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2024年12月の大麻取締法改正について、その経緯・詳細・改正内容をわかりやすく解説し、国内外の大麻最新事情をお伝えする幻冬舎新書『あたらしい大麻入門』(長吉秀夫・著)。
その「はじめに」を3回に分けてご紹介します。
大麻の全面禁止を必死に避けようとした日本政府
第二次世界大戦終戦直後の1948年、「大麻取締法」がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指示により、占領政策として施行された。
この時点で、日本では大麻乱用などの事件はなく、大麻草は繊維や食料として重要な農作物だったにもかかわらず、GHQは、国内の大麻草の全面禁止を指示したのである。
このままでは3万軒以上存在している大麻生産農家が全滅してしまう。審議を行った国会でも、「なぜこの植物を全面的に禁止する必要があるのかわからない」という意見が多くあげられていた。
ある国会議員は、法案審議の中で以下のように発言している。
「私の地方では、大麻を作つて、げたの緒どころじやない。衣料を買えない農家が衣料にしておるのが非常に多い。これは地方にとつてはぜひ必要なものであつて、この作付を制限したり、監督を嚴重にしたりすることによつて、地方におけるそういう実情を無視し、あるいは農家の自己消費を非常に困難ならしめるというようなことがあつてはならない。(原文通り)」(第7回国会 衆議院厚生委員会議事録より抜粋)
国会や厚生省の懸命な努力によって、全面禁止という事態は免れたが、厳しい免許制度が施行され、医療用としての使用も禁止された。そのため、多くの大麻繊維製品市場は、ナイロンやビニール、プラスチックなどの石油由来製品が席巻することとなる。
その結果、日本の大麻繊維産業は事実上消滅し、2024年現在では、大麻農家はわずか30軒しか残っていない。日本の原風景の中にあった大麻は、日本人の記憶から消え去ってしまった。
戦後、放置され続けてきた大麻取締法
GHQの指示を受け入れてできた大麻取締法は、根本的な見直しがされないまま、70年以上放置されてきた。
施行当初は、日本の大麻農家を守るための運用がされていた。つまり、免許を受けた大麻取扱者だけが栽培、所持、譲渡することを認めていたのが大麻取締法であったのだ。
しかし、ヒッピーブームとともに、大麻は吸引すると変性意識を引き起こす「マリファナ」という薬物として広がっていく。そのため1970年代後半から薬物の乱用防止に力点が置かれ、大麻取締法は薬物政策として運用される傾向が強まっていった。
その理由は、大麻に含まれる薬効成分「THC(テトラ・ヒドロ・カンナビノール)」の有害性にあった。当時の日本では、ほとんどの日本人は大麻吸引の経験はなく、マリファナが日本古来の大麻であることを知らない者も多かった。
日本では科学的な検証が行われていない大麻の有害性
大麻取締法では、大麻の医療利用が全面的に禁止された。戦前には喘息の咳止めとして、大麻タバコや大麻チンキなどが当たり前に薬局で販売されていたのに、である。
さらに大麻取締法では、大麻による医療行為だけではなく、研究までもが禁止されてしまった。そのため日本では、大麻の有害性や有用性についての科学的な検証はなにも行われていない。
一方欧米では、1990年代に、医療用としての大麻の研究が急速に進んでいった。
それまでも民間療法のように施用していた大麻だったが、その薬効について科学的なメカニズムが解明されていくと、多くの疾病に効果があることや、それまでいわれていたほどの重篤な依存性がないこともわかってきた。
てんかん治療が法改正のきっかけ
こうして大麻についての新たな情報が拡散されていくことで、規制の緩和を求める動きが世界的に広まっていくことになる。特に、大麻のもう一つの主成分である「CBD(カンナビジオール)」が小児てんかんに効果があることが注目され、医療大麻解禁への動きが加速していく。
CBDの有用性、特に小児てんかんのけいれん発作に効果があることは、ネット動画でも拡散され、世界中の小児てんかんの子どもを持つ家族や関係者に、大きな希望を与えた。
小児てんかんだけではない。大麻には末期がんなどの疼痛や食欲不振などにも効果があり、その結果、免疫力があがることも知られている。そのため、一般の医療ではカバーできない症状を緩和させるための民間治療として広まっていった。その波は政治家や国をも動かし、世界各国が法改正へと向かっていったのである。
そしてついに、日本も法改正に踏み切った。
てんかん治療に効果がある大麻由来医薬品の施術を可能にするための動きが、今回の法改正の大きなきっかけとなったのである。