間違いなく自分の腹から生まれたのに、自分の分身ではない子ども。いや、そんなの当たり前なんだけども、生まれて1年も経てば「こうしたい、ああしたい」と自我が芽生えるし、2年も経てばだんだんと子ども自身の「好きなもの・嫌いなもの・得意なもの・苦手なもの」が見えてきて、これまでなんとなく頭の片隅でわかっていたとはいえ、「やっぱり、まじのまじで、自分とは違う人間なのねえ」と実感する。そのたびに「親の思い通りにしようと思ってはいけない。子ども自身の『好き』を応援したい!」と気を引き締めるように過ごしているし、きっと同じ気持ちになる親は多いだろうなあと思う。「好き」に対峙しているときの子どもって、もう目ん玉がきらきら光って、まさにスパンコールの輝き。「好き」のパワーって尋常じゃないのよね。“新幹線柄”のスプーンに変えただけでいつもの10倍食べるわ、キャラクターが描かれた歯磨きをちらつかせただけで「はみがき、する~~っ!!」と駆け寄ってくるわで、子どもを突き動かす「好き」って本当にすんごいの。
子どもの『好き』『やってみたい』は、なんだって応援したい。
と、私ももちろん、そう思っているのだけども。
約半年前。2歳半だった息子に、ディズニーリゾートの子ども服売り場で、なにか特別な服を買ってあげたいと、うろうろ見ていたときのこと。店には、園内だけで買える、ほとんどコスプレに近いようなキャラクター服が売られていて、そりゃもうかわいいのなんのって。ドナルドが着ているものと同じ柄のシャツ、アヒルのお尻をイメージした白いもふもふのブルマ、ミッキーが履いている赤くて黄色のボタンがついたズボン。ああ、きっと息子が着たら、めちゃくちゃかわいいだろうなあと妄想が膨らんで、「これ買おうよ!」とミッキーのズボンを見せたのだけど、「要らない」と秒速却下。代わりに「こっちがいい!!」と勢いよく息子が指差したのは、ミニーちゃんのトレードマークである、真っ赤でドットがあしらわれた、あのフリフリのスカートだった。なるほど、そう来たか。
じつは、電車や車も大好きだけど、同時にかわいいものも大好きな息子。
いちばん好きな色はずっとピンクだし、「好きな服を選んで!」と店に放つと、持ってくるのはパステルピンク地にアイスクリーム柄があしらわれたTシャツだったり、ハート柄のレギンスだったりと、なかなかキュ~トなセンスをしている。服装へのこだわりが強くなって自分で選んだ服しか決して着ないし(なので勝手に買って帰ると、一度も着ないままサイズアウトしていく……)、髪も「今日は、上に2つ結びたい」「今日は、このへんに4つ結ぶ(むずい……)」「今日は、結びたくない気分」と細かい指定も多く、最近では、「ラプンツェルくらい髪の毛を伸ばしたいの」と言って髪を切らせてくれなくなった。そろそろ心変わりしてはいないかと、数週間に一度「髪の毛……切る?」と聞いてみるも、力強い首振りによって一瞬で却下されてしまう。髪を結ぶのも、ピンクの服も靴も、やたらとモチーフが可愛らしい服ばかり着るのも、ラプンツェルくらい伸ばしたいのも。「男の子だけど、いいのか?」とわずかに悩んだこともあったけれど、いまでは「好きなものを集めてくれ!」と心から思っている。
でもさ、さすがにスカートって、どうなの!?!?!?!?
いやいや、でもな。適当に選んでいるわけではなく、息子はミニーちゃんがずっと前から大好きだったもんな。とはいえ、スカートよ? スカート、ねえ。アリ? ナシ? どこで着るの? 家でだけならいいよ、と話そうか。でも「家でだけ」ってなんで? それは「男の子」だから? 男の子はスカートを履いちゃダメ? それは……どうして? 特別な服を買おうとしていたくせに、「欲しいなら、買おっか!」と言えないのは、なぜ?
結局、「あ~~これ、これね、かわいいよね、これねえ、あ~~、ん~~~」とあからさまに狼狽した挙句にミニーちゃん柄のほかの商品に誘導して(腹巻だった)その場はなんとか切り抜けたのだけど、それでよかったのだろうか? もし息子が小学生くらいになって、「スカートは(今の世界では)女の子が履くことが多い」と理解したうえで、それでも「僕もスカート履きたい」というのだったら、たぶんなにも躊躇しないのだけど、今はまだその前提を理解していないし、彼自身もスカートじゃなきゃ嫌だという気持ちもない。「スカートは、やめとこう。こっちがいいんじゃない」と、やんわり遠ざければ、「これは買ってもらえないのだな」と子どもながらに理解してくれるだろう。というかむしろ、なんにも言わなくても、いずれ理解していくのだろうな、と思う。でも、だからこそ、悩んじゃう。「履いてみたい」と思った、純粋で汚れなき「好き」の気持ちを、親や世界の価値観だけで却下して良いのだろうか? それは、性別の差を、植え付けているのではなかろうか? とはいえ「スカートもじゃんじゃん履こう」と、いきなりノリノリになるのも何だか違うような気もするし、ていうか「女の子にさせたい親とか思われたらどうしよう」ってそれは自分がどう思われるかを気にしているだけで情けないんだけどもそんなことまで気になっちゃって……ってなかんじで、まあ、その日をきっかけに、ぐじぐじ悩んでしまう、母初心者の私なのでありました。好きなことを応援したいとか言いながら、まだまだ常識やジェンダー観に縛られた母で、ごめんよ。
そこから、さらに半年。息子のスカート熱は、上がるでもなく、下がるでもないように見えた。買うべきか、否か。なかなか決め手がなく、このまま時間が過ぎていくかなと思っていたある夜。いつものように寝かしつけをしながら、たわいもないお喋りをして、さあいよいよ就寝、という眠りの入り口で、息子が立ち止まって、ぽつりと言った。
「ねえ。ママ」
「なに?」
「あのね……。姪ちゃんみたいに、なりたいの」
「姪ちゃんみたいに? それは、えっと、どういうこと?」
「ドレス、着たいの。でもさ。おうちには、一個もないでしょ? ドレス、着たいなあ」
その響きには、切実な響きがあって、先に眠りはじめていた私がハッと目を開くと、目の前で横たわっている息子の目が、暗闇のなかでこちらを向いていた。はぐらかされるかな、受け流されるかな、ママはどう反応するかな。そういう目つきだった。
2歳年上の姪は、プリンセス大ブームで、いつ会ってもドレスを着ている。保育園で仲のいい女の子のお友達は髪の毛を結んで、フリルやレースのついた服を着ている。街ですれ違う女の子たちは、ワンピースやスカートを着ている。それらを冷静に見つめている息子は、時折「姪ちゃんと同じ、ジャスミンのドレス着たい」と言ってみたり、「保育園のお友達みたいに、ピンクの、穴が空いた(レースのこと)お洋服がいい」と言ったりするものの、しつこく言うわけでもなくて、私も様子を見続けてきたけど、そうか、息子の方もずっと、私の顔を見続けてきたんだね。「スカートって、どうなの?」。ずっと悩んできたけれど、でも悩んでいるうちに、息子がスカートを履きたいと思わなくなってしまうことは、どこか怖かった。彼の純粋な好きの「芽」を、私が慈しまないせいで枯らしてしまうことが、本当に怖かった。
今しかない。
「買おう。明日、すぐに買いに行こう。どんなやつでもいいよ」
翌日、早速H&Mに行った。H&Mの女児コーナーは、他のお店とは一線を画すキラキラキュートなプリプリ女児服が揃っている。次から次にワンピースを見せて、時にはおめかしドレスも、ハリウッド映画で少女たちが「プロム」に行く時にしか見たことのないキラキラのワンピースも見せた。けれど、息子は「ちがう、ちがう」と言うばかり。
「あのね、ここの、上のやつが、ついていないやつがいいの」
息子が言うのは、ワンピースではなくスカートがほしい、ということだった。そんなことまで、イメージしてたのか、と驚きつつ、いくつかスカートを持ってくると「そうそう、こういうの、こういうの」と嬉しそうにして、ファッションのプロのような目つきでいろんなスカートを吟味してゆく。ちがう、ちがう、それじゃない。……。そうしてついに、私が持ってきた派手なピンクのスパンコールのスカートを目にした途端。ものすごい勢いで駆け寄ってひったくるように奪い「これ。これだよ。これこれ」と言った。そうか、ピンクのスパンコールのスカート。どれだけ煌びやかな場所でも、いちばん目立ちそうなくらいの、ピカピカチカチカピンク。
「あとこれも欲しい!」
最後にもうひとつ選んだのは、オーロラ色のユニコーンが描かれているリュックだった。そのふたつだけを抱きしめて、他のなににも目もくれず、レジに向かっていった息子。息子は、物心ついたときからずっと、自分の欲しいものがわかっている。おもちゃも、服も、必要以上には欲しがらず、本当に欲しいものだけを抱きしめている。そんな彼が、選んだふたつ。
お店を出てすぐに、履いてきたレギンスの上からスカートを履かせてリュックを背負わせた。ちょうどこの日の息子は、ミニーちゃんのように頭の上でちいさなお団子を二つ作るように髪の毛をくくり、腕にはブレスレットをつけて、ピンクの靴を履いている日で、そこにピンクのスパンコールスカートと、オーロラリュックが加わると、驚くほど完璧なキュートコーディネートが完成した。大きな鏡の前に連れていくと、鏡の前でくるりと一回りして、スカートを見つめ、そして「へへ」と照れくさそうに舌を出して笑う顔。思い出したのは、七五三のときの自分の姿。慣れないドレスを着せてもらって、はじめてのお化粧をしてもらって、嬉しくて、恥ずかしくて、わざと舌を出してぐにゃぐにゃになって母に抱きついたときの、あの、照れ臭さ。息子も、同じように舌を出して、ちょっとぐにゃりとして見せたあとに、照れ隠しをするように「抱っこ」と私にくっついていた。
そのあとは、いままでで一番嬉しそうに街を練り歩き、家に帰る途中も、電車に座った自分のスカートを見つめていた。座っては「かわいいスカート」と呟き、歩いている途中にも立ち止まっては「あ。かわいい」と呟き。
「気に入ったの。これ、うれしいな」。
家に着くまで自分の足で歩ききって、何度も、何度も、呟いていた。
翌日も、その次の週末も、その次の週末も、スカートを履いていた息子。下にズボンを履きたくない、という日には、中にショートパンツを履かせてお出かけもした。さすがに、下にズボンを履かなければスカートらしさが増して、知らない人に話しかけられるときに「おねえちゃん」と言われることも増えて、そのたび、ちょっとドキとして息子の顔色を伺うのだけど、息子はなんにも気にしていないような表情で、ホッとするような、「これから気になる日が来るのかな」と勝手にドキドキするような、そんな気分。いつまでスカートを当たり前のように履くだろう? いつか、傷つく? いつまで、守れる? いつまできみのままでいられる?
スパンコールのスカートは、夏が進むにつれて、強い日差しにさらされて、光を集めては眩しさを放つ。ピンクの靴。ピンクのスカート。ピンクのアイスクリーム柄の服。ピンクの帽子。ぜんぶ自分で選んだものに包まれて、しっかりとした足取りで堂々と歩いている息子をみると、まぶしくてまぶしくて、涙が湧き出てきそうになって、どうかこの先、くだらない世間の目で傷つくことがありませんようにと、天を仰いで願ってしまう。スカートが好きで、ピンクが好きで、ままごとが大好きで、電車も好きで、車も大好きで、シルバニアも大好きな子どもだったこと、どうか忘れないで。私や、夫が、きみを守れなくなっても、きみが好きなものを抱きしめていた時間は、だれにも傷つけられないはずだから、きみ自身が、その思い出を大事に抱きしめていて。
最後に、息子の姿をインスタのストーリーズに載せていたところ「息子くんは、女の子になりたがっているんでしょうか?」というコメントがきたことも、記載しておきたい。「わからない。息子は、自分が男の子であることも、まだあまり意識していなくて、だから女の子のようになりたいという気持ちもなくて、好きなものを集めているだけ。ありのままでいるだけ」と返しておいた。本当は、そういうのでいいと、思うんだよ。子どもだけじゃなくて、大人になっても、そうであれたらいいんだよ。
祝福のように注がれる太陽の下で、まぶしいほどに反射するスカート。主役のきみ。誇らしくついていく母の私。きみが、きみのままでいた日々の記録として。
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