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衰えません、死ぬまでは。

2024.06.29 公開 ポスト

第16話 目指すならファイヤーよりもフィフジョ? 前半

何を悲観しているかというと、それはもうほとんど人生のすべてと言っていい宮田珠己

「年をとると頑固になる理由」を、こんなに理解できたことはありません!今回は、読み応え抜群の老人論。

*   *   *

最近、自分のまわりにいる自分と同い年ぐらい(50代から60代)の男性を見て感じるのは、みんなうっすら凹んでいるということである。

なかには順風満帆、悠々自適、人生楽しいことばかりみたいな人もいるにはいるけれど、多くの人は、ふだん元気そうにしていても、ふとした言動やSNSなんかに、弱ったなあとか、しかたないなあというため息のような、微妙な翳が差すときがある。

 
(写真:宮田珠己)

体力が衰えたせいで疲れているのだと思うが、それに呼応するように精神的にも脆くなっているように見える。熟年というか老人になりつつある人間であれば、それがふつうの姿かもしれない。

実は自分も、朝起きた瞬間からやたら悲観モードに入っていることがある。どよーんとした気分で目が覚めるのだ。

何を悲観しているかというと、それはもうほとんど人生のすべてと言っていい。健康問題はもちろんのこと、お金のこともあるし、老親の心配もあり、むしろ楽観視できる項目を探すほうが難しいぐらいだ。人生、だいたいこのぐらいのタイミングで、あらゆるややこしい問題が一挙に押し寄せてくるのである。

もし自分が20代30代ぐらいで同等の境遇に陥ったとしたら、即座に鬱になっていたんじゃないだろうか。そのぐらいいっぱいいっぱいである。

健康やお金、介護といった具体的に頭の痛い問題だけでなく、この先とくに自分が社会で大躍進することもなさそうだというあきらめや、自分の人生これでよかったのだろうかという悔恨みたいなものが入り交じり、なんだかもう酒でも飲んで全部忘れたいと思ったりするわけだが、私に限って言うと、酒は一切飲めないのだった。

この、土台が鬱的である点が、50代以降の人生の大きな特徴だと思う。

よく老人がキレてまわりに迷惑をかけるのは、この土台が鬱っぽいことときっと関係がある。そういう人は、体だけでなく、心も耐久力を失っているというか、自分で制御できなくなっているというか、自分を律するパワーがなくなっているのだ。

たまに齢を取ったら頑固老人になりたいなんて、若いうちから宣言している人がいるが、わざわざ宣言するまでもなく、ほぼ自然にそうなる。頑固は、体力のなさによって起きるからだ。

ちょっとムカッときたときに、若くて未来も体力もある場合は、すぐに冷静かつ客観的になり、ここで怒ったところで何の得にもならないし、さっさと忘れるが吉、と判断できるところが、体力のない老人になると、そのブレーキが利かない。一歩引いて考えられるのは、心の体力のおかげなのである。

(写真:宮田珠己)

つまり、将来は頑固老人になりたいなどと言っている人は、頑固老人のその融通の利かなさ、柔軟性のなさを自ら選び取るものと考えているが、それは選んでそうなるものではなく、それ以外どうにもならない心の運動能力の消滅であることを知らないのだ。頑固になるときは、自分で自分の世界をコントロールできなくなるときなのである。

そしてそれは、わがままやだだをこねるといったような未熟さによるものとは違って、挫折や後悔に近しい感情から来るものであり、端的に言えば、自分の人生を肯定できていないことが原因だと推察できる。

50代60代になって多くの人が鬱っぽくなるのは、人生の審判のときがやってきているからだ。

自分の人生は満足のいくものだっただろうかという問いが、頭をかすめるせいなのだ。

この世代が、もし悲嘆せずにいられるとしたら、思いつく条件は次の3つぐらいしかない。

ひとつは、それまでの人生がものすごく納得のいく素晴らしいものだった場合だ。社会的に成功したとか金持ちになれたというより、愛や友情に恵まれていたことのほうがたぶん重要である。

そして見栄や虚勢ではなく、本当に自分が手にしたかった夢を実現したかどうか。もう今死んでも悔いはないと思えるかどうか。

残念ながらたいていの人はこの条件を満たしていないだろう。そんな恵まれた人生はそうそうない。自分を納得させるためにハードルを下げて、夢を果たしたと自らを欺くことはあるかもしれない。それがダメとは言わないが、自分でそのことに気づいているとしたら、ため息が漏れるのもしかたがない。

ただ、これには反論がありそうだ。仮に夢を実現できなかったとしても、足るを知ることで、不満なく生き切ることができるのではないかと。それはまったくその通りで、老人になっても穏やかだったり包容力に満ちた人は、そういう人なのだろう。これはなんとかわれわれでも到達できそうな第2の道である。

(写真:宮田珠己)

残る3つめの道は、人生がまだこれから好転すると信じることだ。このままで終わりたくない人が望みを託すのが、これだ。

私自身もそうである。

今からでも筋トレをやって体力をリカバリーし、運勢を逆転させようともがいている。

悪あがきと言われれば反論の余地もないが、何であれ、人生の終盤に向かうにあたり、あらかじめ考えておくべきことがある。

それは、結局どうなれば自分は満足なのか、という問題だ。

いったい自分はどんな老後を迎え、どういう形で人生を終えたいと思っているのか。どうなれば満足して死ねるのか。それがわからないままでは、いつまでたっても未練は解消しないのではあるまいか。

(後半へつづく)

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衰えません、死ぬまでは。

旅好きで世界中、日本中をてくてく歩いてきた還暦前の中年(もと陸上部!)が、老いを感じ、なんだか悶々。まじめに老化と向き合おうと一念発起。……したものの、自分でやろうと決めた筋トレも、始めてみれば愚痴ばかり。
怠け者作家が、老化にささやかな反抗を続ける日々を綴るエッセイ。

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宮田珠己

旅と石ころと変な生きものを愛し、いかに仕事をサボって楽しく過ごすかを追究している作家兼エッセイスト。その作風は、読めば仕事のやる気がゼロになると、働きたくない人たちの間で高く評価されている。著書は『ときどき意味もなくずんずん歩く』『ニッポン47都道府県 正直観光案内』『いい感じの石ころを拾いに』『四次元温泉日記』『だいたい四国八十八ヶ所』『のぞく図鑑 穴 気になるコレクション』『明日ロト7が私を救う』『路上のセンス・オブ・ワンダーと遥かなるそこらへんの旅』など、ユルくて変な本ばかり多数。東洋奇譚をもとにした初の小説『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』で、新境地を開いた。

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