
アレン様の幸福論エッセイ、第3回目は「他人の目」がテーマです。周りの目が気になる、誰かに笑われたり否定されたりしたら嫌だから、自分が本当にしたい格好ができない……そう思うことはありませんか? あと一歩の勇気が出せない人、同調圧力に屈して本音を言えない人にアレン様のありがたいお言葉を届けます。
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幼少期の頃はヮタクシも人の目を気にして生きてたわ
今はもう他人の目なんてまったく気にならない㌔、幼少期の頃はすごく気にしてたわ。もともと女っぽい趣味があるのに、男っぽくしなきゃいけないと思って生きていたから。当時は「自分は人と違うんだ」っていう劣等感がすごくあったの。
たとえば、学校の休み時間に男子は外でアクティブに遊んでる、女子は中でキャッキャ語ってる。ヮタクシは確実に女子側の気持ちだったのに「あいつはいつも女子といる」とか思われたくなくて、やりたくもないのに嫌々男子と過ごしたりね。
今思えば、別にそうしたかったら女の子と一緒にいればいいじゃん、誰の目をそんなに気にしてるのっていう話なんだけど、当時は持ち物の一つひとつも気にしてたの。たとえば、筆箱も女の子っぽいデザインの物じゃなくて、男の子っぽいドラゴンが何体も描かれてるデザインの物を嫌々選んだり、そういう細かい部分も全部ね。
その後、中学生のときに爆発して少年院に入って、本来の自分を出したいと思ったの。そのときには、もう目立ちたいっていう気持ちがあったから中学のときから髪を染めたりして。いじめられて我慢して、それが爆発したときにもう何も怖くなくなったわ。髪を染めたかったら染めるし、変な格好もするし、みたいな。ヮタクシが他人の目を気にしなくなった転換期はそこだったかもしれないわね。
他人の目を基準にしてる=自分の人生を生きてないのよ
年齢を重ねて、「もうこの歳で脚を出すミニスカなんて穿けない」とかいう話もよく聞く㌔、ヮタクシ30代よ。ずっと好きな格好をしてるし、30代になったときに「そんな派手な格好して」とも言われてない。逆に、ヮタクシの周りの人が派手な格好をしていても、「もういい大人なのにそんな格好して!」なんてまったく思わないわ。
ヮタクシとヮタクシの周りは、他人の服装や趣味に対して、いちいちツッコんだりはしない価値観で生きているんだ㌔、世の中の人たちはたぶん揶揄してくるのよね。「それ似合ってなくない?」だとか、「いい年してその格好、恥ずかしくないの?」だとか。
もしも自分が近所の変なババアにそういった否定的なことを言われたら、「ァンタはこの先、地獄ィキ列車への乗車確定人生、結果は、、、あの世ィキ」って言っちゃうわよ。何を着たって、何を身につけたって、こっちの勝手でしょ? 自分らしく生きて何が悪いのって思うの。
ただ、それでも自分に対する周りの目が気になるんだったら、好きな服なんて着なきゃいいと思っちゃうの。なんだかヮタクシ、考えがだんだん極論にいきすぎちゃってるんだ㌔……嫌いなのよ、「こういう格好したいんだけど、周りの目が気になってできない」とか。
じゃあしなきゃいいんじゃないって思っちゃうの。だって自分だったら着たいと思った服は着ちゃうんだもん。そのほうが自分が幸せだから。つまり人の目を気にしてる時点で、自分の人生を生きてないんだなって思うわ。
他人の目が基準なんでしょ? だったらあなたはそうやってずっと、したい格好ができないまま、ぁの世がァンタを迎えに参り、土葬されていくんでしょうねってヮタクシは思う。
それが幸せなんだったら別にいいと思うのよ。周りに変な人扱いされないことが嬉しいんだったらね。けどヮタクシは自分がやりたい格好をしたいし、自分の人生を生きたいから、人の目を気にしていられないの。ヮタクシはそうやって周りの目を気にして我慢して我慢して死んでいきたくないから、自分の好きなことをさせてもらうわ。
たとえ周りにどう思われようがいいのよ。だって、いま道ですれ違った人なんて一生会わないじゃない?
さっきそこですれ違った100人の顔すら覚えてないわよ。それは向こうも一緒。派手で目立ってたとしても「何か派手な人いたね」で終わり。良くも悪くも、人は1分後にはァンタのことを忘れていくものなのよ。そう思うと何だか強くいられるでしょ?
仮に知り合いに否定的なことを言われたら、ヮタクシ言い返しちゃうわ。「え、でもあなたのその格好も変よ。ヮタクシ、そんな格好とてもとてもできなーい」って言う。「人生一回なのに、そんなダサい格好してるの?」とか言ってやる。
何も言われなきゃ、もちろんそんなこと言わないわよ。そもそも、ヮタクシはそうやって否定的なことを言ってくる人に対して言い返してやるっていう精神なの。「ちょっとァンタ、人に文句を言えるような立場じゃなくない? ァンタもおかしいよ、十分」みたいなスタンスで生きてるのよ。
でもそれが相手の本音だとしたら、本音でぶつかりあえるから会話ができてるしいいと思うのよね。嫌味で言ってきてるんだとしたら、こっちも嫌味でお返したらもう何も言ってこなくなるし。
陰口を言われたらドド突く。自分だけ我慢する必要なんてないわ
自分の悪口を影で言われたりネガティブな噂話をされたりした場合、昔のヮタクシだったら傷ついて傷ついて、怖がって終わってたと思うわ。実際そうだったから。
小学生のとき、あいつはオカマだなんだって噂話されてることに気づいても、怖いから言い返せなかったし、「ああ、やっぱり自分ってキモいんだ」って思って傷ついたりね。
でも今だったら、仮にヮタクシの目の前でそうやって悪口言うヤツらがいたとしたら、バーッと近づいて行って、かなりの加速をつけて、頬にめがけて平手打ちを1発喰らゎせてブッ叩いてャルの。それはね、強いから。
だからァンタ達に伝えたいんだ㌔、もしも陰口を言われて今の環境に居づらいとかそういうことがあるんだとしたら、陰口言ってる現場にスマホのカメラ回しながら近づいて、「おまえ、いま何て言った? もう一回言って」って言うの。そうすると向こうは絶対言わなくなるの、証拠を押さえられたら嫌だから。で、「言えないんだったらやるなよ」って、怒ってドド突く。それぐらいの強い気持ちでいってほしいのよ。
「いや、そうは言っても怖くてドド突けないよ」って思うかもしれない㌔、でも向こうはァンタのことを陰でそうやって悪口言ってるんでしょ? なんでァンタだけが我慢しないといけないの? 同じように言ってやりなよって思う。
ドド突いたことで腫れ物扱いされたりして浮いたとしても、いじめられたり悪口言われるより良くない? いじめの対象になるくらいなら腫れ物扱いされたほうが楽よ。とにかく自分が、いかにそこに居やすくなるかを考えたほうがいいと思うの。もしも今いる環境が嫌なんだったら、ちょっとでもマシにしましょうよ。
そうやってドド突いたら、多分次から言わないと思うわよ。言うとしてもLINEとかで言うんじゃない? そうなったらどうでもいいの。ヮタクシの感覚だと、自分の見えない部分で陰口をたたかれることは、こちらが知らないことと一緒だから。
第1回目の連載でも書いたように、怖さを捨てることが大事なのよ。ァンタ達にはそういう強さを持ってほしいの。
幸せになりたいとほざくァンタ達へ

幻冬舎plusにアレン様大先生がついにご降臨…!! 本連載では、現代社会で生きる誰もが気にしている「幸福論」について、ありがたいお言葉をつむいでいただきました。読めば幸せになること間違いなしのスペシャルなエッセイをご堪能あれ。