半身に麻痺を抱え、廃嫡も噂されていた第九代将軍・徳川家重と、彼の声を唯一聞き取ることのできた側近の大岡忠光。
二人の固い絆を描き、感涙の渦を巻き起こした『まいまいつぶろ』から一年。
村木嵐さんが“どうしても描きたかった”『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』は、江戸城の深奥で、二人を、そして彼らを取り巻く人々を見つめ、その声に耳を傾けてきた御庭番、万里の物語だ。
前作で書かれた「あの場面」「あのひと言」が、“ああ、そうだったのか――”に繋がっていく一冊を、「続編ではなく、『まいまいつぶろ』と二冊で一作」と語るのは、YouTubeチャンネル「よしよし。【宮崎美子ちゃんねる】」で『まいまいつぶろ』を紹介してくださった俳優の宮崎美子さん。
二人の対話からは御庭番・万里が積年、胸に秘め続けてきた思いが浮かびあがってくる。
* * *
御庭番・万里の視点は私の視点。
もしその場に自分がいたら、と
創った人物でした(村木)
宮崎美子さん(以下、宮崎) 第九代将軍・徳川家重という人が、体に不自由なところがあるということは知っていたのですが、『まいまいつぶろ』を読んだとき、初めて大岡忠光という人の存在を知り、あぁ、こんな人がいたんだ、生涯こうして家重に寄り添っていたんだと胸が熱くなりました。そんな忠光の人生を追っていくなかで、「自己犠牲の美しさ」という言葉が一瞬、脳裏を掠めたのですが、「自己犠牲」という言葉はそれを強いられる立場の人にとって苦しみにも繋がってしまうところがある。それゆえ適切な言葉が見つかりませんでした。ただ明確に言えるのは、家重に寄り添うことで自分を最大限に活かした忠光の人生は見事、としか言いようがないものだった、ということでした。
村木嵐さん(以下、村木) そう言っていただけて胸がいっぱいです。忠光の生き方が、苦しみを伴う「自己犠牲」であると読者の方に受け取られてしまうことを、私はずっと心配していたんです。今、宮崎さんがおっしゃってくださったことが、まさに私が忠光の人生を通し、書きたかったことでした。
宮崎 この二人を題材に作品を書かれたというのは、もともと関心がおありだったんですか?
村木 そういうわけではなかったんです。『頂上至極』という作品で、宝暦治水事件という、木曽三川の手伝い普請をさせられる薩摩藩の話を書いたのですが、その頃の将軍が家重で。彼のことを調べているうち、忠光という人物の存在を知ったのがきっかけでした。資料を繙いていくと、たったひと言だけ、「素晴らしく謙虚な人柄だった」と記されてあり、低い身分からあれだけの出世をしたからには、妬みを持つ人も多くいたであろうに、そのひと言が残っているというのはすごいことだなと関心を抱いたのがきっかけでした。
宮崎『まいまいつぶろ』を読んだとき、驚いたのが、主要人物だと思っていた人たちが、潔いと感じるほど、次々退場していくことでした。家重と忠光にフォーカスを当てたい、という村木さんの強いご意思をそこからは感じたのですが、一方で退場していった人たちはどうなったんだろう? とずっと気になっていました。『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』では、その人たちのその後や、真のところにあった思いを知ることができ、“ああ、そうだったのか”とほっとしました。
村木 よかった! ありがとうございます。突如として退場してしまった人たちのことは、『まいまいつぶろ』を書いているときから、私自身もずっと気になっていたんです。自分なりに、その人たちの結末をちゃんと書きたいなと思ったのが本作でした。
――『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』は、青名半四郎、またの名を万里という、第八代将軍・吉宗の御庭番が、江戸城の深奥で、何を見て、何を聞いたのかということが綴られた物語です。
宮崎 言ってみれば、村木さんご自身が「御庭番」ですものね。時代を超えて様々な人の許を訪ね、話を聞き、それを私たち読者に教えてくださるという。
村木 万里は御庭番=隠密なので、たとえ何かが起こっても、話を聞くのみで、関わることはできない、物語のなかで唯一、「当事者以外」の人物です。そして著者である私もやはり、物語のなかの人々を見ていることしかかなわないんですね。万里はまさに私の視点。その場に私がいたら、きっとこういう感じだろうなと思って創った人物でした。
宮崎 万里だけは創作上の人物だったのですね。
村木 そうなんです。この物語の舞台は江戸城の奥、幕府の上層部の話なので、そこにいる人たちの苦しみ、喜びも万里がいなければ伝わってこない。普通の人の視点で、彼らがどう見えているかということを書くためには絶対に必要な人物でした。
松平乗邑の「真」を知ることができ、
前作から抱いていた彼の印象が
鮮やかに変わりました(宮崎)
宮崎 冒頭の「将軍の母」では、江戸城で暮らすことになった徳川吉宗の生母、浄円院様が、孫・家重の御口代わりとして寄り添う、若き日の忠光に声を掛けていますね。「忠光。そなたは後世、その人柄の真が残ればよいのう。ですがそれは生半には叶いませぬぞ」と。そのひと言に、村木さんの忠光への思いを感じ、グッと来ました。
村木 忠光の資料は本当に少なく、そのどれもがひと言なんです。「いい人だった」というひと言もあれば、田沼意次と同時代ゆえ、「賄賂まみれで酷かった」というひと言も。けれど「いい人だった」というひと言からは、傍で親身になり、彼を見ていた人たちが、後世に残したい思いがあったのではないかと感じました。それを伝えたいと思った人は誰だろう? と思いを巡らせたとき、浄円院様ではないかなと。
宮崎 出自がお百姓さんである浄円院様は、地に足の着いた暮らしぶりも共感できる、根っこの明るい素敵な方ですね。
村木 吉宗があれほど精力的に幕府を立て直すことができたのは、きっとお百姓さんの血が入っていたからではないかと思うんです。そしてめっぽう明るい人だったに違いないと。その明るさがどこから来たのかと言えば、やはりお母さんだろうなと思ったんです。
宮崎 この母にして、あの傑物あり、ということが物語から窺えます。そして母と言えば、気になったのが、家重の嫡男・家治の生母・お幸の方のことです。
――家重の正室・比宮に従い、京から江戸へ来た公家の娘・お幸の方は、「殿の御子を、お幸が挙げるように」という比宮の遺言により、側室となり、家重の嫡男・家治を産みます。
宮崎 自分のお腹を痛めて産んだ子であるのに、「この子は比宮さんの御子」であると、はじめ、お幸の方は語っていましたが、家治が成長するにつれ、彼女はやっぱり「母」になるんですよね。そこが“あぁ、女性だな”と思いました。
村木 まさに家重と忠光のような関係を比宮と結んでいたお幸の方は、生涯、比宮第一で生きていくのだろうなと考えながら書き始めたのですけれど、途中からまったく筆が進まなくなってしまったんです。これは絶対に違う、やはり自分の産んだ子供の方に心が行くに違いない、と書き直し始めた途端、物語が動き始めたんです。
宮崎 そういうことってあるんですね。登場人物が筆を動かしてくれるのですね。
村木 お幸の方を書いているときは殊にそう感じました。動かしてもらうというより、むしろ動かなくされてしまうようなところがありました。
宮崎『まいまいつぶろ』で、家重のことを“汚いまいまいつぶろ”と言い放ち、最後まで、家重の将軍就任にも反対していた、老中の松平乗邑さんはいかがでしたか?
村木 乗邑についてはもう、罪悪感でいっぱいだったんです。彼は吉宗の片腕として活躍していた人で、実際に功績も残っているし、そちら側に光を当てると、ものすごく立派な人だったのですが、その部分を一切割愛され、悪いとこばかり書かれ、最後は馘になって終わり、となってしまった。『まいまいつぶろ』を書いていたときから、“乗邑様、ごめんなさい! ”と手を合わせていました(笑)。『御庭番耳目抄』を書きたかった一番の理由に、松平乗邑という人をちゃんと書きたい、という思いがありました。
宮崎 乗邑さんの「真」を知ることができて本当によかったです。彼の印象が前作から鮮やかに変わりました。
村木 そう言っていただけてよかった!
妻・志乃との物語では
口数少ない忠光の「肉声」に
グッときてしまいました(宮崎)
宮崎「寵臣の妻」というお話のなかでは、『まいまいつぶろ』ではまったくと言っていいほど出てこなかった忠光の家族、妻・志乃のことが語られていきますね。このお話、最後は涙が堪えきれなくなりました。
村木 忠光にも、その家族にも、現実の暮らしはあったはずなので、この話では、その辺りをちゃんと書きたいと思いました。
――“大岡では紙一枚受け取れぬ”と、付届は一切、受け取らないことを、家族にも厳命してきた忠光の暮らしぶり、そこにあった、長年にわたるそれぞれの思いが浮かびあがってきます。
宮崎 仲良くしていた方の幼い娘さんがつくった花冠すら返してこいという忠光の話が、『まいまいつぶろ』のなかでも記されていましたが、今回、幼子がつくり、その小さな手から志乃さんに渡された折り紙の人形を、忠光は返してこいと言う。それもだめなの? 忠光ってそんなに峻厳な人だったの? とちょっとびっくりしました。
村木 志乃さんは妻だけに、ものすごく苦労したことがあったのではないかと思うんです。“紙一枚受け取れぬ”という姿勢は清いかもしれないけれど、綺麗ごととしてそのままにしてはいけない、忠光の妻としての現実を明らかにしたいとずっと思っていました。
宮崎 これまでの忠光は、自分の話をしてきませんでしたよね。このお話でようやく、自分の内なる思いを彼は語ります。志乃さんとの会話のなかで触れる彼の「肉声」から、“この人、こういうところもあったんだ”とグッと惹かれました。
――黒澤明監督が遺した脚本から製作された映画『雨あがる』(2000年)で、宮崎さんは不器用な武士・三沢伊兵衛(寺尾聡)の妻、たよを演じられています。たよが生きたのは、まさに忠光、志乃が生きたのと同じ、享保の時代です。
宮崎 たよさんは、なかなか仕官のかなわない夫と共に旅をしているのですが、彼女を演じていたときも、冒頭でもお話しした「自己犠牲」という言葉が浮かんできたんです。彼女も大変なんです、この先の暮らしがどうなるかわからない夫に仕える自分が、犠牲になっているようなところもある。けれど、「この人は素晴らしい志を持った人だから、どこかにその力を生かせる場があるはずだ」と共に旅を続けている。たよは、夫を通じて「自分」を実現したい人なんです。それは犠牲なのか? いや、それがこの人の生き甲斐だとしたら、犠牲という言葉はおかしいなとそのときも思っていました。
村木 私、『雨あがる』が大好きなんです。宮崎さん演じる、たよさんの立ち姿が本当に素晴らしくて、彼女の笑顔で苦しみがふわっと溶けてしまう。たよさんがあんな笑みを見せられるということは、自分を犠牲にしてはいないし、たとえ周りから自己犠牲と言われたとしても、本当の理解としてはけっしてそうではないと思いました。そしてそれは、志乃、そして家重に仕える忠光の姿にも重なりました。
宮崎 そうですよね、重なりますよね。『雨あがる』は演じている間、すごく幸せだったんです。公開後、「あんな良い奥さんがいたら」という声をたくさんいただいたんですけれど、「それはああいう旦那さんがいてこその奥さんだからです」と言い返していました(笑)。だって、それは二人の関係性から生じてきたものですから。忠光さんがどんなに口数が少なく、どんなに窮屈な暮らしを強いたとしても、人柄が良く、自分にしかできない大切な仕事をしているその姿勢に尊敬を感じなければ、最後の場面で記されているような納得の仕方を志乃さんはできないと思いました。
そして「次の将軍」というお話のなかで描かれる家重の嫡男・家治は見事な少年でした。実際も優れた人だったのですか?
村木 家治の描いた絵や棋譜が残っているのですが、そうした資料を見ても、幼少期から桁違いに聡明な人だったようです。
宮崎 その家治が、父親の家重を慕い、幼少期は、忠光しか聞き取れない家重の言葉もちゃんと聞き取れていたという場面は、読んでいて気持ちがふわっと温かくなりました。おじいちゃんである吉宗との場面も。
村木 家治は、吉宗の期待を一身に受けて育てられていたそうなんです。作中には、吉宗が家治をみずからの膝の上に乗せている場面を描いたのですが、それは、家康が自身の九男や十男を御三家にするため、自分の膝の上で育てたという実際のエピソードを思い浮かべたとき、現れてきた光景でした。吉宗は家康に憧れていたと言われていますので、きっとそうして家治を可愛がっていたのではないかと。
宮崎 登場人物のなかで、殊に思い入れのあった人物は誰ですか?
村木 それはもう、田沼意次! 昔から大好きなんです。
宮崎 歴史上の人物のなかでは、あまり良い印象を持たれていない人ですよね。彼のどんなところがお好きなのですか?
村木 作中でも書いていますが、意次はすごいことをいっぱいした人。そして蝦夷地開発という大事業の途上で失脚し、すべてやめなくてはならなくなってしまったという終わり方も人間らしい。すごい人なのに、なぜこれほど悪く言われるのか、そのギャップにも惹かれるんです。
宮崎 では次は田沼意次の物語……? 村木さんが描く意次、ぜひ読んでみたいです!
『まいまいつぶろ』の
「続編」であるとはけっして
思われたくなかったんです(村木)
――本作は、御庭番という務めゆえ、これまで口にできなかった、伝えられなかったことを、万里が語りゆく物語でもあります。晩年を迎えた彼が口にする、「待つのも忘れるほど待っておれば、良いことが聞けるときが来るものだ」という最後のひと言は、読む人の支えともなっていく言葉です。
村木 人は待っていることが本当に多いですし、生別、死別によらず、伝えたいことをちゃんと伝えることのできる別れはまずないですよね。人が別れるとき、そうした思いを互いに抱えていることを、万里はずっと陰から見てきた人。ゆえにラストのあの言葉は、万里の口から自然に出てきました。
宮崎 そうだといいな、でもきっとそうだよねと、自分に言い聞かせるような言葉ですよね。万里はそうして、私たちにも気持ちの良い言葉を残してくれました。
村木『まいまいつぶろ』での万里は、「今日を最後にする」と家重に告げ、退場していったのですが、そのあと御庭番ってどうなるの? とずっと思っていたんです。言ってみれば、これだけ長い間、隠密としてこきつかわれ、その後、寂しくひとり、世を去っていたらどうしましょうって、万里のことが気になって気になって、仕方なかったんです。真摯に働き、すべてを見てきた人は、やっぱりこの世でも報われてほしい、あたたかな場所にいてほしいと。最後、万里にはこういうことがありました、ということを書くのは、私の責任だと思い、最後のお話「勝手隠密」を書きました。
宮崎 登場してくるすべての人物に、村木さんの愛情が行き渡っている感じがします。だからこそ皆が生きているように、私たちは感じることができるのだと思います。
――『御庭番耳目抄』を読み、再び『まいまいつぶろ』を読むと、“この場面、この一行”が、こうして繋がっていたのかと無数の糸が見えてくるような気がします。そしてその糸の一本一本は、今、宮崎さんのおっしゃった「登場人物への愛情」なのだなと。
村木 そう言っていただけてすごく嬉しいです。『まいまいつぶろ』のときは、本筋から逸れていくわけにはいかなかったので、今回、ちゃんと、それぞれの人々の行く末に、決着をつけられてよかったなと思いました。
宮崎 皆さんきっと、この二冊を行ったり来たりしながら楽しまれるでしょうね。二冊に分かれてはいますけれど、ひとつの物語として併せて読むと十倍ぐらい楽しめます。やっぱり知りたいんですよね、この人物の先というのを。痒いところに手が届くように、二冊のなかでそれが描かれているのですごく気持ちよかったです。
村木 よかった!『御庭番耳目抄』は『まいまいつぶろ』の続編だとはけっして思われたくないと思いながら書いていたので、そう言っていただいてすごく嬉しいです。
宮崎 けっして続編ではない、それはちゃんと言わないといけませんね。
――新刊に添えたい言葉をお聞かせください。
村木 登場する人はどの人も有名人ですが、その前に皆、ひとりの人間です。時代の異なる、そして市井の人からは想像も及ばぬ国の中枢にいた人々も、自分の願っていること、望んでいることが叶うことを、待つことを忘れるくらい待ち続けていることだってあったと思うんです。それは私たちとなんら変わらない。そんな人々の姿に触れ、自分と似ているな、むしろ同じかな、と思いながら読んでいただけたら嬉しいです。
『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』刊行記念対談の記事をもっと読む
『まいまいつぶろ 御庭番耳目抄』刊行記念対談
半身に麻痺を抱え、廃嫡も噂されていた第九代将軍・徳川家重と、彼の声を唯一聞き取ることのできた側近の大岡忠光。
二人の固い絆を描き、感涙の渦を巻き起こした『まいまいつぶろ』から一年。
村木嵐さんが“どうしても描きたかった”『まいまいつぶろ御庭番耳目抄』は、江戸城の深奥で、二人を、そして彼らを取り巻く人々を見つめ、その声に耳を傾けてきた御庭番、万里の物語だ。
前作で書かれた「あの場面」「あのひと言」が、“ああ、そうだったのか――”に繋がっていく一冊を、「続編ではなく、『まいまいつぶろ』と二冊で一作」と語るのは、YouTubeチャンネル「よしよし。【宮崎美子ちゃんねる】」で『まいまいつぶろ』を紹介してくださった俳優の宮崎美子さん。
二人の対話からは御庭番・万里が積年、胸に秘め続けてきた思いが浮かびあがってくる。
- バックナンバー