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放送作家・澤井直人の「今日も書く。」

2025.01.19 公開 ポスト

2024年、芸人養成所の講師になってみた澤井直人(放送作家)

12月27日。品川駅の新幹線の改札に切符を入れた。

昨年の同じ時期を思い出す。正月の元日お笑い番組の生放送に立ち合い、そのあと新幹線に乗ろうとしたとき、スマホ画面から能登半島で起こった地震の速報が目に飛び込んできた。品川駅で足止めをくらい、やっとのことで京都に帰ったが、年末年始の疲れからか体調を崩した。結果的に家族との時間もほとんど過ごせないまま終わってしまった。

今年は年末に誘っていただいたお仕事をすべて断り、スケジュールをまっしろにした。大晦日の4日前には綺麗に仕事を納めることに成功した。

 

新幹線の中で珈琲を飲みながら目を瞑ってゆっくりと一年間を振り返った。

振り返ってみると、2024年はジャンルの違ったお仕事にも挑戦した年だった。

作家人生ではじめてお受けしたお仕事……「芸人養成所の講師」。“HORIPRO COMedy Academy”というホリプロコムさんが新しく作ったお笑いのスクール(養成所)で月1回、本社のある目黒に行き、数十名の生徒たちの前で90分間授業をするというものだ。
私自身も10年以上前は、大阪のNSC(35期生)に通っていた元芸人。当時は数名の放送作家さんが日替わりでやって来て、ネタ見せ&ひと言アドバイスをくださるという授業が多かった。

もちろんネタは芸人の「名刺」。大切なのは言うまでもない。でも、“漫才、コント、モノマネ……ネタだけを作るのが芸人”って果たしてそれでいいのだろうか。そう思っていた私は、養成所の入学式の日に名誉校長であるリーダーこと渡辺正行さんに「ネタの授業はしないですが大丈夫ですか?」と真っ直ぐお伝えした。今のテレビのタイムテーブルをみていて思うが、ネタ番組よりもトーク番組の方がずっと多い。ネタだけで世に出るのは、実はとんでもなく大変だからだ。

授業は毎回、養成所のスタッフさんを通じて生徒に宿題を出すところから始まる。

例えば……“トーク”の授業。
この日のお題は【写真をつかったエピソードトークを持ってきてください】だった。

「エピソードの完成度」「クオリティ」。講師になって0年目だから、そんなものはまず何も気にならない。汗をかいてエピソードトークを作ってきてくれた生徒か、即席で臨んでいる生徒か、それは一目瞭然で分かるが……。汗をかいてきてくれた生徒の話を聞いていると、話の中に絶妙なテンポ、ワード、イントネーション、間、動き、表情、強弱……ネタにもスライドさせられそうなヒントが顔を出す。

生徒のひとりである内藤君は、エピソードトークをしながら何枚もの写真を高速でスワイプしていった。トークのテンポが気持ち良かった。「この話し方は漫才にも、フリップ芸にも活かした方がイイよ。」そう伝えた。

里さんという生徒は、元々アメリカでダンサーをしていた特異な経歴から、動きのキレ、目を見開く表情、声量が圧倒的に抜きんでていた。エピソードをしながら、前後に動いたり、表情で誘い笑いしてくるのはズルかった! けれども笑っちゃう。

内藤君も里さんも、エピソードトークの中でネタでも応用できるパッケージになっていた。「そのキャラ、コントにも使えそう!」授業終わりに二人に伝えた。

ひとつ言えるのは、汗をかいた方が絶対にいい! 「汗をかける人か、かけない人か」。これは養成所を出て外に出ても、すぐに相手に伝わってしまう。自分のまわりの売れている芸人さんと話していると、「腹をくくって死ぬ気で汗をかいた2年」という話になることが多い。私も裏方ではあるが24歳~29歳の頃、「毎日人に会い、エピソードを集め、死ぬ気で企画を書いた5年」という期間があった。そこで基盤は出来たと思っている。

授業の前後で生徒とお話をする機会も徐々に増えていった。そこで、生徒の1人が同期でボーリングに行ったときの写真を見せてくれた。「いい写真ダナ......」。そう思っていたとき、NSCの同期の瀧尻からLINEがきていたことを思い出した。「12月に同期で大阪で集まって飲もうって話しているんやけど、澤井こない?」自分は東京で仕事と被って参加できなかったが文面で少しやり取りをした。彼は、同期の中でも大喜利の能力に長けていて当時「笑いのセンスでは勝てない」と思った1人だった。コンビを組もうって誘ってくれていたが、作家でやっていこうと意思が固かったので形にはならなかった。
彼はこの世界からは退き、一般企業に就職したという。お笑いを辞めたときはモヤモヤが残っていたが、時間も経ったことで、今は同期と気軽に連絡が取れるようになったそうだ。

後日、LINEが鳴った。「この前の写真送っておくわ! みんなあんまり変わってなかったで。青春やった!」と。

NSC大阪35期の同窓会

仲間と出会えたことが、養成所に行って一番よかったことだと本気で思う。生涯の友が多く見つかった。毎日のように電話するタクシー運転手さんの同期もいれば、沖縄に住んでいてもよく連絡をとる同期もいる。相手の実家と私の自宅が近いという縁で、家族同士でご飯に行こうと計画している同期もいる。
養成所にいたのは1年という短い期間だったが、濃密にお笑いと向き合った一年間は全く無駄ではなかった。生徒たちにも、自分の中の笑いをM-1、キングオブコントで上に行くためだけの道具だと決めつけないで欲しい。それだけになってしまうと、お笑いはどんどん苦しくなっていくし、好きで入ってきたお笑いの世界を嫌いにさえなってしまう可能性もある。

2024年の最後の授業で、生徒の1人が「相方と連絡がつかなくなってしまった。」と話していた。

伝えるなら今だと、生徒たちに話した。

「笑いっていうのは日常のコミュニケーションを円滑にしてくれる大きな武器。この学校でエピソードトークを授業にしているのはまさにそうで。芸人を続けるのが勝ち。でも辞めることも勝ち。もし芸人を辞めて、お笑い賞レースに出なくなったから“お笑いは終わり”じゃなくて、その笑いの技術で、仕事相手、友人……そして家族を笑わせばいい。そうすることで絶対良い人生になるでしょう。」

私は上京したとき、「1日に新しい人と3人会う」と決め、そこで聞いたエピソードを軸に100個のエピソードトークを作った。こうすることで本当に生きやすくなった。20代の頃は、そんなエピソードを毎年正月に実家の食卓で話していた。おばあちゃんが「あんたはホンマに面白い子やな~」とホッピーを飲みながらよく褒めてくれていた。ソレでイイのである。

今年の正月はたっぷりと10日間も休めた。お雑煮も食べれた。温泉にも入れた。犬の散歩も出来た。故郷の両親にも会えた。そして、妻と娘の住む京都で、ゆっくりと同じ時間を過ごせた。元日に担当したバラエティ番組を自宅のテレビで観ていても3歳の娘はうんともすんとも。Eテレでこども番組をやっている先輩作家さんも言っていたが、結局、こどもを笑わせるのが一番難しい。どんなにお笑いと向き合っていても、自分の娘を笑わすものが作れていないのは大ピンチ! 今年は娘を笑いでノックアウトできるそんな作品を作れたらいいな。そう思った2025年の幕開けだった。

1年のはじめは京都の芸能神社“車折神社”でお参り。

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放送作家・澤井直人の「今日も書く。」

バラエティ番組を中心に“第7世代放送作家”として活躍する澤井直人氏が、作家の日常のリアルな裏側を綴ります。

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澤井直人 放送作家

1990年生まれ。放送作家。

NSC35期出身。同期には、ゆりやんレトリィバァ、ガンバレルーヤ、からし蓮根、かが屋加賀などがいる。養成所を卒業後、放送作家を目指し、上京。企画書を年間500本作成し、日本テレビ、フジテレビ、テレビ東京などで活躍の幅を広げてきた。最近では、エッセイ、小説など書く仕事にも挑戦中。主な担当番組に『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ(フジテレビ)』、『タクシー運転手さん一番うまい店に連れてって!(テレビ東京)』、『ダウンタウン vs Z世代 ヤバイ昭和 あり?なし?(日本テレビ)』、『NEOべしゃり博(フジテレビ)、『地球風呂』(テレビ東京)などを担当。

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