
繁忙期には読めなかった静かな本
「ぐちゃぐちゃうるさい!」
たまにそう怒鳴りつけたくなる、自分に。
毎日毎日本を読んで、仕事で文章を書いてべらべら喋って、頭の中は言葉でいっぱい。次は何しようか、さっきのあれはうまくいったのか、あの人は何を考えているのか……。頭の回転は速い方だと思うし、筆も口も回る方だ。せっかちな性格もあいまって、常に脳内では爆速でタイムラインが流れている。
とにかく、うるさいのだ。自分が常に。
繁忙期は特にその傾向が高まり、言葉の過剰摂取と過剰供給で自家中毒状態。頭を空っぽにするのが苦手なので、自分の内から反響するやかましさに気持ち悪くなってくる。
3月31日月曜日、2024年度が締まった。
毎年言っている気がするが、忙しさは常に最高値を更新してくる。体力をつける必要性を痛感しながら満身創痍で帰宅し、本棚へ向かう。そこには、繁忙期が終わったら読むと決めていた一冊があった。
『山と言葉のあいだ』(石川美子/ベルリブロ)
パリでフランス文学を学んだ著者による、山を愛した人々の人生を哀惜ただよう筆致で写し取るエッセイ。ひとりで物思いにふけりたい人が目指す、シャモニーのラスキンの石。パリの大家さんに招かれた、サント・ヴィクトール山を望むアヴィニョン郊外の家。ローヌ河の眺めを愛した『ふらんす物語』の永井荷風。
ひとつの山をいくどとなく眺めてきたひとは、いま目に見えている山のすがたのなかに、かつて見たいくつもの景色と過ぎ去った自分の時間とが重層的に内包されているのを感じ取るのである。――『山と言葉のあいだ』より
遠くに近くに、山をみつめる視線。11の物語を読み進めるうちに、いつしか身体ごと本の中に入り込んでしまう……。そんな錯覚に陥るほど、端正でありながら吸引力のある一冊。
資本主義と成長神話の世界に没入している時期は、どうしてもこの本を手に取れなかった。リビングの「これから読む本」の置き場所に、3か月積んであった一冊である。
この本を選んでくれたのは、本屋さんを営む友人。オンラインと棚貸し書店・イベント出店でコツコツと実績を積み上げている、兼業会社員仲間だ。
彼女のオンラインショップの選書サービスに申し込み、本が届いたのがクリスマスの頃。申し込みの際に自分がどんなリクエストをしたのかも忘れたまま、ラインナップの美しさに感動してそのままになっていた。

本を人にすすめるのは難しい。まったく本を読まない人にすすめるのも難しいだろうし、私のように息を吸うように読む人にすすめるのもまた違う難しさがあるだろう。事実、私に本を紹介してくれる人はとても限られている。
私は何度か彼女に選書してもらったことがあり、毎度、新鮮さと寄り添いの絶妙な塩梅にはっとさせられている。きっと、天性の「選書力」みたいなものが備わっているのだろう。これは本当にたぐいまれな才能だと思う。
今回は、「静かになれる本」というイメージで選んでくれたようだった。まさに、鎮静効果のあるハーブティのような一冊だった。慰撫され、なだめられ、穏やかに肩に手を置かれたような読後感。著者の石川さんの文章は、手触りがありつつ常に客観的で、ちょっとひんやりしたムードがただよう。
読み始めたのは4月1日の仕事始めの夜、繁忙期上がりとは言え22時過ぎまで残業したあと。場所は最寄り駅のマクドナルドという「さわがしさ」の中だったが、見事に頭の先から胸のあたりまですーっと鎮まっていくのがわかった。
言葉とは自己顕示であり、したがって心にさまざまな欲望と不自由とをもたらすのではないか。沈黙とは大いなる自由なのである。――『山と言葉のあいだ』より
周囲を山々で囲まれた大シャルトルーズ修道院。修道士たちの規則正しい生活と、必要なこと以外を口にしてはいけないと定められた「沈黙と祈り」の日々。
修道院を舞台に製作された映画、『大いなる沈黙へ』。そこに映し出されていたのは、物を持たず、言葉を制限された修道士たち。石川さんはその姿に、窮屈さよりもむしろ自由を感じたと綴る。
より多くのもの、貴重なものを手に入れたい。誰かを出し抜いて一人勝ちしたい。そんな欲が、私をどんどん騒がしくする。
やみくもに手をのばして自分に取り込んだ言葉たちは、本当に私を豊かにしているのだろうか?
23時を過ぎても、駅近のマクドナルドは人の出入りが激しい。せわしなく開閉する自動ドアから、4月に入ったとは思えないほど冷たい風が吹き込む。がちゃがちゃとした店内で見事に浮いている美しい装丁を眺めながら、いつになく静かになった頭でそんなことを考えていた。
コンサバ会社員、本を片手に越境する

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