
気鋭のエッセイスト・古賀及子さんの書き下ろしエッセイ『巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある』にphaさんよりメッセージをいただきました。
ときどき、過去の体験を振り返るようなエッセイを書いてください、と言われることがあるのだけど、苦手だ。
どこで何を見たとか、誰と何を話したとか、昔に体験したことのエピソードをほとんど覚えていないのだ。
多分、他人のことも周りのことも、いつもあまり見ずに生きているからだ。脳内で自分勝手などうでもいいことばかりを考えて自家中毒に陥っているからだ。そのことを考えると、自分はちゃんと世界を生きていないな、と少し落ち込む。
それに比べて、古賀さんの観察眼と記憶力には驚かされる。
過ぎ去った昔の、かつを卵でとじまくっていたアルバイトのことや、会社員のときに掃除の人と交わした会話や、祖父母の家でテーブルにこぼれおちるせんべいのざらめのことを、こんなにみずみずしく描けるなんて、すごい。うらやましい。
古賀さんと僕は今46歳で同い年なのだけど、過去の話を魅力的に書けるようになる、というのは中年のいいところだと思う。
年を取るにつれて、若い頃のようにいろんな人と会ったり新しい体験をしたりということは減っていくけれど、その代わりに気づくと、自分の中に体験の蓄積が生まれている。
老年になってからの昔語りもそれはそれでいいのだけど、時間の経過が大きいせいか、ちょっとぼんやりした、遠い感じの語りになる。40代、50代だと、若い頃の話をしてもまだそこまで鮮度が薄れていない。その時期にしか書けない種類のノスタルジーがある。
本書はさまざまな土地にまつわる思い出を描いたエッセイ集だ。
この本を読んでいると、カウンターしかない、いい感じの小料理屋さんにいるような気持ちになる。
女将さんがつぎつぎと料理を出してくれるのだけど、どの皿にも気が利いた工夫があって、丁寧な仕事がされている。読み手はただ座ってそれを味わっていればいい。古賀さんの文章はいつも期待を裏切らない。安心感と満足感、その両方がある。
古賀さんが過去の記憶を冷蔵庫から引っ張り出してきて、ひと手間をかけて料理して、お客さんに出すその手つきを見ていると、「エッセイの達人……」という気持ちになる。
以前、古賀さんと日記をテーマにして対談をしたことがある。
そのときに古賀さんが自分の日記のことを、
「人間たちはこんなにいい感じに生きてますよ、と天に報告するための捧げ物のつもりで書いている」
と言っていたのが印象深くて記憶に残っている。
この本にも、古賀さんの日記と同じく、生きていることへの肯定を感じる。
古賀さんが自分の記憶を天に捧げていて、そのおすそわけを読ませてもらっているという感じだ。それを読むと、自分が今まで生きてきた過去の記憶もなんだか肯定できそうな気がしてくる。
pha(作家)
巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある

ノスタルジーと、可笑しみと。
池袋、飯能、日本橋、所沢、諏訪、田園調布、高知、恐山、湯河原……。
自分の中の記憶を、街単位で遡る。そこから掘り起こされる、懐かしいだけでは片付かない、景色と感情。
気鋭のエッセイスト、最新書き下ろし。
『好きな食べ物がみつからない』が話題の、最注目のエッセイスト・古賀及子最新書き下ろしエッセイ。
幼い頃からの「土地と思い出」を辿ってみたら、土地土地、時代時代で、切ない! でもなんだか可笑しいエピソードが横溢!