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本屋の時間

2022.07.01 公開 ツイート

第137回

紙風船を膨らませるように 辻山良雄

先日、西荻窪の松庵文庫に伺い、店内にある本の入れ替え作業を行った。松庵文庫は築八十年以上になる古民家をリノベーションしたカフェ。通された二階は幾つかの部屋に分かれており、イベントも行えるスペースになっている。その黒光りする木の床にところ狭しと本を積み上げ、オーナーの岡崎友美さんと一緒に在庫の検品を行った。

 

どんな店にあっても、長いあいだそこに置かれた本は、それだけで少しくたびれて見えるものだ。検品しているあいだには、帯が破れたままずり上がり、カバーと本体とがもはや一体化している本もあった。そうした本が見つかった時には、いったん本に付いているものをすべて取り外し、もう一度自分の手で付け替えをしてやる。

例えばカバーや帯は曲がっているところを平らにし、軽く空気が入るようにしてかけなおす。スリップは先端にハリが出るようにピンと伸ばし、読者ハガキと一緒に本の後ろに挟みこむ。本についた汚れがあれば、消しゴムでやさしく叩くように落としてやればよい(強くこすると紙自体を削り取ってしまう)。そのあと机の上で二三度トントンとすれば、先までしょんぼりしぼんだように見えた本が、それだけでもう一度息が吹き込まれたように見えるから不思議だ。

そうしたことは、すべて自分が店を続けるあいだに覚えたことだ。最初本屋に消しゴムが必要であるとは思いもしなかったが、これがいまでは、なくてはならない道具のひとつになっている。

その日は午前中から蒸し蒸しとして、暑い一日だった。しかし古い建物の中は風通しもよくて、建物の手入れのこと、前の持ち主だった老婦人の話、お客さんから寄贈された本についてなど、作業の手を止めることなく、普段しない話を岡崎さんから聞くことは楽しかった。

「これから少しずつ、この店も変えていきたいと思っているんです」

この二三年のコロナ禍の状況は、店を開いている多くの人に、このままではいられないという決断を強いた。その大小に関わらず、それぞれの個人の中で、この間ふるいにかけられたものがあったと思う。そうして守り抜いたものから、我々はまたはじめなければならないのだろう。

長い作業が終わったあとは、気持ちのコリがほぐれたような爽快な気分になった。

子どものころ、親戚の家の庭で大型犬に尻を噛まれ泣いていたとき、母が両手でわたしのほっぺたを挟み、こう言った。

強い子やな。もう大丈夫。

その時の、母の手の感触はいまでも覚えているが、手で触れるという行為には、その人が思っている以上に何かを伝える力があるのだろう。そしてその励ます力は、直接ではなくても、モノを通してでさえ伝わっていくもののように思う。

さて、書店におけるそうした〈魔法の手〉とは、従業員の手のことである。「さわると売れる」といった書店員のあいだではよく知られたジンクスがある通り、そこにある本に命を吹き込むのは、働いている人の手にほかならない。

店内を整理していると、棚の隅っこなどあまり人の手に触れられていない箇所に、澱みを感じる時がある。そんな時は、その棚に並んだ背表紙の書名を目で追いかけ、並びを少しだけ変えてみるようにする。触られていなかった本を抜き出し、今度は新しい場所に戻してやるだけで、先ほどまでの澱みは解消し、人の手の入った痕跡が残るのだ。よく「手仕事のあたたかみ」といった言い方をするが、それはモノを作る手はもちろん、それを並べる手にも宿っているものなのだろう。

 

紙風船を膨らませるように、自分の手でくたびれてしまった本に触ること。それはそこで働く人にとってはあまりにもありふれた、自然な動きに違いない。そうした仕事は何か見返りがあるから行うのではなく、その場がその場であるための、店の尊厳にかかわる行為なのである。

 

今回のおすすめ本

『美しいってなんだろう?』矢萩多聞 つた 世界思想社

なぜそれを美しいと思うのか。装丁家が娘と交わした13の対話。子どもをひとりの〈個〉として接している関係が、読んでいていいなと思ってしまう。

 

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2024年5月10日(金)~ 2024年5月28日(火)Title2階ギャラリー

キッチンミノル出版記念写真展「ひこうきがとぶまえに」
~航空整備士の仕事~

しゃしん絵本作家のキッチンミノルが出版社を立ち上げました。第一作目は、飛行機が格納庫に帰ってきてから、再び空に飛びたつまでの航空整備士さんの仕事を、JAL全面協力の元、キッチンミノルが温度感ある写真と文章追いかけたしゃしん絵本『ひこうきがとぶまえに』です。紙面では航空整備士の仕事や見たことない機器、機械類がページいっぱいに広がります。
今回は絵本の中の写真や惜しくも絵本には収めることができなかった写真を展示します。写真だからこそ伝わる迫力! 緻密さ!! 臨場感!!! 子どもだけでなく、大人も一緒に楽しめます。
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化のお知らせ】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」がとうとう書籍化! 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Title予約サイト
 

 

【書評】

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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