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だらしなオタヲタ見聞録

2025.04.17 公開 ポスト

76歳のシャイニング・スター!沢田研二は今もかっこよかった!藤田香織

76歳のシャイニングスター! ジュリーを浴びてきた!

ジュリーである。
もしやこの令和も7年になった時代には、私が知らないだけでジュリーといえば〇〇でしょう! な方がおられるやもしれませぬが、今語ろうとしているのはもちろん沢田研二だ。

でも、もちろん、といっている割に実は「ジュリー」について、そう詳しいわけじゃない。
ジュリーが「ザ・タイガース」のボーカルとしてデビューしたのは1967年2月。私はまだ生まれていなかったので、熱狂的な人気を博したGS時代のことはほとんど知らないし、ソロとして活動しはじめて最初のヒット曲といわれている「危険なふたり」が発売されたときも幼稚園児だった。

ドラマの「時間ですよ」で悠木千帆(樹木希林)がポスターの前で「ジュリ~~!!」と身もだえていたのもざっくりいえばその頃だったはずだけど、大人のドラマを見るような年齢に達していなかった。

リアルタイムで「ジュリー」を認識した記憶があるのは、やはり1977年の「勝手にしやがれ」。
あの印象的なピアノのイントロからのダンディを絵にかいたようなスーツ姿で登場するたびに、気持ちを表す語彙をもたない小学生でさえなんだかわからないけど惹きつけられたのだ。
よくわからないままに、みんな教室であーあー言いながら手を挙げて揺れてたし、帽子を飛ばしまくって怒られていた。

とにかくかっこよかった。
それはもういわゆるバチクソかっこよかった。
見たことがない大人だった。
当時の日本全国民が知ってたんじゃないかってくらいの「スター」だった。

とはいえ、その後もずっと追っていたわけではなく、むしろ20代、30代の頃は日々の生活に追われていて今ほどネットで手軽に情報を収集する感じでもなく、時々テレビのバラエティ番組などで昔の映像を見かけると「ほんとかっこよかったなあ」とため息を吐きながら、じりじりテレビ前ににじり寄るくらいの「好き」に留まっていた。

振り返り好きとしては「時の過ぎゆくままに」を拗らせて、カラオケに行くたび(今よりカラオケが流行ってた時代……)に居合わせた男性に歌って欲しいとせがみ、そのたびにガッカリするという失礼ムーブをかましたりしていたことも(何なら今でも歌って欲しい。でもジュリーの歌は上手けりゃいいってものでもないので難しい!)あったけど、いってみればその程度の「好き」だ。

好き度が浮上してきたのは、2008年ジュリーが還暦を迎えた年に東京ドームで行われた「人間60年・ジュリー祭り」がきっかけだったような気がする。

その記念ライブに誘ってもらったのに、どうしても仕事が終わらず行けなかったのだ。あとからライブはなんと7時間近くになり(6時間42分!)80曲を歌いあげたと聞いて、かなり悔やんだ。だってあのジュリーが! あの数々の名曲を! 80曲も歌うなんて! もう2度とないだろうに!(そんな無理を何度もして欲しくないし)!

東京ドームで歌う「TOKIO」観たかったなー。
生「危険なふたり」聴きたかったなー。

思い出すのは、子どもの頃「夜のヒットスタジオ」で見た「サムライ」で、歌われてる歌詞の意味なんてまったく解っていなかったのに、雷にうたれたような衝撃が凄まじく、上裸にみえるシースルーのキラキラ刺繍衣裳に濡れ髪で、バーンってなってヒラヒラで畳ドーン(子ども語彙力)でふわぁぁぁーー!!
ってなったこと。私はすごいものを見るとワーー! とかキャー! でなくふわぁぁぁーーー!! ってなるタイプだったので。

でも結果的に、一昨年のツアー「まだまだ一生懸命」のファイナル、さいたまスーパーアリーナにも行けなかった。
でもでもだけど。この連載を始めたときから、ずっと思ってはいたのです。
今度こそ! 絶対に! 絶対に! ジュリーをこの目で見に行くぞ! と。

というわけで、すべてのチケットサイトのお気に入りに「沢田研二」と登録し、今年のツアーを狙ってみた。が、が! そう簡単なものでもなく、私はNHKホールの先行抽選には見事にはずれてしまったのでした。

今年のツアータイトルは「霜柱と蝋梅の森」。編集者と書評家なので「この意味は…」「純文っぽいね」「怪しい雰囲気あるよね」などと話し合ってみた。どなたか意味の正解をご存知でしたら教えてください。

絶対にジュリーを見たい! なら、地方でもどこでも申し込めばいいと分かってはいた。今年のツアーは全国で31公演が予定されていて、たぶん、東名阪や出身地の京都以外の地方なら、確率もあがるだろうと思ってた。

けれど、じゃあ一度も生で観たことがなく、何を歌うのかセットリストも判ってない76歳のライブに遠征費をかけて行くのはなかなか難しく、これはどうしたものか……と悩んでいたところ、希少なオタもだちでもある担当編集者のガースが「私、2枚で当たったよー!」と連絡をくれたのでした。ヤッター!

声に出して言いたい「ジュリーー!!」

しかも発券したところ1階5列目のセンブロ。実際にはオーケストラピットにも客入れしていたので10列目だったけど、それにしたって良席だ!

推しグループ界隈だと運良く一般でライブのチケットが取れても、それは大抵スタンドの上や端の席なので(でもそれはそれで、アリーナだとトロッコに乗って近くまで来てくれたりする楽しさもある)、この良席は驚き&嬉しかった。もちろん長く熱く応援してくれているFCの方々を厚遇することに文句なんてないけど、ちょっと行ってみよう、とチケットを取って近くで見れたら、そこからはまる可能性も上がる気がしていて、推し界隈のライブのときもいろいろ思うこともあり、この問題は実はちょっと悩ましい。

ガチ勢のファンの方々に申し訳ないような気持ちにもなりつつ、でも喜びは抑えきれずめちゃくちゃ楽しみにしていた。

会場内はスタッフに確認したところ公演本番以外の撮影はOKでした。距離感はこんな感じ!

迎えた「沢田研二 LIVE 2025 霜柱と蝋梅の森」@東京NHKホール当日。
周囲を見回すと、客席はやっぱりジュリー世代のお姉さま方が多い。男性は体感1割弱ぐらい。思ってたより多い印象。会場に入って席に着くと想像していた以上に近い。NHKホールは2階席しか入ったことがなかったので、肉眼で表情まで見えることに昂まりつつも、そそくさといつもの双眼鏡を首から下げて準備完了。

周囲を見ながら「ねえこれ、基本着席かな?」「じゃないかなー」「だよね、(布施)も民生(奥田)も座ってたもんね」とコソコソ話す。

と、こ、ろ、が! とんでもなかった!「傷だらけの天使」のサントラがかかり、バンドメンバーの登場とともに舞台下手からジュリーが登場すると、あっという間に周囲の観客が立ち上がった。えっ? 立つの!? と驚いて振り返ると3階の上のほうまで早くも総立ち。そのまま熱いライブが始まった。

うわ! ジュリーだ! 生ジュリーだ! ひゃー! りぼんタイ! カワユス! 声! 声声すごい! 知ってるジュリーだぁ! え? 踊るの? これなに? ジュリービクス? いやそんな肩上がらないんですけど! え? 走るの? え? 手振りもあるの? わからん! ってか盛り上がりすご!! っていうかジュリー、ミヤジ(宮本浩次)より動いてない!?

とオタオタオロオロしているところに2曲目であの「ダーリング」。続いて「憎みきれないろくでなし」「麗人」と一般大衆でしかない私たちでも知っている大ヒット曲が続く。

ここ数年、というか、最後にテレビで歌うジュリーを見たのがいつなのか記憶もなく、TBSやNHKの昔の歌番組を編集したDVDは持っているものの、正直なところ私のなかでリアル情報は更新されていなかったので、(果たしてどこまで歌える感じなんだろうか)と心配もあったのだけれど、歌声は記憶の中にあるジュリーそのままだった。

ありがとう! サンキュー! ありがとうねぇ! と1曲終わるたびに頭を下げ、「ここNHKホールに来るのは久しぶり。紅白ぶりかな」と客席をくすぐるジュリー。そうした短めのMCの間も立ったままで、曲中は手を叩き、腕を上げ、ノリノリで盛り上がるファン。凄い。こちとら五十肩と変形性膝関節症で全然ついていけない!

「サムライ」のイントロで、うわーー! と興奮し、♪片手に~ピストル~とジュリーが手を挙げた瞬間、ゾゾゾゾゾゾーと太ももから二の腕へと鳥肌がたった。遠い昔の記憶と今目の前にあのジュリーがいて、歌っているという現実が繋がって眩暈がして涙が滲んだ。初めて聴いたときには意味のわからなかった歌詞が沁みる。くらくらして、つい前の席の背もたれを掴んだ。
か、かっこいい……!!

公演中に、首に巻いているりぼんタイをジュリーがほどく場面があった。
シャツのタイを曲中にほどいて、ボタンをはずしてちょい肌見せ、という演出は、推し(TravisJapanとAぇ! group)界隈のライブでもよくあって、そこはもう毎回きっちり「ギャー――ッ!」と会場が沸くのだけれど、この日のジュリーはなかなかリボンをほどけず、ようやくゆるめたシャツからのぞく首には皺が寄り、顎は弛んでいた。

遠慮なく言わせてもらえば、「あの」ジュリーのビジュアルとは全然違う。たぶん街で見かけても私はジュリーだと気付けないと思う。

けれど、スポットライトを浴びて、マイクの前に立っているその人は、まぎれもなく「ジュリー」で、圧倒的な「スター」だった。

もしも。
今の推したちが、50年後にホールでこんなライブをしてくれる日が来ても、私は絶対に観ることができない(生きていても107歳ですしな)。

10代のGS時代から推してきた方々は、一緒に年齢を重ねてきたスターが76歳になっても、まごうかたなきスターとしてステージに立っていることが当たり前ではないと身に染みてわかっておられる気がした。ファンの方々はジュリーの背中に続いてきた人生と同時に、それぞれが歩いてきた道も重ねて振り返ることができる。とんでもなく幸せな推し活人生で羨ましい!

ジュリーが踊って走って飛んで(いやほんとジャンプしながら歌うんですよ! 信じられない!)ぼやいてボケて笑わせて、みなさんどうかお元気でと祈ってくれて、ありがとうサンキューありがとうねと何度も感謝を言葉にしてくれて。カンペやモニターで歌詞を見ることもなく、歌に詰まることもなく、長いMCは一度だけで歌い続ける姿を目前にして、その凄まじい熱量に応えずにはいられないとばかりに盛り上がる。いやー、私が今まで見てきたライブのなかで、本当に一番客席も熱かった!(二番目はアルフィー

チケットにバンドメンバーのフルネーム入り!こういうところになんかジンときてしまうのよ……!

え? まだこんなにやるの!? と、そこでもアルフィーを思い出した6曲のアンコールの後、また丁寧に感謝を述べ、バンドのメンバーを紹介し、最後に「じじぃでしたー!」とジュリーは深く頭を下げた。

えっと? これって「ジュリー」にかけてる? 笑うとこ? いや定番の和みネタみたいな? キョロキョロ周囲を見回すと、みんな笑顔で口々に思いを叫んでいた。ずっと気恥ずかしさがあって大きな声を出すことを躊躇っていたのだけれど、もう叫びたくてたまらなくなり、「ジュリー!!」と呼んだ声がカスカスで、(修行が足りぬ……!)と反省した。

あの頃のジュリーはかっこよかった。
それは本当に本当に夢のようにかっこよかった。

でも今もかっこいい。
体型が変わって、皺や弛みがあっても、ちょっと引くほどかっこいい。
「かっこいい」が当たり前のアイドルを大げさでなく何百人も見てきたけれど、「ビジュが良い」とか言ってるうちはまだまだだな、と思い知らされた。

「ジュリーね。昔はかっこよかったよねー」と言ったり思ったりしたことのある、だけど心の奥底で、あのスター・オブ・スターを忘れられずにいる人は、軽率にライブに行ってみてほしい。ちなみに今年は11月までツアーが続き、来年はバラード増やしたライブを考えているんだとか。

正真正銘、永遠の「スター」がそこにいるから。

アクスタあるかなー?あったら全部買う!と意気込んで行ったもののなかったー。公式さん作って欲しい!
なのでこちら、私の現推しTravis Japan宮近さんとAぇ! group正門さんを。76歳まであと49年&48年!


 

関連書籍

杉江松恋/藤田香織『東海道でしょう!』

かたや体重0.1t、こなた日常歩数400歩。出不精で不健康な書評家2人が、なぜか東海道五十三次を歩くことに。吉原宿では猛烈な暴風雨に全身ずぶ濡れ、舞坂宿の真夏の国道では暑さに意識朦朧、凍える鈴鹿峠で雪に見舞われ、濃霧の箱根峠であわや遭難!? 日本橋~三条大橋までの492kmを1年半かけ全17回で踏破した、汗と笑いと涙の道中記。

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だらしなオタヲタ見聞録

20年以上、毎日300~500歩程度しか歩いていなかった超絶インドアだらしな生活だったのに、突然フッ軽オタ道を走り出したこの数年。もう「いつかそのうち」なんて言ってられん! 見たいものは見ておきたい! 寄る年波を乗り越えて、進め! ヨタヨタオタヲタ見聞録。

以前の連載『結局だらしな日記』はこちら

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藤田香織

1968年三重県生まれ。書評家。著書に『だらしな日記 食事と読書と体脂肪の因果関係を考察する』『やっぱりだらしな日記+だらしなマンション購入記』『ホンのお楽しみ』。近著は書評家の杉江松恋氏と1年半かけて東海道を踏破した汗と涙の記録(!?)『東海道でしょう』。

Twitter: @daranekos
Instagram: @dalanekos

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