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世界史を動かした脳の病気

2018.07.14 公開 ポスト

1973年、田中角栄はマヒした顔面を世界にさらした小長谷正明(医学博士/国立病院機構鈴鹿病院名誉院長)

 1429年、ジャンヌ・ダルクは神の声を聞いて救国の戦いに参加した。だがその神秘的体験は側頭葉てんかんの仕業ではなかったか? 1865年の南北戦争終結時、北軍の冷酷なグラント将軍が南軍に寛大だったのには片頭痛が関係していた?
 世界の歴史を大きく変えたリーダー変節と、その元凶となった脳の病を、脳神経内科専門医の著者が世界の論文や文献をもとに解説した『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』(小長谷正明氏著・幻冬舎新書)。発売即重版となる大反響です。
 今回はその中から、昭和を代表する政治家・田中角栄の顔を歪ませた病気を紹介します。筆者の小長谷氏も同じ病に苦しんだことがあるといいます。

iStock.com/CAPTAIN_HOOK

政治家も顔が大事

 タレントは顔が大事なのはいうまでもないが、政治家でも同様だ。信頼感と好感を持たれるにはそれなりの良い面構えが必要だ。アブラハム・リンカーンは地方の政治家だった頃、「あなたのこわい顔では人気が出ない」と女の子に言われ、マイルドな表情にするためにあご髭を生やしはじめた。効果てきめんで、メキメキと人気が出て、ついに大統領になった。

 だから、政治家にとって、顔の筋肉がマヒして歪むことは第一級の危機的状況なのである。にもかかわらず、自らの職責を果たすべく、顔の歪みにひるまなかった総理大臣がいた。田中角栄である。彼の顔が歪んだ背景には何があったのだろうか?

あだ名は「コンピューター付きブルドーザー」

 田中角栄は、大正7(1918)年生まれで、第二次世界大戦後の昭和22(1947)年、29歳の若さで新潟県から衆議院議員として選出された。

 非常に行動的で弁がたつので、ズンズンと頭角を現し、10年後の昭和32(1957)年には39歳で郵政大臣に就任している。それまでの多くの有力政治家が高学歴の官僚出身で、手堅さはあるものの大胆な発想に欠け、また、目線が高かったのに対して、田中角栄の学歴は高等小学校卒業であり、庶民的だとして高い人気があった。

 昭和40年代の佐藤栄作首相による長期政権下でも、自民党幹事長や通商産業大臣といった要職をこなし、次期首相の座を巡って、福田赳夫外務大臣と、角福戦争とも呼ばれる激しい政争を繰り広げていた。

 持ち前の行動力は、鋭い勘と考え抜かれた戦略に裏打ちされ、「コンピューター付きブルドーザー」というあだ名がつくほどであった。当時のコンピューターは電子頭脳とも言われ、極めて高度な知的装置のイメージだったのである。

 そして彼は、若手官僚らの知恵と希望を結集して大胆な「日本列島改造論」を提唱し、それをまとめた本はベストセラーとなった。日本列島に新幹線や高速自動車道路網を巡らせ、工業都市を配置し、人と金と物の流れを巨大都市から地方に逆流させようというものであった。コンピューター付きブルドーザーの彼ならばやってくれるにちがいないと、日本中に熱気が走ったのである。

 昭和47(1972)年7月、自民党総裁選挙で紆余曲折の末に田中は福田を破り、庶民派宰相の誕生と、国民やマスコミは熱狂的に歓迎した。

 その頃、筆者は名古屋大学の学生だったが、豊臣秀吉生誕の土地柄か、新聞の一面大見出しが「今太閤の誕生!!」だったことを45年以上経っても覚えている。9月には電撃的に北京を訪問し、懸案だった日中国交を回復し、果敢な実行力を印象付けた。

 田中角栄首相は、政治家や経営者に多い行動的なA型性格で、心臓や脳の血管障害を起こしやすいタイプである。そして、郵政大臣の頃に病院で「汗っかきの原因は甲状腺機能亢進(こうしん)症のためだ」と言われ、薬とともにゴルフを勧められた。以後、これに病みつきになった。ゴルフ好きの政治家には実に好都合な運動療法の処方である。

 また、ストレスも強かったようで、首相になってからは血圧が200mmHgを超え、気を紛らわすためにウィスキーのオールド・パーをガブ飲みし、糖尿病も合併して、血糖値は300~400mg/dlもあったという。

総理の顔が歪んだ

 念願の総理大臣になった次の年の昭和48(1973)年秋、日本列島改造論による地価高騰やオイルショック(第四次中東戦争を契機とするイスラム側の産油国による戦略的生産調整)によるインフレーションのために、今太閤の人気は“今は昔の語り草”になっていた。

 日本経済のぐらつきを立て直すために、角福戦争で政権を争った福田赳夫を大蔵大臣に迎え入れ、手腕を発揮してもらう事態にまでなった。屈辱的なことであり、政権に逆風が吹きつけてきた。以前の闊達な角栄節は鳴りを潜め、いやがおうでも苦虫をかみつぶしたような顔つきになっていた。

 12月14日、参議院の予算委員会出席中に、本当に彼の顔が歪んでしまった。口が曲がって、答弁の言葉もうまく喋れない(*1)。顔の右半分が動かず、食べ物や飲み物がくちびるの右端からこぼれるようになった。顔面神経のマヒである。顔面神経は、顔の表情や目元、口元、おでこを動かす筋肉に、脳からの指令を送っている神経である。これがマヒすると、顔が動かなくなる。

 首相は1週間ほど入院して、頸の骨の脇に針を刺して薬を注射する、星状神経節ブロックの治療を受けた。

 星状神経節ブロックとは、その頃、一部で行われていた顔面神経マヒの治療法だ。星状神経節は頸の骨の脇にある自律神経の細胞集団で、ここをブロックして交感神経の働きを弱めて顔面や頸部の血管を広げて血流を増やし、マヒを治してやろうという理屈だ。しかし、効果がはっきりしない治療法で、現在ではあまり行われていない。

 注射は痛いばかりで、治らず、お気に召さなかったようだ。担当医だった耳鼻科のドクターが次のように言っていたという(*2)

「田中さんは痛がり屋で困りましたよ。注射をしても動いてしまうので、危なくって仕方がなかった。そして二、三回やって、退院してからは来られなくなってしまいましたよ。あの身体に似ず、気が小さいところがありますね。辛抱ができないのですよ」

口のひん曲がった総理が直面した反日デモ

 年が明けて昭和49(1974)年1月、東南アジア外遊を控えた田中総理の記者会見があった。テレビのニュースに映る首相は、医学生であった筆者にも診断がつく、典型的な顔面神経マヒの顔であった。弁舌が巧みなはずだが、くちびるの動きが悪く、また、口を開く度に、マヒした右側の口元や頬が、健康で力が強い左側に引っ張られて話しにくそうだった。

 周囲は、顔面神経マヒを理由に、反日デモが予想されるフィリピン、インドネシアなど東南アジア諸国の外遊を取りやめるように進言したが、田中は毅然として次のように言ったという。

「一番つらいのは俺だよ。口がひん曲がったこの顔を、世界中のテレビにさらされるんだからな。嫌だけれど、それでも行かなきゃいけないんだ」

 そう言って飛び立って行った彼を、訪問した各地で反日デモが待っていた。

 その後、田中総理の顔のマヒは少しずつ治り、表情も歪まなくなり、だみ声の早口の滑舌も回復して行った。が、その年の夏、起死回生の思いで積極的に遊説した参議院選挙も“金券選挙”と言われて惨敗し、さらに金脈や女性問題のスキャンダルが報道され、ついに、年末には退陣を余儀なくされた。

 そして、2年後の夏には逮捕され、ロッキード裁判と政争に明け暮れる不本意な日々を過ごすことになった。

筆者もひょっとこ顔に

 筆者も顔面神経マヒになったことがある。だから、この時の田中総理が蒙った不自由さや苦痛、心の動揺は、まさにわがことのように分かる。

 30代半ばのアメリカ留学中だったが、マヒが起こる2、3日前から、小学校低学年だった息子や娘の声がやたらと耳にガンガンと響いていた。

 マヒが起こる前日は唾液の分泌が悪くなり、口の中がざらついてクッキーが食べにくかったことを覚えている。耳の奥の鼓膜をピンと張る鼓膜張筋も、唾液の分泌腺も、顔面神経が支配しているのである。

 そして翌朝、歯磨きの時に、左の口元から水がこぼれるので気がついた。口をすぼめる口輪筋のマヒによる症状だ。ため息をつき、心を落ち着かせるために口笛を吹こうとしたら音は出ずに、尖ったくちびるが右側に寄ってひょっとこのような顔になってしまった。

 顔面神経マヒになって何が最もつらかったかというと、人前に出られない顔になったことだ。鏡を見てショックを受けた。脳神経内科医としての知識から、これは十中八九治るはずの病気だと自分に言い聞かせても、気分はどん底に落ち込んでいった。人に顔を見られるのが嫌で嫌でたまらなかった。

 他人が見て顔のマヒが分からなくなるまでの約半月間は、外出せずにアパートに閉じこもっていた。歪んだ顔を世界中にさらしてでも独自外交をするのだと外遊に出た田中首相には、強い精神力と義務感があったにちがいない。

 次に筆者が困ったことは、会話や食事などで口を開けた時に、マヒした左側が強い力で右側に引っ張られることである。なにかを喋ろうと口を開いた途端に、顔の半分がギュッと持っていかれる。美味しいものを食べようとしても同じことで、しかも、頬の内側を思い切り嚙むので、おやつや食事が苦痛だった。マヒした左側の口元を指で押さえると、引っ張られ方が少なくなり、いくらか楽になった。今思えば、テーピングで顔の筋肉を固定すればよかった。

 言葉は一応は喋れた。だが、マ行とパ行、それにファの、いわゆる口唇音は、息が漏れてうまく発音できない。マヒした側の目は閉じられなくなり、そのうち乾燥して痛くなって充血するので、いつも眼帯をしていた。が、今度は涙が漏れて、皮膚がかぶれて痒くなった。

 ほとんどの症例がそうであるように1週間目あたりが最悪だったが、幸い、その後すぐに快方に向かい、2ヶ月で完治した。それ以降、顔面神経マヒの患者さんを診察する時、筆者はひときわ厚い同情心をもって接するようになった。

原因はウィルスが顔面神経で暴れること

 顔面神経マヒは脳腫瘍や脳血管障害による中枢性のものもあるが、多いのは末梢神経性で、帯状疱疹によるものと、原因不明とされてきたベルマヒが大部分だ。

 帯状疱疹性のものは、子どもの頃に罹った水ぼうそうのウィルスが顔面神経の神経細胞の中に潜んでいて、なんらかの原因で免疫機能が低下した時に発症すると考えられている。耳介などに水疱ができて痛いのだが、近年はヘルペス・ウィルスに効果がある薬が使われるようになり、治癒率も上がっている。

 ベルマヒは、水疱も痛みもなく、長らく物理的なストレスが原因だろうと言われていた。現在では、口元などに水疱を作る単純ヘルペスのウィルスが関わっていると言われている。暑がりの田中首相は「タクシーの窓を開けていて顔に風が当たったからだ」と周囲に言っていたが、糖尿病による神経障害として顔面神経マヒも時折あるので、彼の原因はこれだったのかもしれない。糖尿病は免疫機能を低下させるので、ウィルスが活動しやすくなる。

 アメリカ留学中の筆者自身の発症は、精神的ストレスが引き金になっていたのかもしれない。コミュニケーションもままならない完全失語症状態で気分は不安定、心は鉛色だった。だから、ストレスで免疫力が低下したにちがいない。不顕性感染で、顔面神経節細胞の中で眠っていた単純ヘルペスかなにかのウィルスが暴れはじめたのだ。

 戦後の復興から高度成長が一段落した頃、田中角栄首相は顔面神経マヒを患いながらも、日本の独自外交を模索して東南アジアに飛び立って行った。歪んだ顔で外遊に出発するため飛行機のタラップを踏む首相の様子をニュースで見て、筆者は、総理大臣の職責の重さを思いやったものである。

*1─佐藤昭子著『私の田中角栄日記』新潮社、1994年

*2─三輪和雄著『病める政治家たち』文藝春秋、1996年

 

 

関連書籍

小長谷正明『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』

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世界史を動かした脳の病気

2018年5月刊行『世界史を動かした脳の病気 偉人たちの脳神経内科』の最新情報をお知らせします。

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小長谷正明 医学博士/国立病院機構鈴鹿病院名誉院長

1949年千葉県生まれ。79年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。専攻は神経内科学。現在、国立病院機構鈴鹿病院名誉院長。パーキンソン病やALS、筋ジストロフィーなどの神経難病を診断・治療する。医学博士、脳神経内科専門医、日本認知症学会専門医、日本内科学会認定医。最新刊『世界史を変えたパンデミック』のほか『世界史を動かした脳の病気』『医学探偵の歴史事件簿』『ヒトラーの震え 毛沢東の摺り足』『ローマ教皇検死録』『難病にいどむ遺伝子治療』など著書多数。

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