
「余白をつくったところで、何をしたらいいかわからない。だから余白なんて必要ない」。そんなふうに思うことはありませんか?
そんな人に提案したいのが「偶活」です。
「偶活」とは、ただの偶然を「キッカケ」に変える活動を意味する造語です。
僕たちは「目標」を設定し、そこに到達するための「計画」を立てることを推奨されてきました。
「ゴールから逆算せよ」と。
それを否定するつもりはありません。
ただ、それが叩き込まれすぎた結果、「偶然」が入り込む隙間がなくなっているのかもしれません。「遇活」は計画や目標に縛られず、流れに身を任せる感覚をもっ余白を楽しむ上で大切になってきます。
キャリアの8割は偶然
キャリア形成において「偶然」が大きな役割を果たしていることはよく知られています。有名なのはスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授の「計画的偶発性理論」です。教授は「キャリアの8割は予想しない偶発的なことで決まる」と提唱しています。
この理論が提唱されたのは1999年です。当時以上に変化の激しい今の時代、「偶然」がもたらす影響の割合はもっと増しているかもしれません。
僕自身のキャリアを振り返っても、まさに偶然の連続でした。
大阪に生まれたのも、進学先を選んだのも、休学してオーストラリアに行ったのも、ITの会社に就職したのも、フィジーに移住したのも、本を出版したのも。そして先日、日本に再移住して無料オンライン塾をつくったのも、偶然の連鎖の結果です。
20代の頃、世界一周の旅をしましたが、それも「たまたま」という言葉をはずして語ることは難しいです。日本でサラリーマンをしていたとき、年に1度だけ9連休を取得できる機会がありました。たまたま見ていたテレビ番組でジャマイカが特集されており、その年はジャマイカに行こうとたまたま決めました。日本からの直行便がなかったので経由地を探していたところ、メキシコのリゾート地カンクンを知り滞在。カンクンで泊まった宿でたまたま世界一周中の夫婦に出会い夕食に誘われ、たまたまそのときに聞いた話に影響を受け、脱サラ世界一周を決心しました。
人生最大の偶然とは?
もっといえば、生まれる以前から、人生に大きく影響を与える偶然が起きています。いつ、どこで生まれるかという「世代ガチャ」と「国ガチャ」です。
世界に約200の国がある中、たまたま「日本」という国に生まれました。超ラッキーだったと思います。今もし、目の前にすべての国名が書かれたクジ入りの抽選箱が用意されて、「出身国をリセットするガラガラポンをするから、クジを引きなおしてね」と言われたら、全力で断ります。
他にも、僕はたまたま「昭和後期」に生まれました。
もし奈良時代に生まれていれば30歳くらいで、江戸時代でも40歳くらいで死んでいたでしょう。今、「人生100年」といわれる時代のど真ん中に生きることができているのは本当に幸運な偶然に恵まれました。
こういう偶然も加味するのであれば、「人生10割が偶然」といっても過言ではないのかもしれません。
「偶活」の人生に取り込むコツ
「偶然」はいつだって目の前に転がっています。大事なのは、その偶然を見逃さず、すぐ行動に移すことです。
先日、コワーキングスペースに向かう途中、信号待ちをしているときに地図を眺めていると裁判所が近くにあるのを見つけました。「これは偶活のチャンス」と思い、そのまま人生初の裁判傍聴へ。たまたま行った裁判傍聴でしたが、「人が間違いをどう償うのか」や「普段当たり前に享受している自由がどれほど尊いものなのか」を感じることができました。それ以来、自分の生活や、日々の自由を見つめなおすキッカケに、たまに傍聴に行くようになっています。
「偶然の寿命はとても短い」です。地図で裁判所を見つけたときに「時間ができたら、傍聴でも行ってみようかな」と後回しにしていれば、おそらく行動に移すことのハードルは上がっていたことでしょう。だからこそ、すぐに動いて計画を変更できる「フットワークの軽さ」と「余白」が大事になってきます。
人生を彩るには、「計画」と「偶然」の両輪が必要なのかもしれません。
英語の「chance」には「偶然」という意味があります。偶然は人生を好転させるチャンス(機会)を提供し、日常を非日常化してくれます。普段の生活では計画や予定がギュウギュウにつまっているかもしれませんが、少しでも余白をつくり、偶然をキャッチできるようにアンテナを張っていきましょう。きっと今以上に人生がオモシロくなってくるはずです。
余白をつくる練習

効率的に仕事をしても、それで空いた時間に別のことを入れて、一向にタスクが終わらないと感じたことがある人も多いはず。
私たちはいつになったらゆったりした時間を持てるのでしょうか。
世界100カ国を旅したあと、世界幸福度ランキング1位のフィジー共和国へ移住した著者が伝える、人生に自分時間を取り戻す「余白のつくり方」。