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想像してたのと違うんですけど~母未満日記~

2025.03.01 公開 ポスト

「許せないこと」との付き合い方を教わった話夏生さえり

現在3歳の息子は、生まれた頃から気持ちの切り替えが早い子だった。ただ、時に存在するという「滅多に泣かずにいつもニコニコしている子」……というわけではなくて不快はしっかり(あら)わにするんだけれど、その原因はいつも明確で、原因が解決したり、気持ちを受け止めてもらえたと感じたりするとパッと切り替えるような潔さがあって、親ながら「すごいなあ」と感心してばかり。

これは息子の先天的な性格と、早くに言葉を習得したこと、それから私のようになんでも言葉に替えようとする親を持ったことの合わせ技ゆえなのかもしれないけれど、イヤイヤ期と呼ばれる2歳前後の時期でさえ、怒りながらも「これを1回したかっただけなのに、ママがすぐにダメって言ったのが嫌だった! 1回だけならいいよね?」と丁寧に説明&リクエストしてくれたり、「あのねえ、いまはぜ~んぶイヤなんだよね~」とこれまた丁寧に“イヤイヤ期”を説明してくれたりと、じつにわかりやすくて、大助かり。さらに年齢が上がってくると、もっと複雑に気持ちを表現できるようになって「元気はあるけど、寂しいんだ」、「涙は出てないんだけど、ちょっと寂しい気持ちになって、最後に涙がじわって出てきて、あっ落ちちゃうって思って、目を閉じたら、涙が1個ぽたって落ちたんだよ」とやたらと詩的な表現で気持ちを丁寧に説明してくれることもあった。

言葉に変えてくれるおかげで、周辺の大人たちも対応に迷わず、それゆえに切り替えるのが早かったのかもしれない。でも、それよりも今のところ息子は、自分の気持ちとの付き合い方がうまくて、自分の気持ちの正体をよく知っているんだな、と頼もしく思っている。

 

 

それが、先日。

ついに、息子にとってはじめて、なかなか切り替えられない出来事が起こった。いままでどれだけ気持ちを引きずっても、せいぜい5分程度の話だったのに、その日は力一杯怒って泣いて、大声を出し続けて、話をきいても、なだめてもどうにもならないまま、20分間。どこにそんなエネルギーがあるのか、と思うほど、小さな身体に有り余るほどの怒りを充満させ、全身全霊で怒り続けていた。

きっかけは、夕食のときのこと。

息子のコップに、なみなみいっぱいの水が入っていたので「ちょっと、その水ちょうだい」と言った私。息子が口にいっぱいご飯を入れたまま「ン」と言ったので「ありがとー」と、息子のコップから私のコップに半分ほど水を注いで、飲み干した……と。

「だめ! いいって、言ってないのに!! お水、○○のなのに!! なんで!!!!!!!」と、慌ててご飯を飲み込んだ息子が斬り込んできた。目を丸くして、鼻を膨らませて、前のめりで指をさして、怒る、怒る、怒る。

「ちがう! なんで!! ○○のなのに!! 飲みたかったのに!! なんで!? いいって、言ってないよ!?」

机の上にあるものをひっくり返そうとするわ、謝って近づく私を叩くわ、地面に座り込んで悔しそうに足をどんどんするわ、これぞ「ブチギレ」と言った感じ。

「いいよって言ってくれたんだと思って勘違いしちゃってごめんね、もう一回お水入れてくるね!」と持ってくると、「ちがう!!! これじゃない!!! さっきの水がよかったの!!!」と、さらに泣いて、どうにもならない。

飲もうと思っていたもの、食べようと思っていたものを、勝手に取られる悔しさは、痛いほどわかる。中身が貴重であるかどうかではなく、自分のものを勝手に取られる悔しさ、しかもそれがもう戻ってこないことの悔しさ、うん、めちゃくちゃわかるよ。本当に、ごめんね……。何度も何度も謝って、ごめんね、ごめんね、ママが勘違いしてごめんね、飲みたかったのに嫌だったね、本当にごめんね、と謝ったけれど、気持ちのやりどころがないようで、泣き続ける息子。夫は何度も「ママ、いっぱい謝ってるよ?」となだめようとしたり、「抱っこしよっか?」と近づいたりするも「違う! パパは違う!!! パパじゃない!!」とパパまでブチギレられるし、おさまりがつかない。

いままでも夫が、息子が食べようと思っていたものを食べてしまうことがあった。けれど、怒って悲しむ息子を抱きしめてなだめるのは「ママ」で、一緒に「悲しかったね」と言い合えば、怒りながらもすぐに切り替えていた息子。でも、今回は「ママ」が、悲しさの原因でもあり、なぐさめてほしい対象でもあって、それゆえ、うまくいかないようだった。

悲しくて悲しくて、ママに抱っこを求めてみたり、かと思えば「なんで!! ママ! なんで!!」とママを叩いて離れてみたり。行き場のない気持ちが全身で現れていて、見ているわたしも、とても切なかった。自分を理解してくれているはずのママが、自分のものを勝手に取ったというところが、余計にやり場のない気持ちを生んでいるのだろうなあ。わかる。私も、かつて中学生の頃、母親に大事な大事なプリクラを(勘違いで)捨てられて激怒したことがあるもん。これが父親だったら、あそこまで怒らなかったのかもしれないけれど、大好きで、信頼している母が、勘違いであれミスであれ私の物を勝手に捨てたと言うのが余計にやるせなく、怒りに怒り続けて、最終的に母は土下座までして「捨てちゃって、ごめんなさい」と言ったのだった。そんなことまでさせたかったわけではなかったのに、それでも気持ちのおさめかたがわからなくて、許さなくちゃいけないのはわかっていても許せなくて、自分がなさけなくて、でも腹が立って、自分が散り散りになってしまいそうだったのをよく覚えている。いまでも手に取るように思い出せるからこそ、なんとなく、いま、息子がこれだけ怒り続けている気持ちも、わかるような気がした。

しょうもない話だなあと第三者から見ると笑えるような話だと思う、でもね、これを「たかだか水」と思うようじゃ、人とのコミュニケーションはすれ違うってことも、ママはもう知ってるよ。価値は人が決めるものじゃない。これは彼にとって大事なお水。もう戻ってこないから、私が犯した罪は、重罪なのだ。

すこし泣き止んできた息子に「許してくれる?」と聞こうとして、やめた。これも、ママは34年間生きてきたから、わかるんだ。「許してくれる?」には「許すよ」としか答えようがなくなる狡さがあるってこと。相手が謝っているからって、許さなきゃいけない理由なんてないってこと。

でも、じゃあ、どうすればいいんだろう。気持ちに折り合いがつかないときは、どうするのが正解なんだろう。どうすれば、前に進めるんだろう。どうすれば、切り替えられるんだろう。

あのころ私はわからなくて、母に土下座まで、させてしまったよ。いまの私もまだ、どうすればいいのか、息子に何を言ってあげればいいのか、わからない。気持ちの切り替え方がわからなくて、きっと息子も困惑しているだろうけど、でも、私にもまだわからない。

電気を薄暗くした仕事部屋に移動して、くるくる回る椅子に座ったまま息子を抱きしめて、何度も「いやだったよね。ごめんね」と謝っていると、息子は、20分後にやっと落ち着いて、ひっくひっくとしゃくりあげるような泣き方に変わり、そうして最後に、自分から言った。

「なかなおりする」

私の方に手を伸ばし、ぎゅっと抱きついて、ちいさく「なかなおり」と呟いた。そのこと自体にも驚いたけれど、もっと驚いたのはその後のほう。

夫が「ママのこと許してあげたんだね」と言うと、息子はこう返したのだった。

 

「ちがう。ゆるしたんじゃない。なかなおりしただけ」

 

そっかあ、そう言えばよかったんだ。ずっと知らなかった。なかなおりはしたいけど、許したわけじゃない。その両方が、心の中に存在してもいいんだ。歪なまま、そのまま、吐き出していいんだ。中学生のころは、知らなかった。いや、今でも知らないままかも。許さなきゃいけないと、すぐ思ってしまうよ。相手はこんなに謝っているし、こんなに空気もわるくなったし、どこかで引かないといけないし、自分がいつまでも切り替えられないのは良くないと、許したふりをしてしまうこと、たくさんあった。

「謝ってるんだから、許してあげなさい」

もしかしたら、このさき息子は、いろんな場面でそう言われるかもしれない。先生や友達や、どこかの大人とかに。でも、ママはそうは思わないよ。「謝ってもらったら、受け入れなくちゃいけない」なんてことはない。許すタイミングは、嫌なことをされた人が決めていいんだよ。

「ゆるしたんじゃない。なかなおりしただけ」。

そう呟いたあと、息子は一度もお水の話を出さなかった。思い出して泣くことも怒ることもなくて、ゆるさず、けれどたしかに仲直りをしてくれたのだった。

あれから嫌なことがあるたびに思い出している、あの一言。

円滑に日々を進めるために仲直りはしても、傷ついたあのことを許したわけじゃない。その両方が同時に存在したっていい。息子は、やっぱり心の形をよく知っている人だ。時間をかけて、自分の心の形を見極めて、きちんと言葉に変える。時にそれが複雑な形をしていたとしても、歪な形をしていたとしても、そのままでいい。そのまま受け止めることが、自分の気持ちを大事にすることなのだと、そうすれば切り替えられるのだと、息子が私に教えてくれたのだった。

関連書籍

夏生さえり『揺れる心の真ん中で』

不安な夜も、孤独な朝も。 愛を信じられるようになりたい――。 【“あの日”の自分を思い出して涙が止まらない(28歳女性)】 【最後の言葉に救われました(19歳女性)】 SNSフォロワー22万人超! 恋愛ツイート等で若い女性たちの共感を集める 夏生さえりさん、2年ぶり待望のエッセイ集! WEBマガジン「幻冬舎plus」大人気連載書籍化。

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夏生さえり

山口県生まれ。フリーライター。大学卒業後、出版社に入社。その後はWeb編集者として勤務し、2016年4月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計15万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『口説き文句は決めている』(クラーケン)、共著に『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所)がある。Twitter @N908Sa

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