最新エッセイ『すばらしい日々』を上梓したよしもとばななさん。震災、放射能、両親の死――つらい日々の中で見えてきた「幸せになるヒント」を綴った本書は、これからの時代を生き抜くうえで大切な「優しさ」と「強さ」を教えてくれます。
ひとりになって、大人になった
『すばらしい日々』の中でやはり強く印象に残るのはよしもとさんのご両親のエピソードだ。父親が生きるために血糖値を記録し続けた手帳の話はもちろん強く胸を揺さぶるが、父親の作るマズイ卵焼きや串から外してひとつひとつ母親に食べさせたみたらし団子のエピソードなど、日常のささやかな出来事もまた何とも言えない温かな切なさと共に胸に迫る。今、よしもとさんはご両親の死を改めてどう感じているのだろうか。
「母はあまりにも急に自然に去っていったので、まだちょっと信じてないんですよね。うまく言えないけど、まだ悲しいどころじゃないって状態のまま1年経ってしまって。母はもともと大体寝たきりで、2階に行ったらいるみたいな感じだったから、今もいるのかなという感覚しか持てないままでいますね。でも、そういう死に方って最高だなと思うんですよね。段々とその喪失感になじんでいけるから、周りに負担が少ないっていうか。一方でやっぱり、父については、きつかったですね。晩年の闘病もきつそうだったし、やっぱり大騒ぎって感じだったんで。それに、やっぱり父が亡くなった後、ひとりになった感じがしたんです。とことんひとりになった感じがして、その感じは今も残っていますね。親が死ぬまでは子供でいないとみたいな感覚がどこかにあったんですよ。意識的に親の期待に応えようって気持ちがあった。でも、父が亡くなって、結局、家族がいても判断するのは自分だし、自分の人生だという意識が確立された感じがします。その感覚を得て、少し大人になったような、そんな気もしていて。今更大人になってどうするんだって年齢なんですけど(笑)」
「病院の階段をのぼるとき、いつも逃げ出したかった」。エッセイの中でよしもとさんは父の病室へ向かう時の気持ちを正直に吐露している。しかし、よしもとさんは逃げなかった。それはなぜなのだろうか。
「なんとなく、ここで逃げたらダメなんだろうなと思ったんですよね。それに、父が生前よく『親が死ぬ時って本当に怖いけど、それを乗り越えて自分はよかった』みたいな話をしていたので、それが随分励みになりましたね。でも、逃げましたけどね。モルジブに行ったりもしましたし。私の友人で、お母さんが癌で入院した人がいるんですけど、彼は病院に2週間一緒に泊まり込んだっていうんですよ。それを聞いて、自分はとことんいけなかったなと本当に思いましたね。今もどっか逃げたなって感覚は残っています。でも、病院って行くだけでも消耗するし、ある程度、逃がしながらっていうのも大事なのかなとも思うんです」
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