
数ヶ月前。
電気ケトルで沸かしたお湯を、座りながらマグカップに注いだ。蓋の隙間からポタポタポタと落ちてきた熱湯が太ももに垂れた。内腿に。
静かに落ちた熱湯は、履いていたスカートとその下のスパッツをじわっと浸透した。
ポタ、ポタ、ポタ、、、、、、、、、、っあっっっついっっっ!!!!!といったフェイントかっ⁉︎という油断したタイミングで、激痛が走った。本当の激痛だった。
夜だったので、そのままお風呂に入った。よく考えずに入った。
ヒリヒリした。痛くなった。ものすごく痛くなった。
朝起きると、水膨れになっていた。
見事に、ポタ、ポタ、ポタ分の3つ。3つの水膨れ。
撮影の為に着替えるときに、手伝ってくれていた衣装部さんが、「え、えぐっ!!」と咄嗟に言った程、ひどい色になった。
時間をかけて水膨れはひいたけれど、私の内腿には火傷のあとがまだ残っている。
先日、後輩ちゃんの家に遊びに行った。
ベイビーがいるママ。やることいっぱい。
「お茶か何か飲みますか?」と言ってもらったので、嫌じゃなかったら自分でやらせてもらうよと言った。
「ケトルそこです〜」と指差された場所から手に取ると、蓋がなかった。蓋はどこにあるかと聞くと、「うち蓋ないんですよ。カビたりするのが嫌で。」
へぇ〜そんな発想あるんだ⁉︎とびっくり。でも、すぐになるほど!とも思った。
ケトルに水を入れて、スイッチを押した。お湯は沸いた。普通に沸いた。
家に帰ると、私も真似をすることにした。
うちのケトルは数ヶ月前から蓋の調子が悪いのか、お湯を注ぐときに垂れてくるようになった。
だから火傷をした。
火傷をしたのにもかかわらず、私は必ず毎回蓋をして、垂れてくるのをタオルで押さえたり、細心の注意をはらって使っていた。
確かにお鍋でお湯を沸かすとき、蓋をしなくても沸くもんなぁと思いながら、やってみた。
普通に沸いた。そのままマグカップに注ぐと、一滴もこぼさず、一滴も敵にならず、安全にカップに収まった。
すごい!画期的!
自己判断で、当たり前のように快適を選ぶ後輩ちゃんをすごいなぁと思う。
かっこいいなぁと思う。
なぜ私は、蓋の調子が悪いと気付いていながら、火傷までしながら、何ヶ月も改善することを考えずに過ごしてしまったのだろうと自分に呆気に取られた。蓋はしなければいけない、それが当たり前だ。が、自分の当たり前だったのだ。
「自分で選ぶ」をあまりしてこなかった。意識出来ていなかった。環境なのか、ビビリな性格ゆえなのか。そこになんだか気付いた。私も自分で決めていい。
ひとつずつ、意識を向けてみような今日この頃。

それが好きだから、それを選ぶ。
いつまで自分でせいいっぱい?の記事をもっと読む
いつまで自分でせいいっぱい?

自分と向き合ったり向き合えなかったり、ここまで頑張って生きてきた。30歳を過ぎてだいぶ楽にはなったけど、いまだに自分との付き合い方に悩む日もある。なるべく自分に優しくと思い始めた、役者、独身、女、一人が好き、でも人も好きな、リアルな日常を綴る。