今回から連載タイトルを「アルテイシアの初老入門」にリニューアルしました。
小生は1976年生まれの48歳、タピオカブームは三度経験している。タピオカの誤嚥はやばいので気をつけよう。
「死に支度 いたせいたせと 桜かな」と小林一茶が詠んだのは、48歳の時なんだとか。
寿命が延びた現代において、48歳は死に支度には早い気がするが、老いはバッキバキに感じている。
「初老」とは、人が老いを感じ始めることを表す言葉だそうだ。それなら「オッス、オラ初老!!」と胸を張って言えるだろう。
高杉晋作の「おもしろきこともなき世をおもしろく」をSNSのプロフィールに書いている人ほどつまらない法則があるが、初老ワールドはなかなかに面白い。
「アレしなきゃ」と立ち上がった次の瞬間「アレ」が何か忘れて立ち尽くす、といった不具合はあるが、友人たちも大体同じように老いている。
初老フレンズと「アレがアレしてさ」「あ~アレね」と指示代名詞だけで会話するのも、いとおかし。英語圏の初老も「that」を連発するのだろうか。
昨今すべての記憶が曖昧なため、「うちの父親が自殺したのって何年前だっけ?」と夫に聞いたら「あのときは警察署に亀がいたなあ」と返ってきた。
「あれはミドリガメかカミツキガメか……」と思案する夫は、亀の記憶しかないらしい。
エッセイストとは便利な職業で、脳内から記憶が消滅しても、著書に記録が残っている。
『離婚しそうな私が結婚を続けている29の理由』を読むと、5年前、父の遺体の確認のため警察署に行ったら亀とイケメン刑事がいてびっくりしたと綴っている。
夫との出会いから結婚までを綴ったデビュー作『59番目のプロポーズ』を出版したのは2005年、我々はもう20年近い付き合いになる。
その間、ふたりの真ん中にはいつも猫がいた。
夫も実家でずっと猫を飼っていて、私も一人暮らしのアパートで猫を飼っていた。
私の飼い猫・故メイ子さんは初対面から夫にぞっこんで、いつも夫の膝に乗っていた。
夫はなぜか異様に動物に好かれて、牧場では牛がついてきて、動物園ではキリンやダチョウが寄ってきて、花鳥園ではオオハシが肩にとまっていた。前世は人造人間16号なのかもしれない。
結婚3年目に「そろそろ二人目がほしいわね」という話になり、私が保護猫の里親募集サイトで一目惚れした子猫を迎えた。夫の尊敬する人物から名をもらって「ラーメンマン」と名づけた。
ラーメンマンは我が家にやってきた瞬間、すたすたと歩いて夫の膝に乗り、夜は夫の顔の上で寝ていた。
夫の壮絶な甘やかしによって、ラーメンマンはだっこ大好き甘えん坊キャットになった。
夫にしがみつく猫を見て友人たちは「赤ちゃんみたい」と言い、夫も「街で見かける赤ちゃんがみんなラーメンマンに見える」と言っていた。
そんないつまでも赤ちゃんみたいな猫が、気づけば16歳になっていた。
そして初老夫婦による老猫介護がはじまった。
ペット介護でネット検索すると「ペット介護 鬱」「ペット介護 退職」と出てきて「わかる……わかるぞ友よ……」と涙目で膝パーカッションした。
老猫介護は本当に大変だった。そりゃ土佐犬とかセントバーナードの介護よりは楽だし、霊長類の介護に比べたら全然楽だろう。
でも自力で歩けなくなった猫に排泄させて栄養や薬を与えて……という日々はなかなかにハードだった。
うちは猫一匹に対して大人ふたりが交代制で24時間介護にあたり、「北欧並みに手厚いんじゃない?」と夫と話していた。
しかもおしっこするたびに「えらいね~かしこいね~」と称賛されるのだから、北欧以上だろう。
もし私が一人暮らしで会社勤めだったらこんなの無理じゃないか? と介護中によく考えていた。
物理的なケアの負担だけではなく、精神的にも耐えられなかったんじゃないか。赤ちゃんの頃から育ててきた子どもみたいな存在が、どんどん弱って死んでいくのだ。
そんなのひとりで受け止めるなんて、無理ゲーではあるまいか。
そこで「シングル女性が死ぬまで安心して猫と暮らせるシェアハウスを作りたい」という黄金のような夢ができた。
このアルテイシアには夢がある!!
けれども金はないので、身寄りのない猫好きなおばあさんとかいたら遺産を分けてください。
夢と金の話はまた今度するとして、本格的な猫介護は今回が初めてだった。
15歳で死去したメイ子さんは最後まで自力でトイレに行き、ごはんを食べていた。
みんなの憧れPPK(ぴんぴんころり)で逝ったため、介護の苦労はなかったけれど、もちろんペットロスには陥った。
ペットロスでネット検索すると「ペットロス 鬱」「ペットロス 後追い」と出てくる。そりゃそうなっちゃうのもわかる。赤ちゃんの頃から育ててきた子どもみたいな(以下同文)
ところがメイ子さんが死去した翌日、私は黒猫を拾う夢を見て、その2日後に黒猫を拾うというミラクルが起こった。
道路の端っこで震える子猫を発見した時は「ペットロスの悲しみが見せる幻覚か」と思ったけれど、子猫は実在しており、このままでは車にひかれてしまう。
そんなわけで子猫は保護されて我が家の一員となった。
不思議なご縁だったので「スピ太郎」と名づけようかと思ったが、我々はスピリチュアルに無関心な夫婦なので「プリンス・カメハメ」と名づけた。こちらも夫の尊敬する人物から名をもらった。
しかし猫的に気に入らないのか反応が薄く、結局「チビヨンくん」という呼び名に落ち着いた。
チビヨンくんは野良の血筋なのか、いまだに家庭内野良猫である。ボールを投げるとびびって逃げていくので「爆弾ちゃうよ」と説明しても、疑惑のまなざしを向けてくる。
でも寝るときは私の布団の中に入ってくる、クールな魅力のツンデレキャットだ。
チビヨンくんを拾った当時、シャーシャー威嚇しまくる子猫の世話に追われるうちに、メイ子さんを失った悲しみが癒えた。新しい猫の存在は死別の苦しみを和らげてくれる。
親を看取った後に鬱になった友人がいて「つらいよな……新しい親は飼えないしな」と思った。
親が死んで悲しめる人がずっと羨ましかった。
毒親育ちの私は両親共に遺体で発見された女なのだが、どっちが死んだ時も「これでもう嵐に怯えずにすむ」とホッとした。
毒親フレンズのひとりは「私は火葬場で焼いた骨を見た時にホッとしました、これでもう二度と復活しないって」と言っていた。土葬文化の国だったらゾンビの襲撃に怯えていたのかもしれない。
今でも親が死んで悲しめる人が羨ましいけど、しかたない。だってもらってないものは返せないから。
私はラーメンマンにたくさんのものをもらったので、その存在を失うことが怖かった。
猫が先に死ぬのはわかっているし、そうじゃなきゃ困る。最後まで看取るのが我々の責任なのだから、猫より長生きしなければ。
そう頭ではわかっているけど、考えたくない。世界で一番大好きな存在がいなくなるなんて、いつか別れの日が来るなんて、そんな現実に向き合いたくない。
これは猫飼いの共通の思いではないか。
私がこのたびの老猫介護を経験して思ったのは「そんなこと考えなくていい」である。
いつか考えなきゃいけなくなる時、向き合わなきゃいけなくなる時が来るのだから、それまでは「ずっとずっと一緒にいようね」と思っていればいいのだ。
ずっと一緒にいるのは無理だとわかっているけど、そう願わずにはいられないのが愛なのだから。
愛ってすげえ(語彙力)
夫のことも一応愛しているけど、自分が苦しいより夫が苦しい方がつらいとまでは思わない。一方、老猫介護の日々の中で、猫が苦しそうなのが一番つらかった。
母が拒食症で入院した時は、医師から延命治療について「えんめ……」と聞かれて「結構です」と食い気味に答えた。
サイコパスと思われたかも、もうちょいためて答えりゃよかった……と思ったが、まあそんな親子も珍しくはないだろう。
ラーメンマンの治療方針について獣医さんに聞かれた時は「本音は一分一秒でも長生きしてほしいけど、猫が苦しくないことを最優先にしてください、そのためには何でもします」と涙ながらに訴えた。
愛に種族も血のつながりも関係ない。死んでほしくない存在がいることは幸せだし、そんな存在に出会えて看取れることも幸せだ。介護中いつもそう思っていた。
夫も寝不足でやつれた顔で「10年でも20年でもラーメンマンを介護したい」と言っていた。私も同感だったけど、この状態が20年続いたら経済的に破綻すると思った。
人間には健康保険と介護保険制度があってよかった。介護保険の改悪、絶対反対。
夫はラーメンマンの介護について「総力戦でいくぞ、俺は今ゼレンスキーの気分だ」と語っており「その喩えは不適切では」と返したけど「おお~よちよち、あんよを拭こうね~」と不退転の覚悟で介護していた。
我が家のゼレンスキーはペットのケアや介護について勉強して、ペットシッターの資格まで取得していた。オタクの魂百まで、オタク気質はいざという時に心強い。
夫は痩せてしまったラーメンマンを抱っこして「16年なんてあっという間すぎる……」とよく呟いていた。
「人間の寿命は最低でも8万年は必要だ」と言うので「80年ぐらいで十分じゃないか」と返すと「8万年あっても好きなゲームを全てクリアできない」と夫。そんなにクリアしたいゲームがあって羨ましい。
夫は不老不死になりたいそうだが、人は老いるし、猫も老いる。そして猫の老化のスピードは人間よりずっと速い。
猫の12歳は人間でいうと64歳、猫の15歳は人間でいうと76歳。室内猫の平均寿命は15歳で、16歳以上は立派なご長寿猫なんだとか。
ラーメンマンも12歳頃から健康診断で老化を示す数値が出てきて、食事療法を続けていた。動きがゆっくりになり、眠っている時間が長くなった。
真夏の午後「今年も蝉がすごいねえ」と話しかけると、ラーメンマンは真ん丸な目で見つめてきた。
「来年の夏も一緒に過ごせるのかな」と思いながら、スマホで写真や動画を撮った。残しておかなきゃ、と考えてしまうことが悲しかった。
この手触りや温かさや重みや匂いを永遠に覚えていたくて、何度も撫でて抱っこして、毛皮に顔をうずめた。これもいつか忘れてしまうのか、と思うと涙が出た。この肉体が消えてしまったら、自分は狂うんじゃないかと思った。
どっこい現在私は狂ってないし、そこそこ元気に生きている。
愛猫と過ごした最後の日々は、つらさや悲しみばかりではなかった。そこには笑いや喜びもあった。
いよいよ別れが迫った日「ラーメンマンにそっくりな子猫を探し出して、ラーメンマンとして育てるとか言っちゃいそう」と私が泣いていたら
「それは……モンゴルマンと名づけるしかないだろう」と夫に言われて爆笑した。
夫「動物病院で『モンゴルマンです』って名前を言うの恥ずかしいな」
アル「ラーメンマンが死んだ後にモンゴルマンを連れて行ったら、意図がバレバレやないか」
このエッセイはそんな介護の日々の記録です。次回は『恵美子と壇蜜に手紙を書こう』お楽しみに!
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