
TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」出演で話題! 世界133ヵ国を裁判傍聴しながら旅した女性弁護士による、唯一無二の紀行集『ぶらり世界裁判放浪記』(小社刊)。現在も旅を続けている彼女の紀行をお届けする本連載。本日は「ガーナ編(後編)」をお届けします。
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ガーナでも、隣国コートジボワールと同じくらい、お国の法律でできた「裁判所」は遠い存在だ。距離的に遠いだけでなく、お金がかかり、時間もかかる。トラブルを抱えた人たちのもう一つの駆け込み先が「村の伝統的な統治者」であるのは想像に難くない。
アシャンティ王国の王様の誕生日パーティーの熱気にやられた私たちはクマシを後にするとふたたび海岸沿いまで南下し、かつて奴隷の積み出し港として栄えたケープコースト城に向かった。
要塞を上ると海に面して砲台があり、大砲が数多く積まれている。そこから半地下の部屋におりていく。「出荷」待ちの奴隷が押し込められていたというこの牢屋は寒く、じめっとして、壁には饐えたにおいがこびりついてた。私たちはその出荷口「Door of no return」のあまりの戸口の狭さに驚き、「狭い戸口を通れるくらい奴隷を弱らせてから船にのせた」という話におびえた。
ケープコースト城もまた、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
奴隷貿易は19世紀までつづいた。その供給源は、私たちが会った王様の祖先、アシャンティ王国だった。アシャンティ王国との戦闘に負けた部族たちの中に、アメリカ大陸まで「運ばれた」人たちがいた。
ヒエラルキーの「下位」に組み入れられた者たちを商品として売買したのはこの巨大な王国であった。一方で今も、裁判所に行けないトラブル解決を担う一端はこの巨大な王国である。
「植民地化前から王国に住んでいた農耕民たちは階層構造に慣れており、首長は尊敬される。だから裁判所の外でトラブルを解決する方がスムーズなケースも多い」隣国コートジボワールで聞いた同僚の言葉が耳によみがえる。
そしてアシャンティ王国もまた、植民地化を進めるイギリスに併合され、帝国主義の「ヒエラルキー下位」に組み込まれて一度は滅亡した。アフリカでもっともはやく独立したガーナの公用語はイギリスの言葉・英語で、今も制定法に基づく裁判所の裁判の多くは英語で行われている。
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コートジボワールの東部とガーナの西部はつながっている。アクラからの道は、地図上に書かれた国境線など関係なしに貫いて、コートジボワールのアクペとつながっている。
片方はフランス語を公用語とし、片方は英語を公用語とするが、2000万人を数えるアカン族の彼らが日常的にしゃべるのはアカン語(トゥイ語)だ。「裁判はフランス語だから行きづらい」「裁判は英語だから行きづらい」と、よく聞く。
すっかり暗い気持ちで要塞を出た私たちは港の近くの海辺でビールを飲んだ。海岸を洗う波は粗く、そのしぶきが空に舞うのが見える。砂浜にはペットボトルが無造作に投げ捨てられている。同じようにコートジボワール人の海岸にもペットボトルが転がっている。子供たちはこの荒波で水浴びをし、ときには遊泳で死者も出るという。
コートジボワールからガーナへ、ひとつづきにつながったこの海岸線は、西では象牙海岸、東では黄金海岸、さらに東進すると奴隷海岸と名づけられていた。
続・ぶらり世界裁判放浪記

ある日、法律事務所を辞め、世界各国放浪の旅に出た原口弁護士。アジア・アフリカ・中南米・大洋州を中心に旅した国はなんと133カ国。その目的の一つが、各地での裁判傍聴でした。そんな唯一無二の旅を描いた『ぶらり世界裁判放浪記』の後も続く、彼女の旅をお届けします。