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ジジイの細道

2025.02.10 公開 ポスト

「森永卓郎さん、ありがとう」死ぬ24時間前彼はなにをしていたか大竹まこと

昨年末から始まった、大竹まことさんによる“老い”をテーマにした連載エッセイ。
各種メディアで今なお活躍を続ける大竹さんの素の言葉をお届けしている本連載ですが、3回目の今回は、先日お亡くなりになられた経済アナリストの森永卓郎さんについてのお話です。
大竹さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組、文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ」でもおなじみだった森永さん。その死を悼む声が各所で挙がっていますが、大竹さんの今の心境を書き下ろしていただきました。

*   *   *

2025年1月27日 午後1時33分
森永卓郎は、その67年の生涯を閉じた。
すごい男である。死ぬ間際まで、自らの携わるラジオ番組をまっとうして果てた。

同年1月28日の番組冒頭で、私はリスナーに語りかけた。
「森永さんは、リスナーとの約束を破り、私との約束も破り、バットを振り抜いて、亡くなりました」

 

時系列から説明しよう。
26日の月曜日、阿佐ヶ谷姉妹と私、局アナの砂山圭大郎さんが、月曜レギュラーの森永さんを迎えて始まる。
文化放送のラジオ番組である。

森永さんは、その日体調が悪く、スタジオには来られず、リモートでの出演となった。
それが彼の最後の生放送になった。つまり、26日の昼の生放送をこなし、翌日の昼に亡くなられたのだ。
死ぬ1日前まで仕事に立ち向かっていたのだ。スゴイ男である。最後までエンターテイメント。激痛をものともせず、死ぬ間際まで皆を楽しませてくれた。

始めリモートの画面には、バックの白いカーテンが陽に照らされてまぶしかった。彼はと見れば、画面の右隅に腰を曲げて、体も少し傾いて、モソッと動いたが、多分照明から外れて影になった彼の顔が歪んだように見えた。
しかし、声はいつものように明るく、番組の恒例になっている阿佐ヶ谷姉妹との妙なデュエットが始まるのである。

歌は「君は薔薇より美しい」。

2年前、森永さんは、ガンが発見され、ステージ4の宣告を受けた。余命4カ月。その年の桜は見られないだろうと言われたそうだ。
しかし、桜が散っても、銀杏の葉が黄色く色づいても、彼は明るく働き続けた。
ラジオも続けて、調子はずれのデュエットは、リスナーの楽しみにもなってしまった。

私は失礼にも「死ぬ死ぬ詐欺」だと番組で叫び、リスナーは皆笑った。もう最後だからと、書いてはいけないことを全部本に書いた。本のタイトルも『書いてはいけない』(2024年3月、三五館シンシャ)になり、30万部(2025年2月時点)が売れ、ベストセラーになった。

それが最後の本かと思ったが、彼はその後も本を書き続け、亡くなるまでに6冊の単著を書き上げた。単著でない書籍も含めると、計13冊、さらには3月には刊行予定の本もあるという。

パソコンの打ち込みのキーボードが2台壊れたらしい。
先の月曜日も昨年末に刊行された『余命4か月からの寓話』(2024年12月、興陽館)を、リスナーにプレゼントまでして、それが最後の放送になった。私はずっと「死ぬ死ぬ詐欺」を続けてほしかった。

秋のイベントには、6000人(推定)の番組ファンが押し寄せた。
森永卓郎は、増上寺の屋外ステージに立ち、「あ~~あ~~」で始まる、クリスタルキングの「大都会」の歌で登場し、観客に向かい、「まだ生きてるぜぇ」とロックな気分で観客に答えた。大喝采である。一緒に舞台に出演していた光浦靖子もいとうあさこも、皆笑っていた。

6000人をバックに森永さんを中心に撮った記念写真は、写真嫌いの私の宝物になった。イベントの最後、森永さんは「来年の浜祭(はままつり)も来るぞー」と叫び、私はすかさず「約束だぞ」と切り返した。

それがこのエッセイの最初につながる。森永さんは、リスナーや私との約束を守ってくれなかった。

最後のメッセージ。それは社会への提言であった。
なぜ、こんなに人を袋叩きにする社会になってしまったのか。
我々は人をボコボコにするために生まれてきたのかと。

昔、フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」とのスローガンを掲げていた。そしてエンターテイメントは無駄であるが、世の中にとって必要なものは、この無駄の中にこそあるとも言われた。

楽しい社会。それは森永さんのおっしゃるとおり、演劇、絵画、テレビ、ラジオ。これで1杯のごはんが食べられるわけではないが、皆、ドリフターズやコント55号で笑い、ジャッキー・チェンの映画で私は泣いた。

森永さんは、また大の収集家でもあり、家は12万点の貴重なガラクタにあふれ、とうとうB宝館という専用の建物まで作ってしまった。
その一部——シュウマイ弁当に入っている陶器の醤油さし。牛乳瓶のフタ。缶コーヒーの缶。ビックリマンシール。有名人に書いてもらった、だじゃれのグッズ。たとえば井森美幸には、森永のミルキーに(井森ミルキー?)、こまどり姉妹はコマに(コマどり姉妹?)。ずらりと並んだバガボンのパパ。
まだまだある。何しろ12万点もあるのだから。

森永さんのおっしゃる「楽しい社会」。
彼は世の中の役に立たないものに囲まれて死んだ。
遺言は「戒名はいらない。遺骨は燃えるゴミの収集日に出してくれ(法律的には無理です)」と、息子で同じ経済アナリストの康平くんが伝えてくれた。

書き忘れたことがある。森永さんは、いつも番組に必ずお菓子を持ってきてくださっていた。それは沖縄のアイスクリームであったり、名古屋の赤福。
それが後年には、自宅で採れた野菜に変わる。おいしいのだが形の悪いトマトや曲がったキュウリ、育ちすぎたゴーヤなど。阿佐ヶ谷姉妹は毎回楽しみにしていた。
ガンが発病してからも、階段を上るのもきついというのに、それらの野菜が畑でできるたびにである。スイカは全部で5回以上あったと思う。皆で割って、その場で食べた。不思議なもので、まずいスイカほど、場は盛り上がった。

森永さんも笑っていた。
森永さんは笑っていた。

合掌。

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ジジイの細道

「大竹まこと ゴールデンラジオ!」が長寿番組になるなど、今なおテレビ、ラジオで活躍を続ける大竹まことさん。75歳となった今、何を感じながら、どう日々を生きているのか——等身大の“老い”をつづった、完全書き下ろしの連載エッセイをお楽しみあれ。

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大竹まこと

1949年生まれ、東京都出身。79年に斉木しげる、きたろうとともに結成した、コントユニット「シティボーイズ」メンバー。『お笑いスター誕生‼』でグランプリに輝き、人気を博す。毒舌キャラと洒脱な人柄にファンが多く「大竹まこと ゴールデンラジオ!」などが長寿番組に。俳優としてもドラマや映画で活躍。

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