アスリートになれてもエンターテイナーにはなれない
戸谷 先ほど糸谷さんが、将棋を「エンターテインメント」と言っていたのが、僕の中ではしっくりきたんです。ああ、やはりそういうふうに思っているんだなって。プロ棋士って、単に将棋が強ければいいというものではないと思うんです。もちろん、実力は戦いで決まるけど、「この棋士はすごい」と思われるためには自分を演出したり、表現したりする側面も必要ですよね。糸谷さんの場合、それが「怪物」というキャラなわけじゃないですか。あえて空気を読まないことを言ったりして、自分をセルフ・プロデュースしているように見えるんだけど。
糸谷 棋士の中には、趣味を前面に出されている方や、個性を前面に出されている方など、自分の将棋のスタイルを自分で表現することで、より観ていただくための努力をされている方は多いと思います。哲学者にもそういう側面はあるんじゃないですか。
戸谷 うん、あると思いますよ。あえて極端なことを言ってみたり、ちょっとギャル男っぽい服を着てみたり、意図的に支離滅裂なことを言ってみたり。でもAIには、そうしたセルフ・プロデュースはできないと思うんです。たとえば、佐藤天彦名人を破った「ポナンザ」は、自分のことを「ポナンザ」って名づけていませんよね。名づけたのはプログラマーで、プログラマーがソフトの個性をプロデュースしている。
糸谷 でも、これからはわからないですよ。
戸谷 自分をセルフ・プロデュースする、エンターテイナーとしてのAI棋士が現れるということですか。
糸谷 おそらく現れると思います。どういう名前をつけて、どういうキャラをつくったら好感度が上がるのかをAI自身にやらせる。
戸谷 それって将棋で勝つより、はるかに高度な計算が必要ですよね。
糸谷 でも、いつかは可能になるんじゃないですかね。最近では、家電にも人格をつけるのが流行っていますよね。アレクサもそう、ルンバもそう。あたかも人格があるかのようなプロダクトが流行っている。だとしたら、将棋ソフトだってそうなっていくと思うんです。
戸谷 じゃあ妹キャラのような発言をしたりする、キャラクター化されたAI棋士が現れるということですか。ビッグデータを集めて、解析して、「待てよ、いまは妹キャラじゃないぞ、お姉さんキャラのほうがウケるぞ」みたいにセルフ・プロデュースするAI棋士が。
糸谷 戸谷さんのその趣味はよくわからないけど(笑)、出てきても不思議ではないでしょう。家電だって、家族の一員として受け入れられるものが、そのうち出てくると思いますよ。
戸谷 AIが家族の一員になる?
糸谷 すでに動物は、ペットとして家族の一員になっていますよね。同じように、AIが家族の一員として受け入れられる日も来るでしょう。空気を読まない人間より、AIのほうが空気を読むから愛されるかもしれない。
戸谷 空気は読むでしょうね。それでも僕は、AI棋士はエンターテイナーにはなれないと思っています。アスリートにはなれるかもしれないけど、エンターテイナーにはなれない。AIと人間のいちばん大きな違いはそこだと思うの。
糸谷さんって、盤上ではアスリートだと思うんです。でも、盤の外ではエンターテイナーだと思うんですね。空気を読まないことを言ったり、業界に対して鋭いツッコミを入れたり、棋士なのに哲学者のような発言をしたり。どこまでが演技で、どこまでが本音なのかはわからないんだけど。
糸谷 空気が読めないのはまったくの素だと思いますが(笑)。哲学的な話についてはニーズに応えて、というところもあります。本当に需要があるのかどうかはわからないですが。
戸谷 ビッグデータを集めて、解析したところで、そんなキャラクターが生まれてくるのかな。僕は、ある世界でスターになる人というのは、偶然生まれてくると思うんです。たとえば糸谷さんが大阪大学に入学して、哲学の勉強を始めるということは、おそらく誰にも予想できなかったはず。こうした偶然性が、エンターテイナーをスターにする大きな要素だと思うんです。
糸谷 私自身はスターになろうなんてまったく思っていないですけどね。
戸谷 ここで哲学を例に出すと、ハンナ・アーレントという思想家がいるんですね。彼女はナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人でもあるんだけど、『人間の条件』という著作の中で、すごく要約をすれば、「政治的なリーダーは偶然に誕生する」と言っています。権力者が統計的に社会を統治し、皆が同じように振る舞っているとき、リーダーはその統計を裏切るような形で現れるわけです。偶然に生まれてくるということは、予測できないということだし、だからこそ新しい存在だし、個性的でもあるわけです。そしてそれは、エンターテイナーにも共通することだと思う。そう考えると、はたしてAIがそうした新しさや個性を身につけられるのかな、という疑問は抱きますね。
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