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靖国神社

2020.08.13 公開 ポスト

中曽根康弘の「正式ではない公式参拝」…ここから「靖国問題」は始まった島田裕巳(作家、宗教学者)

毎年、この季節になると必ず取り沙汰されるのが、いわゆる「靖国参拝問題」だ。国家間の対立にまで発展する、根の深い問題であるが、そもそも靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……きちんと説明できる人は少ないだろう。そこでオススメしたいのが、宗教学者、島田裕巳さんの『靖国神社』だ。日本人ならぜひ知っておきたい事実が満載の本書から、一部をご紹介しよう。

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「公式参拝」を宣言した中曽根康弘

あえて「公式参拝」であることを明確にして靖国神社に参拝したのが、鈴木の次の首相、中曽根康弘であった。

(写真はイメージです:iStock.com/patwallace05)

中曽根は、昭和57年11月に首相に就任するが、60年8月15日に公用車で靖国神社に赴き、内閣官房長官と厚生大臣を伴った。拝殿では「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記帳し、本殿には「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記された生花を供え、その献花料3万円は公費として支出した

ただし、参拝する際には、二拝二拍手一拝の形式はとらず、10秒間にわたって深く一礼しただけだった。しかも、手水は使わず、宮司の祓いも受けなかった。松平永芳宮司は、一礼と手水を使わないことは認めたものの、祓いを受けなければ参拝にならないとし、目立たないように陰祓いをすると事前に伝え、当日は、中曽根を出迎えなかった。

中曽根がそういった方法をとったのは政教分離の原則に反しないようにするためだった。そこには、靖国神社法案についての内閣法制局の見解が影響していた。しかし、靖国神社の側にしてみれば、とても正式な参拝とは言えないものであった。

それでも参拝後に中曽根は、記者団に対して、「首相としての資格において参拝しました。もちろん、いわゆる公式参拝であります」と、公式参拝であることを明確にした。

 

中曽根は、首相に就任して以来、この公式参拝実現に向けて地ならしを行っていた。就任後はじめて靖国神社に参拝した昭和58年の春の例大祭のときには、「内閣総理大臣たる中曽根康弘」という形で曖昧な表現を用い、記帳は「内閣総理大臣 中曽根康弘」だった。翌59年のやはり春の例大祭のときには「内閣総理大臣である中曽根康弘として参拝した」と言い、一歩公式参拝に近づいた。

さらに中曽根は、同年8月に藤波孝生官房長官の私的諮問機関として「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」を発足させた。

この懇談会は、翌昭和60年8月9日に、報告書をまとめるが、その結論は、「政府は、この際、大方の国民感情や遺族の心情をくみ、政教分離原則に関する憲法の規定の趣旨に反することなく、また、国民の多数により支持され、受け入れられる何らかの形で、内閣総理大臣その他の国務大臣の靖国神社への公式参拝を実施する方途を検討すべきであると考える」というもので、懇談会で出たさまざまな意見が併記されており、必ずしも公式参拝にお墨付きを与えるようなものではなかった

「靖国問題」は国家間の対立へ

中曽根は、この報告書が出た直後に公式参拝に踏み切るが、報告書も出ていて、さらに前日の8月14日には藤波官房長官が翌日に中曽根が公式参拝を行うことを発表したため、中国からは、「東條英機ら戦犯が合祀されている靖国神社への首相の公式参拝は、中日両国人民を含むアジア人民の感情を傷つけよう」との声明が出された。このときはじめて中国が首相の靖国神社参拝を公式に非難したのである。

(画像はイメージです:iStock.com/btgbtg)

中国の他にも、韓国、香港、シンガポール、ベトナム、ソ連などからも批判の声が上がった。靖国神社がA級戦犯を合祀したのは、昭和53年のことで、その事実が明るみに出たのは翌年のことだった。その時点では、諸外国からの反発は起きなかったし、国内でもそれほど大きな問題にはならなかった。

そのせいだろうか、中曽根は、公式参拝が政教分離の原則に違反しないかどうかというところだけに注意し、その上で参拝に踏み切ったように見える。靖国神社が求める正式な参拝の仕方をとらなかったのも、そのためである。

 

そうした中曽根の「正式ではない公式参拝」は、中国をはじめとする周辺諸国の猛反発を買った。それは、まったく新しい事態であり、靖国問題は新たな局面を迎えることになった。しかも、中曽根は、公式参拝に踏み切った後の昭和60年秋の例大祭での参拝を見送り、それ以降、首相在任中に靖国神社を参拝することはなかった。

中曽根は、準備を重ね、あえて政教分離の原則に違反する可能性のある公式参拝に踏み切り、それを望む日本遺族会に集う戦没者遺族などの期待にこたえた。ところが、中国などからの反発を招くと、それについては十分に予測していなかったのか、その姿勢を貫くことができなくなった。公式参拝の試みは、いとも簡単に挫折したのである。

そして、結果的にA級戦犯が合祀されていることが問題化することとなった。それは、靖国問題の解決を、それまで以上に厄介なことにした。次に首相の地位にある者が靖国神社に参拝するのは、中曽根公式参拝の11年後、平成8年7月29日の橋本龍太郎のときであった。

関連書籍

島田裕巳『靖国神社』

戦後、解体された軍部の手を離れ、国家の管理から民間の一宗教法人としての道を歩んだ靖国神社。国内でさまざまな議論を沸騰させ、また国家間の対立まで生む、このかなり特殊な、心ざわつかせる神社は、そもそも日本人にとってどんな存在なのか。また議論の中心となる、いわゆるA級戦犯ほか祭神を「合祀する」とはどういうことか。さらに天皇はなぜ参拝できなくなったのか--。さまざまに変遷した一四五年の歴史をたどった上で靖国問題を整理し、そのこれからを見据えた画期的な書。

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毎年、この季節になると必ず取り沙汰されるのが、いわゆる「靖国参拝問題」だ。国家間の対立にまで発展する、根の深い問題であるが、そもそも靖国神社とはどんな施設なのか、誰がなんのためにつくったのか、なぜ首相の「公式参拝」が批判を浴びるのか、天皇はなぜ参拝しなくなったのか……きちんと説明できる人は少ないだろう。そこでオススメしたいのが、宗教学者、島田裕巳さんの『靖国神社』だ。日本人ならぜひ知っておきたい事実が満載の本書から、一部をご紹介しよう。

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島田裕巳 作家、宗教学者

1953年東京都生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任。主な著作に『日本の10大新宗教』『平成宗教20年史』『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』『浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか』『なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか』『靖国神社』『八紘一宇』『もう親を捨てるしかない』『葬式格差』『二十二社』(すべて幻冬舎新書)、『世界はこのままイスラーム化するのか』(中田考氏との共著、幻冬舎新書)等がある。

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