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『警視庁公安捜査官 スパイハンターの知られざるリアル』の著者、勝丸円覚さんは元警視庁公安部外事課所属で、TBSドラマ『VIVANT』では公安監修もされています。スパイとの攻防の生々しい事例を紹介しながら、スパイを見破る「手の内」を明かした一冊から、一部をご紹介します。
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ハニートラップは段階的に接近してくる
スパイ関連の話になると、必ず出てくるのが「ハニートラップ」についての話だ。ハニートラップとは読んで字のごとく「色仕掛けの甘い罠」のこと。
最近ではスパイに限らず、芸能人が売名行為や示談金目当てで近づいてきた美女に騙されて、ツーショットの写真やネタを週刊誌に売られることも指すようになった。
ハニートラップの話になると、なかには、「いくら美女が近づいてきても、普通はおかしいと思うでしょう。私は騙されない自信ありますよ」と豪語する人がいる。
さすがにいきなり好みの美女が目の前に現れて、「これから二人きりになれる場所に行きませんか?」と誘ってきたら、誰でもおかしいと思って警戒するだろう。
その点、本物のスパイが仕掛けてくるハニートラップは実に巧妙だ。なぜなら、段階的に接近してくるからだ。
筋書きはこうだ。まずは、馴染みの店で新しく女性の店員が働くようになった。目を見張るほどの美人ではないが、笑顔がかわいい女性だ。
何度か顔を合わすうちに、世間話をするようになった。その彼女は、こう言う。
「じつは、近くのチャイニーズレストランでも働いているんです。今度、一緒にランチでもいかがですか?」
何度か顔を合わせているうちに、このような誘いにも違和感がなくなってくる。
心理学用語に「ザイオンス効果」(単純接触効果)というのがある。人は接触回数が多い人やものに対して心を開いて親近感を抱いてしまう、というもの。
ハニートラップはこの心理を利用する。近所のレストランでランチを一緒にするくらいなら、流れ的に何も違和感を抱かないからだ。
このように少しずつ接近して安心させ、二人きりになるハードルを下げるのがハニートラップの常套手段になる。
スパイは10回会うまでに見切りをつける
二人で会うきっかけができたら、今度は「自己開示のテクニック」を使って、自分のことを話すことで相手からの信頼を得る作戦に出る。自己開示された相手は「これだけ自分のことを話してくれたのだから、こちらも何か話さなければ悪いな」と感じて、今度は相手が知りたい情報を話してしまうのだ。
またハニートラップの場合は、仕掛ける側の女性が騙したい相手の男性にあえて自分の弱みや悩みを話すこともよくある手だ。国際ロマンス詐欺も、まさにこのパターン。「何とか力になってあげたい」「救ってあげたいと思うのは、相手の女性のことが好きだからだ」という恋愛感情を芽生えさせるためだ。
ハニートラップはこのように、段階的に接近して、相手に親近感や恋愛感情を抱かせて巧みに男女の関係にもっていく。相手の女性がもともと自分の好みだった場合は、知らず知らずのうちにトラップに引っかかってしまうのだ。
こうして相手が欲しい情報をいとも簡単に渡してしまったり、ベッドでのツーショット写真を撮られてゆすられてしまうことになる。
ちなみに、「ザイオンス効果」には、効果のある期間が決まっていると言われている。接触回数は10回までがピークなのである。
仮にハニートラップを仕掛ける相手と10回会うまでに、トラップに引っかかってこなければ、相手の好みではなかったか、警戒心が異常に強いかなどの理由で、そのハニートラップは失敗したと言える。
じつは、こんな実話がある。ある大物政治家に外国のスパイ組織がハニートラップを仕掛けた。何人かの美女を送り込んだが、その政治家は全く見向きもしない。そこで送り込まれたのが、長身のイケメンだったという話だ。
ハニートラップも多様性の時代なのである。
スパイに狙われやすい職業とは?
よく、「スパイに狙われやすい人の特徴は?」と質問されるが、私が知る限り、次の3つの職業は確実にスパイから狙われている。
- ビジネスマン
- 公務員
- 芸能人
1のビジネスマンだが、ここ数年は軍事の精密機械に関わる会社や工場の人、大手企業のエンジニア、メディア関係者が狙われるようになった。
具体的には精巧なレンズの開発会社の技術者などであれば、その情報が潜水艦の望遠鏡へ軍事転用できるので狙われやすい。
また情報・IT関連のビジネスマンは相変わらずターゲットにされている。具体的には平成31年(2019年)、大手通信会社に勤めていたビジネスマンが不正に社内のサーバーにアクセスして営業に関する社外秘データを取得して、ロシアの外交官であるスパイに渡した事件があった。
スパイの巧みな声のかけ方
スパイは巧みにターゲットに近づいていくので、最初はまさか相手がスパイだとは気づかない。例えばファーストコンタクトでは、
「このあたりで、おいしいお店はありませんか?」
「●●までの道を教えていただけませんか?」
と、外国人から声をかけられたら、おもてなし精神のある日本人なら誠意をもって答えてしまうだろう。
そこでスパイは、セカンドコンタクトを仕掛けてくる。
「お礼がしたいので、名刺をもらえないですか?」
「今度、この近くのカフェでお茶でもしませんか?」
「日本語の勉強をしているので、教えていただけませんか?」
このように、自然と次に会う約束をとりつけるのだ。
ここから、スパイの要求はどんどんエスカレートしてくる。
「社内報をくれませんか?」
「プレゼン資料を見せてくれませんか?」
「取引先名簿のデータがほしい」
その都度、お礼だといって謝礼金を渡してくる。その金額も最初は少額だが、スパイの要求が高くなるにつれて、金額は上がってくる。ここまでくると、もう引き返せない。
途中で断ろうものなら、
「あなたはお金をもらっているので、私があなたの会社にばらしたら大変なことになりますよ」
「私はあなたの家族の情報や実家を知っています。どうなってもいいのですか?」
ここまでエスカレートしてしまったのが、先に紹介した大手通信会社の事件だ。結局、会社の情報を盗んだこの社員は、不正競争防止法違反の罪で懲役2年の有罪判決を受けたのだった。
続きは、『警視庁公安捜査官 スパイハンターの知られざるリアル』でお楽しみください。