「自分より能力が高い奴がいる」という、よくあること
戸谷 自動車は、人間より明らかに速く移動することができます。にもかかわらず、人間は散歩やマラソンをやめませんよね。つまり、機械が人間の能力を超えたとしても、人々の間で行なわれている遊びやスポーツは変わらず残るんだという考え方があります。しかしAIの場合、人々の反応が少し異なる気もするんです。AIは人間より、ある意味において知性がある。そこにはある種の畏れみたいなものが含まれていて、人間と自動車の関係とは異なる側面があると思います。
糸谷 でも、いまの将棋ソフトはいわゆる人間に代わるものとしてのAIではないでしょう。将棋という一点のみにおいて人類の能力を突破しているものですし、人格化もされていない。
戸谷 たしかに、どのソフトを前提とするかで議論が変わってくる。つまり糸谷さんとしては、自動車が人間より速く移動できることと、それほど変わらないと。
糸谷 私は変わらないと思います。
戸谷 たとえAIが人間より高い計算能力を持っていたとしても、それは人間の本質を何も変えないし、人々の間で行なわれている営みに変更を強いるものではない?
糸谷 「自分より能力が高い奴がいる」という状況は、よくあることでしょう。ほとんどの人にとっては。
戸谷 AIもプレイヤーの一人にすぎなくて、単に強いプレイヤーが現れただけということですか。そうは言っても、プロ棋士という存在がリスペクトされなくなるとか、業界に与える影響はありませんか。
糸谷 結局、将棋はエンターテインメントとしての要素が大きいんですよ。私はよく野球を例に出すんですけど、時速300キロのピッチングマシンが投げるボールをロボットが打つみたいな試合を、われわれは観たいと思いますか。
戸谷 観たくないね。
糸谷 なぜ観たくないかというと、野球はエンターテインメントだからですよ。だから機械には代替されないと思う。代替される恐れがあるのは、より単純な作業でしょうね。たとえば電話交換手という仕事は、機械に代替されてしまいました。でも、そこには人間が労働から解放されるという側面もある。必ずしも悪いことではないとも思います。
戸谷 将棋の対局で、残り時間を読む人がいるじゃないですか。
糸谷 記録係ですね。
戸谷 この前、動画投稿サイトで観たんだけど、記録係の人が対局の最中に寝てしまって、指している人からすごく怒られていました。ああいう仕事こそ機械化したほうがいいと思うんですよ。
糸谷 一応、進行の補助役として、困ったことが起きたときに対応するとか、そういう役割もあるので。まあ、寝てしまうのは困りものですけど(笑)。
戸谷 でも、やっぱりつらくないですか。カメラが正面からずっと撮っていて、棋士が長考に入っているのを黙って見ている。それでも人間が読んだほうがいいんですかね。
糸谷 まあ、人間のほうが融通はききますからね。
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