
ノスタルジーと、可笑しみと。
自分の中の記憶を、町単位で振り返る。そこから掘り起こされる、懐かしいだけでは片付かない、景色と感情――。
気鋭のエッセイスト・古賀及子さんの書き下ろしエッセイ『巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある』刊行に当たって、古賀さんから本書に込めた思いをいただきました。
巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある。
思い出して、そんなことあるかと自分で驚いた。考えてみれば私には、田園調布の知らない人の家でまずい水を飲んだことがあるし、曙橋の公園の木に看護師の格好で登ったこともある。
案外、生きていくというのはそういう、なにがなにやら訳のわからないような事態を積みかさねていくものなのかもしれない。下関でキュロットがキュロットではなく愕然としたこともあった。下丸子という東京の小さな街で人を大声でほめたあとけなしたのは、あれは何だったんだ。
訳がわからないままなのもしゃくだから、掘り起こした記憶たちを、きちんと眺めることにした。手のひらを側頭部に密着させ、目を閉じる。脳内に片付かないまま雑に収納された記憶のひとつひとつを、壊れないように気をつけながら時間をかけて観察する。
すると、一見訳のわからない思い出には、すべてちゃんと訳が、事情があった。仕方のない記憶ほど、驚くほどにやむをえない。こうなるしかなかった。
あなたのことを思い出そうとしたのだ私は。
あなたのことを記憶の奥の奥のほうへ、ぶくぶくもぐって、見つからなくて諦めずにまだもぐって探した。私がたどりついたのは、あなたと、そして街、何より、生きることについて永遠におぼつかない私そのものだった。
昨日、封筒にうまくセロハンテープが貼れませんでした。おぼつかない私なりに、これが愛ではと、そう信じている種類の情熱をこめて書きました。
巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある

ノスタルジーと、可笑しみと。
池袋、飯能、日本橋、所沢、諏訪、田園調布、高知、恐山、湯河原……。
自分の中の記憶を、街単位で遡る。そこから掘り起こされる、懐かしいだけでは片付かない、景色と感情。
気鋭のエッセイスト、最新書き下ろし。
『好きな食べ物がみつからない』が話題の、最注目のエッセイスト・古賀及子最新書き下ろしエッセイ。
幼い頃からの「土地と思い出」を辿ってみたら、土地土地、時代時代で、切ない! でもなんだか可笑しいエピソードが横溢!