「俺はなぜこんなにツイてないんだ?」と嘆く人には共通して見落としていることがある。そのヒントはビギナーズラックの中に―ー
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シンプル
勝負は複雑にすると負ける ―ーーー桜井章一
ゲームや賭け事で初心者が大勝ちしたり、大金を稼いだりすることがある。いわゆるビギナーズラックと呼ばれるものだ。しかし、これは単にツイていたというレベルの話では実はない。
ビギナーズラックは起こるべくして起こったことで、決して偶然ではない。
ビギナーズラックは麻雀というゲームにおいても、しばしば起こる。麻雀の手には難しいものからやさしいものまで多彩なバリエーションがある。だが、ビギナーにとってはどれが難しい手なのか、やさしい手なのかわからない。
つまり、ビギナーは難しい複雑な手が選択肢の中にないので、必然的にシンプルな手をもってくる。それが結果的に勝ちへとつながるのだ。
勝負には複雑にしたほうが負けるという普遍的な法則がある。「シンプル・イズ・ベスト」なのだ。
なぜシンプルなほうがいいのか。
それはシンプルな手にはムダがなく、速く動けるからだ。
ビギナーズラックをもたらすシンプルさは、「難しく考えない」ことからくる。すなわち、勝負を複雑にせずシンプルにするには、余計なことは考えず、感じたことを大事にすることだ。知識や情報といったものが増えると、どうしても考えが広がって選択肢がたくさん現れる。その分、迷いが生じ、決断に時間がかかることになる。
ものごとをシンプルにできる人と複雑にしてしまう人の違いはそこにある。
我々が生きている社会は複雑極まりない。人間の科学文明の進化とは複雑化の過程そのものであって、その最先端が現代である。それゆえに複雑化したり、抽象化することは、この上なく高尚なことだという思い込みを多くの人は持っている。
そういう社会に生きていれば、おのずと複雑化する思考の習慣や癖が体に沁(し)み込むようについてしまうのは仕方ないことかもしれない。
雀鬼会(麻雀を通して若者たちの人間力を鍛えることを目的として設立された道場)の道場生たちに、私がシンプルにやっていることを同じようにさせると、あっという間に複雑な操作を加えたりする。つまり、頭で考えたちょっとしたテクニックを入れてしまうのだ。だが、小手先のテクニックなど簡単に見透かされ、崩される糸口を相手に与えるきっかけにしかならない。
シンプルにするということは簡単にすることだ。勝負を簡単にできれば勝つに決まっている。
私が「簡単なものが大事」というと、「簡単なものほど、実は難しかったりするんじゃないですか?」と聞いてくる人もいる。しかし、それは考えすぎだ。簡単なものは簡単。そのままなのだ。それを小賢(こざか)しくひねって複雑にするから負けてしまうのだ。
ところで運というものに対して、多くの人はどこか不合理で理性でははかれないものというとらえ方をしていると思う。
だが、運は決して理性でつかめない不合理なものではない。たとえば、ある人に運がくるのは、そこに運がやってくる必然の道筋があるからだ。ただ、その道筋は誰にでもはっきりと見えるというものではない。
私は運は自ら呼び寄せるものではなく、「運がその人を選ぶ」と思っている。
普段からしかるべき準備をし、考え、行動をしていれば、おのずと運はやってくるものだからだ。同じ量のエネルギーを注いでも、間違った考え方のもとに正しくない行動をすれば、当然運はやってこない。
こうした日々の生きる姿勢におけるちょっとした差によって、運はやってきたり、こなかったりする。
「なぜ、俺はこんなにツイていないんだ!」と嘆く人は、嘆く前に自分がとってきた行動を振り返ってみるといいだろう。
調子がいいときに、驕(おご)った気持ちになって仕事を軽く見ていなかったか? 自分の損得ばかり考えて周りの人への配慮が足りないことはなかったか? いつも安全策ばかり講じてリスクをとることに及び腰ではなかったか?
たいていこういう人は何か間違った言動を仕事や対人関係においてとっていたりするものだ。
現実にそのようなことをしていながら、「俺はツイていない」と嘆く人は、ただ運に責任転嫁しているだけなのだ。つまり自分の至らなさや過ちを正面から見たくないから、運のせいにしてしまうのである。
このような人はまた、他人が仕事などでうまくいったのを見ると、「あいつは運がいいよ」という感想を抱くことが多い。もちろん、その人にはうまくいった人がどれだけ努力をしたかが見えていないし、見ようともしない。運のおかげと思えば、自分の怠慢や間違いを見つめずに済むのだ。
運は決して不合理で理解しがたいものではない。日々の行動や平素の考え方、仕事や生活に対する姿勢……そうしたものが運という形をとって表れるだけのことなのだから。
運というのは極めて具体的で、かつシンプルな原理で動く。奇跡のように思えることでも、その例外ではない。そこをきっちり認識していれば、運に妙な幻想を抱いたりして惑わされることはないのだ。
シンプルが一番強い ーーー 藤田 晋
麻雀に限らず、さまざまなギャンブルでは、ビギナーズラックという現象が確かによく起きるものです。僕も麻雀をしていて、そういう光景を何度も目にしました。
株の投資などでビギナーズラックを経験した人もいるのではないかと思います。
家族でよく使っている外食チェーン店はいつも行列ができるほど賑(にぎ)わっている。だからこの会社はこれからもっと大きくなるんじゃないか。この会社の商品は昔から素晴らしい。最近評判を落として株価が下がっているようだけれど、本来こんなに安いはずがない……。そんなふうに気になる会社をチェックし、割安な気がして投資をするのです。それで上がったところで、パッと売って利益を出す。
株の初心者は売買でどのくらい儲(もう)かるものなのか、どのくらい損をするものなのかが実感としてないので、いい意味で淡泊です。だから欲を出して深追いしないし、それがまたいい結果になる。株は欲を出してもっといけると思っていると、そのうちズルズルと下がって、売りどきを見失うことが多いからです。
ビギナーズラックで儲かった人は、ついつい「株って簡単」と思いがちです。そして、ちゃんと勉強すれば、株でもっと儲けられると考えるのです。ところが、PER(株価収益率)をはじめとするさまざまな投資指標や、マクロ経済のことを詳しく勉強し始めると、株価が素直に見られなくなってきます。「知識」が多くなると、ビギナーズラックのときのシンプルな感覚をなくしてしまうのです。
また、株価が安いと思っていたのにさらに下がったとか、もう十分に高いと思っていたのにさらに上がったという「経験」を経て、何が正しいのかわからなくなっていきます。そして株は「安いところで買って、高いところで売る」というごくシンプルな基本を忘れ、十分高い株価であっても、いろいろな情報を得ることで自分なりの付加価値をつけて「この株はもっと上がる」などと判断してしまうのです。
仕事も同じです。たとえば会社で、ある人が知識や経験のないサービス部門の仕事を任されたとします。最初のうちは「自分が客だったらこうしてほしい」という素直な気持ちで仕事をしていたら、ビギナーズラック的にうまくいくこともあるでしょう。ところが、そのうち、この部門をもっと拡大するにはどうすればいいかということを考え始めます。取引先や上司と交渉して新規プランの立ち上げを画策したり、コスト戦略を推し進めたり、さまざまな手を考え、実行します。そして、そうこうしているうちに人手が足りなくなったりコストが合わなくなったりして、きちんとしたサービスをすることの重要性を見失ってしまう。
ビジネスの世界は複雑怪奇です。最初は純粋な気持ちを誰もが持っているのに、「知識」が増えるに従って、どんどん混乱し、脱線していき、迷路の中に迷い込んでいきます。「経験」を積んでいく中で痛い思いをしたことで、何に対しても変に懐疑心を抱いたり、守りの姿勢を強める人もいます。
もちろん仕事をしていく上で、「知識」と「経験」は必要です。でも、自分が難しく考えすぎていると感じたら、昔、率直にものごとを見ていた頃のシンプルな感覚を思い出し、そこに戻るといいと思います。
僕は、ベンチャー投資が得意分野で、自分が投資を判断したもので過去10年間に400億円以上の利益を稼ぎ出していますが、その投資手法は簡単で、シンプルに安いと感じたときに買って、高いと感じたときに売っているだけです。
また、サイバーエージェントの経営戦略を決めるときも、最後はシンプルに考えて決めるようにしています。ビジネスは複雑化すればするほど、シンプルにものごとを見ることが極めて重要になってきます。携帯電話がガラケーからスマートフォンに移行する流れが始まったときも、市場性がどうだとか、需給関係のバランスが悪いだとか、その流れを素直に見ることのできない専門家がかなりいました。当時ガラケーが衰退し、スマホは伸びるという流れは、素人が見ても自明のシンプルな話だったにもかかわらず、です。
専門家は、ものごとを難しくとらえる傾向にあります。なぜなら当たり前のことをいったら、自分の存在価値がないからです。
だから僕は、シンプルに考える必要があるときは、専門家の話はあまり聞かないことにしています。
結局はシンプルに考え、シンプルに行動するのが一番強いのです。知識や経験が増えてくるとさまざまな選択肢ができて、欲や恐れが迷いにつながります。だから最後は、専門家の意見に頼るのではなく、自分を信じる心の強さを持つことが必要なのです。
連載第3回「見切りにも〈いい見切り〉と〈悪い見切り〉がある」は、6月23日(火)更新予定です。