古い常識と新しい常識が混在する時代の違和感を集め、分析した文庫『モヤモヤするあの人~常識と非常識のあいだ~』。とくに、会社や仕事をめぐる働く現場の理不尽さにモヤモヤした気持ちを抱く人も多いのではないでしょうか? 著者の宮崎智之さんと労働社会学者の常見陽平さんが語りあった「モヤモヤ」問題を3回に渡ってお届けします。
(撮影:菊岡俊子)
「モヤモヤ」は今年の流行語になる?
常見 宮崎さんの新刊『モヤモヤするあの人』は、例えるなら、ゆっくり平泳ぎしている人みたいな本だなと思いました。ゆったりと泳ぎながら、深く息継ぎをして、また水の中に潜っていく。いい意味で深く、浅くが繰り返される本で、キャッチーな話題や切り口だと思ったら、データを示して深く考察したり、過去の雑誌を調べて、その起源や当時の様子を確認したり。視点も多角的なのもいいですね。モヤモヤにしっかり寄り添っている姿勢がとても素敵だと思いました。
宮崎 ありがとうございます。
常見 「モヤモヤ」という言葉は、今年流行るような気がしています。なかなか解決しない問題が世間を賑わせている世相を言い表していますよね。さらに言うならば、モヤモヤを解決することよりも、モヤモヤする感覚を持ち続けることこそが大切なんだ、ということが僕なりの問題意識です。
宮崎 SNSの投稿や生活の会話の中で、「モヤモヤ」という言葉を聞く機会が増えています。さまざまな社会問題や日常の違和感について語る際に、「モヤモヤする」という表現をする。イライラともムカムカとも違うモヤモヤってどういうことだろうと考えた時に、どうしても消化しきれない感情がモヤモヤという擬音に込められているのではないか、と思いました。その感情を言葉としてすくい取りたい、スルーせずにきちんと向き合いたいと思ったのが、本書を執筆した動機の一つです。
常見 モヤモヤが発生する理由は、世代間の対立だったり、時代の変化が激しかったりすることによって、さまざまな“常識”が共存していることにあると思います。僕らは今、こんなラフな格好で対談していますが、場所や場面によってはドレスコードなんてものがあるわけです。本書には、「スーツにリュックは失礼なのか?」という話題があります。あれなんかは、考え方や世代間の典型的なすれ違いですよね。
宮崎 常見さんは、「スーツにリュック」はどう思いますか?
常見 実は20数年前、元いたリクルートにスーツにリュックの先輩がいたんですよ。でも、彼の場合は、「この人はスーツでリュックだよな」と納得させるものを持っていて、当時のリクルートとしては珍しく海外赴任も多かったし、性格も尖っていたし。あの人はしょうがない、という空気がありました(笑)
宮崎 ちょっと違和感があるけど、キャラで押し通してくる人っていますよね(笑)
「非常識」ではなく、「異常識」の時代
常見 世代間格差だけではなく、世代内格差も広がっています。正規雇用と非正規雇用の問題だったり、大手と中小零細、都心と地方でもクラスタが分断されています。EXILEとジャニーズと吉本興業じゃないけど、ファンションも違うと行動様式まで変わってくる。だから、なかなかみんなが手をつなげない時代になった。そんなの時代に、宮崎さんのこの本が今出版されたのは、意味があることだと思います。
宮崎 ITの進化によって新しい“常識”が出てきて、それに反すると炎上することもあります。そう考えると、「これが、みんなの“常識”である」と言い切ることが難しい時代になってきていますよね。
常見 「非常識」ではなく、「異常識」という言葉を使ったほうがいいかもしれませんね。異なる常識がたくさんある。一方で、今ネットにはびこる二項対立的なことだとか、ウケることの目的化だとかには危機感を覚えています。異なる常識があった場合に、二項対立の図式を持ち出して、ばっさりと「こっちだ!」と断言する。そういうことができる人に、人気が集まるという現状があります。だからモヤモヤはモヤモヤのままで、ずっと直視していこうという宮崎さんの姿勢には共感するところがあります。
宮崎 僕は社会を見る目が、少し人とは違うなと自分で感じることがあります。すごくミニマムな思考しか出来ない。だから、モヤモヤとはある種の身体感覚みたいなもので、なんかモゾモゾする、体がむず痒いといった感じに近い。ときにはもっと主語が大きいことも書いてきたけど、やっぱり身体感覚から出た言葉じゃないと、うまく書けないというコンプレックスみたいなものがありました。
しかし、こうして自分の書いたコラムを文庫一冊にまとめる作業をしているうちに、だからこそ見えてくるものがあることに気がついたんです。一番敏感なセンサーである体が反応する、そこはかとない違和感。それが、社会や世間といったものにつながっているんだ、ということを実感できるようになった。
二項対立的な議論を乗り越えるには
宮崎 僕の好きな作家、批評家に吉田健一という人がいます。彼はあるエッセイで、人は「食うために働く」と言われているが、その「食う」という動詞が生活一般の漠然としたことを指している場合が多い、と書いているんですね。しかしそうではなくで、具体的に食べたいものを想像してみるべきだ、と吉田は言います。友人を3人呼んで、あそこの中華屋の出前を取りたいとか、生牡蠣をお腹いっぱい食べてみたいとか。観念的ではない、そういう肉体の感覚に注意深くいることが書く上で重要なのであって、日常的にそうでない人が仕事になると突然注意深くなるということはない、と指摘しています。
常見 面白い話ですね。
宮崎 そういう身体感覚みたいなものを、すくい上げて言語化するのが僕の仕事だと思っています。いろいろな二項対立がありますが、どっちが正しいかなんてことは言えないわけで。どっちにも言い分があるし、どちらにも正しい部分がある。それがモヤモヤということなのかもしれませんが、モヤモヤをまずは正面から受け止めることをしないと、どちらかが100%正義という極端なことになってしまう。僕には、二項対立的な議論は吉田の言うところの観念的な問題ばかりが強調されて、肉体が抜けているように感じます。
常見 本当に、その通りですね。モヤモヤを受け止めて言語化し、少しでも自分の中で消化しようと努力していくこと。それこそが、二項対立的な言説が流行する現在に必要なことだと、僕は思っています。
(中編につづく。6月15日公開予定です)
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