
車の窓を開けて風を迎え入れる。この道を自転車で何度通ってきただろうか。寝坊して髪を乾かす暇もなく、ペダルをこいていると、風で髪は乾いていく。そうか、blue hourの一節はこの道で生まれたのだ。その頃のイーグルは自転車の後ろに荷台をつけてマーシャルアンプを自転車で運んでいた。カーブを曲がりきれず飛んでいくアンプ。「先言っといてや。」体くらいある大きなアンプを荷台に乗せ直すのを待たずに追い越していく風。その尻尾が揺れるのを追いかけるようにわたしたちの車は進んでいた。
47集炎ツアーの初日、難波ベアーズにつき階段を降りると懐かしさがなだれ込んでくる。この地で下山で初ライブをした。下山は今回の人生では最初のバンドなので、わたしにとって本当に初めてのライブハウスだった。近年のライブでは八年前にVoyage Kidsの周年パーティでKID FRESINOとツーマンをやって以来だった。FRESINOを見にきたギャルがここにいた痕跡を残そうとインスタ用に何度も撮影するが店内は暗くほとんど何も映らないことに文句言ってる後頭部越しにライブを見ていた記憶がある。難波ベアーズには照明は三パターンしかない。白と赤、そしてそのスイッチを左右に手動で動かすストロボだ。この環境下でギャルが満足いく写真を撮ることはiPhoneがいかに進化したとはいえど難しい。
わたしは階段を降り、フロアに入ると暗がりの端っこに二十歳の自分がいた。それは記憶や思い出の中にいたのではなく、普通にいてこちらの様子を見ていた。リハーサルのために楽屋に移動すると楽屋にも別の自分が座っていた。こちらには挨拶をしても振り向かず当然目が合わない。彼はつまらなそうに楽屋に置かれた漫画を読んでいた。
誰にでも一つはある場所、故郷。そこはアンヨを踏み入れると懐かしく、羊水につかるが如く温かい気持ちに包まれると聞く。わたしにも相応の懐かしさはあった。しかし、その数秒後に込み上げる予定の温かい感情はいつまでたっても訪れず、代わりに、角の尖った鋭利な形状の剥き出しにされた神経が体の中で疼いた。ため息を吹きかけるだけでも反応するほど過敏なそれが延髄から足の親指の先まで張り巡らされ、わたしは全力で丁寧に歩いた。
「武道館すごいやん、見にいくで。」そんな風に古い知人に話しかけられた時、はて、わたしが武道館?ちょっとナニ言うてるか分かりまへん。と答えそうになるギリギリの彼岸で、片隅に残しておいた東京の先日の記憶を頼りに曖昧に返事をした。「おおう。きてや〜。」
わたしは初心に帰った。帰りすぎて、心のキャパシティも当時の形状にまで巻き戻されていた。とてもじゃないがたくさんの人前に出ていく心理状態ではなく、そのはるか手前のわたしだった。楽屋のかつての自分がやっと振り返り言う。
「ほんで、ベアーズがどんな場所かわかっとん?」
わたしはコーヒーを買うふりをして、外に出た。対バンのODD EYESのギター岡村がいてわたしを見るなり言う。「わあ、アムリタを作った人や〜」春の日差しそのものみたいな柔らかさを纏う岡村の声に握っていた拳の緊張は人の体を保てる程度にまでゆるむ。一緒にそのまま公園の桜を見に行った。楽屋のソファは先輩方が占領していたので、よくライブ前にコンビニの横の公園で精神統一していた。そんな話をすると、一人になれる近郊のスポットをいくつか教えてくれた。そのほとんどはビルの隙間や駐車場の脇などの外だった。
ライブが始まり、出番一番目のKK mangaのハマジが言う。
「初めてGEZAN見た時、マヒト君が買ったばかりのギターを五分で折ってライブが終わった。難波ベアーズはそういうのを請け負ってる場所です。」
言葉に説得力があった。ODD EYESは全てを受け入れ、全てを拒絶していた。矛盾を混ぜずに両端をそのまま直視する眼差しが二組にはあった。GEZANが始まる。セトリを攻撃的なセットに変えるか悩んだがそのままにした。
この複雑に入り組んだ精神の僻地がわたしの故郷だった。電波は入らず、接続することを求めながら瞬間で拒絶し点滅する。誰に会ったからでも、何を言われたからでもなく、わたしが積み上げたイメージの幻影をそのままにこの地下の床や壁はそれらの設定を保存していた。それは店長である山本精一さんに会うことよりも緊張することだった。暗闇の中で腕を組みステージを見ている数々の亡霊たち、それらの目には水銀が浮かび、決して体を揺さぶり音楽に乗ったり拍手したりするわけでもなく、ただ、呆然と立ち尽くしたベアーズの亡霊たち、今夜、対峙するのは彼らの目だった。
先日、新宿の純喫茶に行ったら、インスタグラムにのせたい女の子たちの群れでどこの純喫茶も列ができていて、どこにも入れなかった。女の子が悪いとは思わない。昨今の流れに乗りその蓋を開けたままにした店の選択だ。何をもって喫茶店と呼ぶのかの審議の先で、喫茶店の体を放棄した。当然、そんな店には静謐さも担保されていない。売れるとはそんなものなのだろうか。感性をぼやかし、大衆と呼ばれる層まで薄めて、コンビニに並ぶカップラーメンを目指す。それを普遍性と呼び、手放しているかもしれない芯についてするべき思考をスキップする。
わたしたちの古い純喫茶は撮影をオッケーにしない。あくまで静謐なままの姿勢で武道館に行かなければ意味がない。そのことを亡霊たちの水銀の目は激しく監視していた。
オッケー。ていうか、お前らに言われんくてもわかっとねん。舐めとったらどつきまわすぞ。そんな気持ちでバラードを歌った。
場所とはなんだろう?
場所は人です。と誰かは言うが、今、わたしは違うと思う。人が変わっても場所は残る。そこを踏んできたものたちの記憶の集積が所有したものたちの意志を超えるからだ。バンドもそう。別に同じメンバーでなくてもそこに貫かれた精神があれば再生できる。逆に言えば、その精神の軸を失うと同じメンバー、同じ名称があてがわれていても簡単に失うことができる。その中心は目に見えないが故にないものとして曖昧に扱うことができる。ないものをあるように見せてビジネスは軽薄に回転する。でも確かに存在することをわたしの細胞は難波ベアーズで感じた。分かり合えないこともずれていくことも年老いていくことも怖くない。またそのことを確認できればいい。だって何も消えることなどできないのだから。
そして交錯する日、これからもわたしの細胞は鋭角に緊張し続けるのだろう。そんな場所からわたしたちの旅が始まった。たった一つしかない。わたしの故郷。
(photography Shiori Ikeno)
*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)