「神奈川沖浪裏」「北斎漫画」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、ジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した、気鋭のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。(前回まではこちらから)
北斎はいつ”復活”したのか
改めて北斎の誕生からジャポニスム、そして今日の北斎の有り様を振り返ってみると、多くの疑問が残ることも確かだ。
ジャポニスムは長崎の出島に出入りしたオランダ人やヨーロッパに輸入された陶器の緩衝材から種火がつき、19世紀末のパリ万博で広がったことはわかった。けれどヨーロッパの美術愛好家を熱狂させるには、輸入される浮世絵の量と質が必要だ。誰かが組織的に浮世絵を日本からヨーロッパに運ばなければ大きなムーブメントは生れ得ないし、世界の果てから自分たちの価値観で美術品を漁ってきてしまう西洋人のコレクショニズムの餌食になったら、浮世絵も他の日本美術も現在のような形では残っていなかったはずだ。
誰かがジャポニスムをプロデュースし、誰かが日本美術を体系的にヨーロッパに紹介したのだ。96年に発刊された飯島虚心の「葛飾北斎伝」のわずか2年後には、パリで当時の流行作家フェリックス・ゴンクール作の「北斎」が出版されている。二つを比べると、ゴンクール版の方が内容的にはるかに詳しい。遠くパリにあって、日本に来たこともないゴンクールが、なぜ詳細な北斎の評伝を著せたのか? ここにもプロデューサーがいたのではないか?
また日本でも、すでに述べたように明治維新期には北斎を含めたあらゆる浮世絵が、唾棄すべき文化として遺棄された。北斎の最晩年の肉筆画が残る長野県小布施でも、戦後長らく「あの絵は高井鴻山先生が江戸から来た誰かと描いた」と、郷里の英雄であり北斎を小布施に連れてきたと言われる鴻山の作品と思われていた。北斎の名は、ごく一部の人を除いて忘れ去られていたのだ。
なのになぜ、いつどうして、北斎の名は復活したのか? その理由は何だったのか?
そして最大の謎は、2017年、この年に期せずして世界各地で「北斎展」が開かれたことだ。5月からは大英博物館。10月からは大阪あべのハルカス博物館と上野の国立西洋美術館。ローマでも北斎展が開かれ、国内では太田記念美術館、名古屋市博物館等でも企画展が開催された。またジャポニスムという観点からは、上野の東京都美術館で「ゴッホ展~巡り逝く日本の夢」も開かれた。2年前の2015年にはパリで、2014年にはベルリンでも大規模な北斎展もあった。その前には大英博物館で春画展も行われ、大盛況となった。
なぜいま北斎なのか? 北斎の生誕や没後のアニバーサリー年でもないのに。
「北斎とジャポニズスム」展を企画した国立西洋美術館館長、馬渕明子はこう語る。
「私は約25年前からジャポニスムをテーマにした美術展を考えていました。今年開催したのは、私がここの館長に就任したから。よもや大英やハルカスが北斎展を開催するとは思っていませんでした」
「北斎展~Beyond The Mt.Fuji」を企画したあべのハルカス美術館館長、浅野はこう言う。
「私は大英博物館のキュレター、ティム・クラートと25年前から北斎の晩年に焦点を当てた展覧会をやりたいねと話していました。途中中断もありましたが、私がここの館長になったことでやっと実現できた。他の美術館の企画とは関係ありません」
つまり各美術館の話を総合すると、互いに示し合わせたわけではなく、アニバーサリー年でもなく、世界の美術界が期せずして北斎、あるいはジャポニスムに注目したことになる。
世界の美術界でも、北斎の人気は沸騰するばかりだ。17年春にはニューヨークのオークションで、「神奈川沖波裏」が1億円の値をつけている。当時約8000枚摺られ、現在も約200枚現存すると言われる浮世絵の値としては、破格だ。
なぜいま北斎なのか? 人は北斎に何を期待しているのか? その理由は何なのか?
数々の疑問を胸に抱えながら、私はヨーロッパを、国内を、右往左往することになった。
次回より、19世紀ジャポニスムを繙きます。
まずはモネと北斎から。4月21日公開です。ご期待ください。
知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
- バックナンバー
-
- 時は明治。東大のエリートはパリへ渡った
- シーボルトは北斎に会ったのか?
- 「国賊」と蔑まれ…天才画商の寂しい晩年
- オルセー美術館の奥に佇む日本人のマスク
- 80すぎたお爺ちゃんが250kmを歩いて...
- 江戸時代に「芸術」はなかった!? 欧米輸...
- ゴッホを魅了した北斎の「不自然な色使い」
- 世界中があの波のことは知っている
- 新しい感性はいつの時代も叩かれる
- ロダンが熱狂した日本初の女優
- 美を通して日本を飲み込もうとした西洋資本...
- モネと北斎、その愛の裏側
- モネの家は「日本愛」の塊だった
- 2017年最大の謎、「北斎展」
- 作品数は約3万4000点!画狂人・北斎の...
- 唐辛子を売り歩きながら画力を磨いた
- 北斎のギャラは3000~6000円だった
- 天才・葛飾北斎が歩んだ数奇な人生 その(...
- 「考える人」のロダンは春画の大ファンだっ...
- ジャポニズムが起きていなければ「世界の北...
- もっと見る