何年か前、とある国の機関で働いていた二十代の頃のことである。私は非正規雇用として期間限定で雇われていたのだが、そこは他にも同様の雇用形態の女性たちが多く雇われていて、華やかな職場だった。私のように結婚している者もいれば、まだうら若く清楚で美しい独身者も多く、私はそんな彼女たちとよく、ランチタイムに会議室に集まってお昼ご飯を食べていた。
ある日のことである。お昼の時間になり、いつものように会議室の丸テーブルに皆が集まって、お喋りをしていた。私も持参したお弁当を広げて何気ない会話を楽しんでいた、その時である。突然、私の二つ隣りに座っていた二十代前半の一番若い女の子が、「私、実は昨日、帰り道に変質者を見たんです…」と言い出したのである。
その場に居合わせた七、八人は突如として始まったその同僚の変質者事件の話に顔をこわばらせてシンとした。「やだー」とか「うそー」という悲鳴も上がった。まるで真夏の怪談が始まったかのように、その同僚は自身が昨晩体験した変質者との出来事を語り始めたのである。
「他にそんな経験した子いる?」
話がひと段落したところで、そんな質問がどこからか聞こえてきた。すると全員が即座に首を横に振った。「そんな経験、ないよねぇ?」と皆が顔を見合わせている。まあ、そんな経験、めったにないよね。私たちは笑い合った。「それにしてもひどい経験だったね」おのおのから被害者の女の子に対する労いの言葉があがり、それから話題が変わろうとしていた。変質者に遭遇するなんてことは、人生のうち、誰もが出来れば経験したくないことだ。
だけどそれから少し経ってからである。「そういえば…」と、違う同僚が口を開いた。「Aさんほどの体験ではないけれど…」と、先人を気遣う前置きを入れつつ、彼女は突然、遠慮がちに自身が経験したまた違った「変質者事件」を新しく話し始めたのである。「やだー」「うそー」という前と同じ反応が沸き起こった。似たような経験をした子がもう一人いたのか! 私たちは驚きながら彼女のエピソードに耳を澄まし、話の終わりには再び、各方面から労いの言葉が寄せられる時間となった。仲間の中に二人も被害者が居たということは許しがたい事実である…。
だけど、どうだろう。二人目の話が終わるやいなや、「そういえば私も…」と、また違う同僚が自身の「変質者事件」を語り始めたのである。やだー、うそー、労いの言葉…。その後はもう芋づる式だった。変質者の話題は尽きることが無く、一人が話し終わると、次の子が「そういえば…」と切り出すのである。胸を触られたという話、裸体で走り回る男を見た話。またある子は通勤ラッシュの中で朝日に照らされて光り輝くイチモツを見たというエピソードを披露し、会議室は大盛り上がりである。少し前に「そんな経験ないわよねぇ」と首を横に振っていた乙女たちである。私だって車の中からすれ違いざまに知らないオジサンから投げキッスされたことや、大学時代に暮らしていた学生寮にノゾキが出たことなどを必死に熱弁していた。そうして気が付くと、ランチタイムが終わる頃までには円卓に座っていた同僚の誰もが、一つ以上の変質者ネタを披露していたのである。
面白いことには、私たちは最初、全員が「自分はそんなひどい経験にあったことはない」と言って首を振っていたことである。私も「変質者に会ったことなんてない」と声高に叫んだ。だけどそんなことはなかった。私は変質者に遭遇して嫌な思いをした経験があったし、この会議室にいる同僚の全員が、同じような経験をしていたのである。語られた変質者ネタは、どれもが衝撃的なものばかりだったにもかかわらず、私たちは皆それらを(イチモツを見たことすら)忘却の彼方へと追いやっていたのである。
若い頃の性的なトラウマというものは、記憶の奥底に追いやられているということなのだろうか? だけどその日、勇気を出した一人の経験談をきっかけに、私たちの記憶の扉は次々に開かれ、たくさんの変質者たちが記憶の底から取り出されることになった。華やかな職場のお昼どき、女だけの秘密の花園で起きた、それはなんとも言えない珍事だった。
ウィスコンシン渾身日記 番外編
ひょんなことから、誰も知らないアメリカのウィスコンシン州マディソンで暮らすことになった。2015年から2017年の2年間、アメリカがオバマ政権からトランプ政権へと変わり、アメリカそのものが歴史的な変貌を遂げようとしている、ちょうどそんな頃の滞在だった。