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死にゆく人のかたわらで

2017.04.05 公開 ポスト

人はどんなふうに死ぬのか、知っていますか?三砂ちづる

身体知は三世代で失われる

 人はどんなふうに死んでゆくのか。全ての人は死ぬというのに、わたしたちはあまり、その死にざまについて想像力が働かないことが多い。いい年になっても医療関係者でない限り、人が死にゆくプロセスをつぶさに観察する、という経験があまりない人が多い。いまさら、ことさらに、とりあげて言うまでもなく、生まれる場と死ぬ場が生活から切り離されて、久しい。そういうことは病院とか、しかるべき施設で起こるべきこと、とわたしたちの誰もが考えている。家で生まれる、家で死ぬ、ということからおおよそ三世代ほど引き離されてきたので、それはもう仕方ない。

 三世代、というのは実に重要なことであるらしい。人間のからだにしみついた記憶や所作や習慣は、三世代で完全に忘れられていくようである。友人の助産婦は、かぞえきれぬほどの出産を介助し、母乳哺育(ぼにゅうほいく)を支えてきた人であるのだが、「三世代目になるとどうがんばっても、おっぱいが出ない」とつぶやいていた。

 哺乳類(ほにゅうるい)である我々は、普通にしていればおっぱいは出る。イヌもネコもウシも仔を産めば乳が出る。冷蔵庫に入っている牛乳も、仔を産んだウシが提供してくれたものだ。産んでくれたメスの乳を飲んで、哺乳類の次世代は育つ。産んだことがない人に、自分の胸からおっぱいが出る、というのは、理解できないかもしれないが、わたしたちのからだに起こることで自分たちが理解できていることのほうが、実は少ない。胸がふくらみ、乳首が成長して、赤ん坊が吸いつけば乳が出る、などという摩訶不思議(まかふしぎ)なことは、哺乳類の我々にとっては、特筆する必要もない、あまりにも「あたりまえ」のことなのである。

 しかし文化的生活を構築することに鋭意努力するわたしたちは、自分たちの種の乳より、ウシの乳の加工品を自分たちの次世代に飲ませることに興味を持ち、そのほうが付加価値が高いかのようにとりあつかってきた。子どもを産んでも自分のおっぱいをあたえず、ウシの乳を原料とする「粉ミルク」をあたえる人が増えた。

 母のおっぱいより粉ミルクのほうが甘いし、顎を使ってがんばって吸い続けないと最初は出ないおっぱいとくらべて、哺乳瓶は、くわえるとミルクが出るからがんばって吸う努力もしなくていいし、赤ん坊は、いったん粉ミルクをあたえはじめると、母親の乳房に吸い付く努力をやめることができるくらい、賢い。だから粉ミルクをあたえると、粉ミルクで育ちはじめて、おっぱいはいらなくなる人がほとんどだ。

 人間にとって異種の乳より同種の乳のほうがベターなことはいまさら言うまでもないことなので、助産婦たちは鋭意努力して母親の母乳哺育がうまくいくように支えようとする。しかしながら、いま、子どもを産んだ母親が赤ん坊のころ、母乳で育てられておらず、また、子どもを産んだ母親の親、つまりはおばあちゃんも母乳で育てられていないと、いくらがんばっても母乳哺育が確立しない場合も、ままある、という。つまりはおばあちゃん、お母さん、が母乳哺育をしないと、その娘はなぜだかわからないけれど母乳が出ないことが多い。

「理由がありません」と助産婦さんは言う。「本当にたいへんなんです」と。もちろん三世代目でもおっぱいが出る人もおられるが、実際にはけっこうたいへんだというのだ。三世代目になると、からだの記憶があいまいになっている。言葉で継承されるのではなくからだで受け継がれる身体知のようなものは三世代で失われる、というのだ。

家で誰かを看取らなくなって三世代目

 生と死に関わるふるまいのような、人間にとって本当は変わらない、変わるはずがないところについてさえ、わたしたちはおそらくたった三世代で記憶を失うようである。現在五〇代後半のわたしが高校生のころ、それは要するに一九七〇年代のことなのであるが、それより前は、地方ではまだ人は家で死んでいたと思う。厚生労働省の統計によると昭和五〇年に自宅で死ぬ人と施設で死ぬ人がほぼ半々になっている。昭和五〇年とはちょうどわたしが高校二年になるころだから、わたしの感覚と統計は、ほぼ一致している。

 昭和二〇年代、八割以上の人は家で亡くなっていたが、平成七年を越えるとほぼ八割の人は施設で亡くなっている。これはつまりわたしの祖父母の世代はほとんどの人が、誰かが家で亡くなることを経験し、そばで見て、つぶさに観察していたことになる。しかしながら、わたしの父母の世代になると誰かが家で死ぬのを看取った、あるいは観察した人は半分くらいになる。

 そして、二一世紀も始まってかなり過ぎたいま、団塊の世代からわたしの世代にかけて、すでに子どもも成長し孫もいるような年代のほとんどは、誰かが家で死ぬことを経験していない。わたしたちは「誰かを家で看取らなくなって三世代目」である。三世代目なので、ここを過ぎると、おそらく世代の記憶は消失する。

 団塊の世代が高齢化して、老人向けの施設が足りなくなるとか、超高齢社会で介護の担い手が足りないとか、政府は家族に介護を押しつけようとしているとか、いろいろな議論があるとは思うが、二〇一〇年代に、五〇代くらいの世代が誰かを看取る経験を家でしていかないならば、おそらくは、この「誰かを家で看取る」経験はこの国の人たちの記憶から消失し、マタギの仕事とか、伝統織物の織り手とか、渡しの舟の漕こぎ手のように、そのからだにしみついた技が失われることになるのであろう。

 であるとすれば、十分ではないながらも、わたしたちの世代はこの経験を引き継ぐ覚悟が必要な気は、する。まあ、そんな大きな話は、後づけにすぎない。わたしが語りたいのは、わたしが夫を家で看取った、という個人的な経験である。

* * *

 きわめて私的なことでありながら、静かな感動と、いくつもの大きな問いを投げかける三砂さんの体験を、ぜひ本書『死にゆく人のかたわらで―~ガンの夫を家で看取った二年二カ月』でお読みいただけると幸いです。

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死にゆく人のかたわらで

 「末期ガン。余命半年」の宣告。「最後まで家で過ごしたい」と願った夫と、それをかなえたいと思った妻。満ち足りて逝き、励まされて看取る、感動の記録。

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三砂ちづる

津田塾大学国際関係科教授、作家。1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。京都薬科大学卒業。ロンドン大学Ph.D.(疫学)。母子保健・国際保健の疫学専門家として、約15年にわたりブラジル・イギリスなどで研究。2004年刊行の『オニババ化する女たち――女性の身体性を取り戻す』(光文社新書)がベストセラーに。その後も、妊娠・出産・子育て・家族・身体の知恵などをテーマとした著作多数。近著に『女が女になること』(藤原書店)、『女たちが、なにか、おかしい』(ミシマ社)などがある。

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