人類の悲劇を巡る「ダークツーリズム」が世界的に人気だ。7月30日に発売された『ダークツーリズム ~悲しみの記憶を巡る旅~』(井出明)は、代表的な日本の悲しみの土地と旅のテクニックを紹介。今回は、旅で知る西表島の複雑に交錯した歴史の一部を抜粋してお届けします。
貨幣経済と「地域通貨」
内離島は、船浮の目と鼻の先にある島で、戦前はやはり炭鉱が存在していた。しかし、そこでの労働の悲惨さはすでに紹介した宇多良炭坑の比ではなかったようだ。内離島の炭田層はあまり厚さがなく、炭鉱労働者たちは這うように掘り進めなければならなかった。労働そのものの過酷さだけでなく、そこに出現した搾取システムは、これまた峻烈(しゅんれつ)を極めるものであった。もともと詐欺同然で本土や沖縄本島、そして当時日本領であった台湾などから集められた労働者は、口入れ屋(仲介事業者)の周旋によってこの島に辿り着く段階でかなりの借金を背負わされていた。
島に到着した人々は、その時をもって貨幣経済から隔離されることとなった。というのも、飯場では、その内部でのみ通用する地域通貨が使われており、炭鉱の労働者に対する賃金はこの制度に基づいて支払われた。島の売店では酒などを買うことができたが、その価格は相対的に高額であり、いくら働いても借金の元金は減らず、稼いだ金は日々の消費でなくなっていったそうだ。現地でのみ通用する地域通貨を使うということは、仮にその紙幣を握りしめて島を脱走したとしても、脱走先での生活が不可能になることを意味している。
現代では、地域通貨といえば、経済学の教科書でも取り上げられるように地域活性化の切り札のような紹介をされるが、こちらの例が示すとおり、搾取と隔離のために地域通貨が用いられた例もあることを忘れるべきではない。隔離のために地域通貨を用いた例は、ハンセン病療養所においても確認されており、東京の多磨全生園に隣接した国立ハンセン病資料館にはそうした展示がある。ハンセン病患者を社会的な意味で隔離する方法として、通常の貨幣とは交換不能な通貨を入所者に強制することで、外界との経済的なつながりを断とうとしたことが知られている。
マラリアと坑夫の恐怖
さらに、この炭鉱では、日本の他の炭鉱とは比べものにならない恐怖が渦巻いていた。それは、マラリアである。西表の風土病とも言えるマラリアに罹患(りかん)したために命を落とした坑夫は相当数に及んでいる。筆者は、夕張、いわき、田川、大牟田など数多くの炭鉱関連史跡を見てきている。そして、炭鉱には労働者を中心とした独特な文化が成立していたことも確認してきた。田川では、ユネスコの世界記憶遺産に認定された山本作兵衛の絵画が知られているし、大牟田では様々な労働歌が歌われていた。
先述の宇多良炭坑においても、歴史の流れの中で労働者の待遇改善が図られた時期があったが、こちらの西表炭坑では、まさに収奪と搾取が極限まで繰り広げられたと言ってよい。子供のような年少者まで働かされたが、地元の人々の厚情で脱走に成功し、九死に一生を得た元炭坑夫の述懐を読むと、死と隣り合わせの状況であったことが窺い知れる。
さて、ここまで話が進むと、内離島を訪れてみたいと思うのがツーリストの思いであろう。内離島は、今は無人島で誰も住んでいない。公共交通機関だけでは行けないが、白浜の船の待合所に西表炭坑の過酷な労働に関するパネル展示があり、これを熟読することで知識を得ることができる。目の前が内離島なので、その記述のリアリティは胸に迫るものがある。