
気鋭のエッセイスト・古賀及子さんの書き下ろしエッセイ『巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある』より、母と二人で旅した盛岡で、ソフトクリーム片手に北上川を走って越えた思い出を。
盛岡、北上川を走って越えて、母と私とソフトクリーム
母とふたりで盛岡に行ったことがある。写真にも文章にも記録の残っていない、記憶のなかにしかない、頭で思い出すしかたどりようのない旅だ。
ふたりで連れ立って、新幹線に乗って行った。一泊だった。花巻の温泉に泊まった。お酒を飲んだ記憶があるから、二十代に入ってからだろう。
私は十代のぎりぎり最後に東京へ出た。その頃母は埼玉で暮らしていたから、別の住まいから東京駅で待ち合わせるかなにかして盛岡行きの新幹線に、おそらく私たちは乗ったのだ。
当時の私はまるで本など読まずに薄目でぼんやりやり過ごしていた。いまでは宮沢賢治の大ファンに仕上がって、岩手といえばイーハトーブと発想するけれど、当時はそのすばらしさには微塵も気づいていない。つまり宮沢賢治目当てでの旅ではなかったわけで、どちらかというとグルメ目的だったんじゃなかったか。冷麺とじゃじゃ麺に興味があった。コッペパンにさまざまな具材をはさんで売る福田パンの噂も聞いていた。そこへ母の、花巻温泉に行ってみたいという希望が、きっと重なったのだ。
「花巻に行ってみたいなあ」「えっ、私も盛岡行きたい! 行こうよ?」「ほんと? 行く?」「行く行く!」「えっ、じゃあ、いつ行く?」という、軽いやりとりが高まって荒ぶって本気になって旅行の予定が立つ流れは友人とのコミュニケーションで起こりがちだけど、そのバイブスが、この旅行は母との間に上がった。
母がデパ地下でノリで惣菜を買う様子は私にとってお馴染みだ。惣菜と旅行は違うけれど、母は本質的に軽い思いつきで行動するところがある。
と、せっかくの私たち肝煎りの旅行ではあったのだけど、覚えていることはふたつしかない。
ひとつは、母がじゃじゃ麺を食べなかったこと。 旅行中の朝昼晩の三食に組み込めず、じゃじゃ麺は無理やり合間の時間に食べるしかなかった。母はお腹がいっぱいで食べられないから店の外で待っていると言う。土地の名物は無理にでも食べるものだと思っていた私は驚きつつ、一人で食べた。カウンターだけの狭い店で、じゃじゃ麺の例のきゅうりが鮮やかで、でもたしかに私もお腹はいっぱいだった。せっかくのおいしさを、満腹のお腹であっても鮮烈に感じ切るべく注力した。
旅なのだからとにかくたくさん食べる、それが旅行の幸福で醍醐味であるというイメージは、あくまで作られたテレビ的な価値観ではないか。現実的にはごく限られた胃腸の強い、飲食に対してハングリーかつ明るい希望を持つ人がなし得る特別なことなんだと、無理に食べなくても旅に幸せはいくらでもあると、このあともっとずっと先に私は気がつく。
そしてもうひとつの記憶が、新幹線に乗り遅れそうになったこと。
帰りの新幹線は十五時台だった。少し時間が余っているねと、盛岡駅から三百メートルほどのところにある、大通り沿いの喫茶店に入った。 クラシックなタイプの店で、丸いテーブルに向かい合って腰かけると私はソフトクリームを、母は生ビールを頼んだ。ビールは足のついたグラスに入って出てきた。泡はきめこまやかでクリームのよう。ソフトクリームはカップでもコーンでもなく、タルト台の上に高く盛られて金の加工で縁取られた豪勢な皿にのって提供された。テーブルには丁寧に真っ白のクロスがかけられて、時間をつぶすためだけに入るのにはもったいない店だと恐縮する。
晴れの日だったけれど、店内はうっすらと暗い。電球色のあかりがビールの白い泡とソフトクリームの白い渦をオレンジ色に照らす。
旅した季節を覚えていない。ビールとソフトクリームだから夏だろうか。でも母は冬でもビールを飲むし、私も冬でもソフトクリームは食べる。
グラスを半分くらい飲んだ母が、「あれっ」と言った。「新幹線の時間、間違えてない?」
時間はお互いに共有していたはずなのだけど、改めて切符を見た母が間違いに気づいた。十五時四十五分だと私たちが覚えていた発車時間は、実際は十五時十五分だった(正確な時間は忘れてしまったのだけど、だいたいそういう間違え方だった)。
えっ、えっ、どうしよう。
出よう、走ろう。
母はグラスを掲げるとビールを飲み干して、私はまだ半分も食べていないソフトクリームをタルトの台の部分で持ち上げた。新幹線の発車時間に合わせるべく、つとめてゆっくり食べていた、だから減りが遅かった。
私はソフトクリームで手が塞がっていたから、会計は母がした。おそらく事情を察した、というか、騒ぐ私たちの声を聞いたらしい店員さんが、私がタルト台にのったソフトクリームを持つのを見て(持ちづらくってすみません)というような顔をする。私は(いえいえ、時間を間違えたのは私たちですので)という顔で返した。
店を出る。晴れていてよかった。走った。雪は積もらず、やっぱりこれは、夏の記憶か。橋を渡って、川を越えた。 あらためて今、調べてみると、盛岡駅は北側に上北川が、逆側に石雫川が流れている。喫茶店の場所はもはやわからず、でも、駅のどちら側から向かったとしてもどっちにしろ私たちは川を越えた。あいまいな旅の記憶の一部が正確であることに笑ってしまった。走っても走っても駅までずっと繁華だったから、私たちがいたのはきっと北口で、越えたのは北上川だったんじゃないか。
本気で走る母を見たのはあのときくらいだ。ビールを飲んでも私より身軽で、速かった。私はソフトクリームがこぼれないように持って走って遅い。食べて少し軽くして、また走る。
ぎりぎりで新幹線のホームに駆け込んだ。ビールいる? と母に聞かれて、いると答える。母がキヨスクで買ってくれたスーパードライの三百五十ミリリットル缶を右手に、ソフトクリームを左手に乗った新幹線は混んでいた。
滑り込むように指定席に座って、ソフトクリームの残ったタルトの土台の部分を食べる。
どういうわけか、缶ビールはぬるかった。
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巣鴨のお寿司屋で、帰れと言われたことがある

ノスタルジーと、可笑しみと。
池袋、飯能、日本橋、所沢、諏訪、田園調布、高知、恐山、湯河原……。
自分の中の記憶を、街単位で遡る。そこから掘り起こされる、懐かしいだけでは片付かない、景色と感情。
気鋭のエッセイスト、最新書き下ろし。
『好きな食べ物がみつからない』が話題の、最注目のエッセイスト・古賀及子最新書き下ろしエッセイ。
幼い頃からの「土地と思い出」を辿ってみたら、土地土地、時代時代で、切ない! でもなんだか可笑しいエピソードが横溢!