップしていたら、「ペヤンヌさんってヴェネツィアかどこかに住んでるのかと思ってました」と言われたこともあります。東京にもこんな場所があるなんて! 私はここでの暮らしがとても気に入っています。
しかし、そんな私の生活を脅かす出来事が起きました。私が長年住んでいるアパートが道路計画による立退区域に指定されていたことがわかったのです。
私は自分の暮らしが奪われる危機に直面して初めて、自分が住んでいる杉並区の区政を調べ始めました。すると、道路計画は東京都と杉並区が住民の意見を聞かずに進めているらしいこと、杉並区は3期12年に渡り同じ人が区長をやっていて、その区長が道路計画推進派だということがわかりました。
すごくモヤモヤしました。25年も住んでいるのにそんな重要なことを知らなかったなんて。政治に無関心でいたら知らないうちにとんでもない計画が進められていたのです。国レベルではそういうことに気付くタイミングがこれまでたくさんあったはずなのに、私はそこまでの危機感を持つことができなかった、どこか他人ごとだった。そんな自分が恥ずかしくなりました。
ともあれ、知ってしまったのだから、動くしかない。いったん思い立つとわりかし行動力のある私です。これまでも、フィギュアスケートを観るのが好きすぎて自分も選手のように華麗に滑りたくなり37歳でフィギュアスケートを習い始めたり、舞踏集団大駱駝艦の公演を観て自分も踊りたくなり、42歳で合宿に参加し白馬の山奥で全身金粉姿で踊ったこともありました。
そして私は、次の区長選挙が近づいてきていること、区長を変えたいと思っている人たちによって「住民思いの杉並区長をつくる会」が結成されたことを知ります。しかし選挙まであと3ヶ月を切ったのに肝心の候補者がまだ見つかっていないというではありませんか。大丈夫なんだろうか?とヤキモキしながらスマホの前でSNSで発信される情報を見守っていました。そして4月末になりやっと候補者が見つかったとの知らせが。
岸本聡子さんというヨーロッパのNGOで公共政策を研究し世界中の市民運動をサポートしてきた方だとのこと。しかも年齢も私の2歳上の同世代の女性でした。これは会いに行くしかない! 私の行動センサーがついに起動しました。それから私は選挙にどっぷりと関わっていくことになります。そしてこの岸本聡子さんが、のちに187票という僅差で当選し「区長になる女」というより「区長になった女」になるのですが、その時の私には知るよしもありません。
2022年私はこの杉並区長選挙を通して、自分の生活が選挙や政治に繋がっているということに、やっと気づくことになるのです。自分たちが動けば政治は変えられる。私にとって「選挙」が初めて「自分ごと」になったのです。
私が「区長になる女」と出会い、「撮る女」になった経緯を詳しくお話ししていきましょう。
(第2回へ続く)
「映画 〇月〇日、区長になる女。」
映画の詳細・公開情報などは公式ホームページへ
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○月○日、区長になる女。を撮る女。
2022年杉並区長選挙は、岸本聡子がわずか187票差で現職を破った。彼女と彼女を草の根で支えた住民たちに密着したドキュメンタリー『映画 ◯月◯日、区長になる女。』は全国から注目を集めロングラン上映が続いた。監督のペヤンヌマキはなぜカメラを持ったのか? 自らが綴るもうひとつのドキュメンタリー。
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