生涯に一匹だけ犬を飼ったことがある。親に頼み込んで手に入れた、柴犬ベースの雑種の雌である。こげ茶色の毛並みにクロワッサンみたいな尾っぽがつき、鼻の周りだけが黒色をしたその子は、和風な顔つきとは裏腹に「ショコラ」と名付けられ、私が小学校五年生から社会人になるまで実家の裏口の前に放し飼いにされていた。初めてショコラが家に来た日、彼女はコロコロとして小さくぬいぐるみのように可愛かったので、私は一目でこの新しく我が家の一員となったショコラのことを気に入ったのを覚えている。あまりにも可愛いのでショコラと離れがたく、私は学校に行く途中で家まで戻ったこともあったし、率先して散歩にもよく連れて行った。
だけど、不思議なことにショコラは、全くと言っていいほど私に懐かなかった。クロワッサンのような尻尾は私を見ても嬉しそうに振られたことはなく、散歩に行ってもショコラは言うことを聞かない反抗的な犬だったのである。その上、私に懐かないばかりではなく、ショコラは年頃になるとよく脱走するような犬に成長した。散歩中、リードを落とした瞬間に脱兎のごとく走り去り、小一時間探し回るということも頻繁に起きたし、裏口に作った柵の鍵を閉め忘れると、ショコラは目ざとく逃亡した。そうして家を抜け出し、勝手に歩き回ったあと、ショコラは次の日のお昼前までにはお腹を空かせて自分で帰宅することがよくあった。そしてまた隙を見ては逃げ出すのである。あんまりにも逃亡するので、私たち家族は一人ひとりが柵の鍵の閉め忘れに細心の注意を払うようになった。リードを落としたり、柵の鍵を閉め忘れることさえなければ、ショコラは脱走することは出来ないだろうと思ったのである。
だけどそんなことはなかった。ある日、ショコラはついに、取り付けてあった柵の下の土を夜中に掘り、モグラのごとくその下を潜り抜けるという大がかりな脱走を敢行したのである。それは映画「ショーシャンクの空に」さながらの脱走劇だった。私はその数日前、ショコラの鼻の頭が汚れているのを発見し、不思議に思いながら丁寧に鼻の上に付いた土を拭ってあげたものだったが、まさかその時からこんな脱走をもくろんでいたとは思いもよらなかったのである。朝、空っぽの犬小屋と、柵のこちら側とあちら側に残された二つの穴を見つけて、私たち家族はとても複雑な気持ちになったものだった。夜中にコツコツと穴を掘り潜るなど、よほどの逃げ出したいという強い気持ちがあったのだろうか?
そしてその強い気持ちを表すかのように、ショコラはその日、夜になっても家に戻ってこなかった。
私は学校から帰ると、ショコラが行きそうな散歩コースを探しまわったが、ショコラはどこにも見つからなかった。次の日も、家の裏の犬小屋は空っぽのままだった。餌を置いていても、減っている気配はなく、その次の日も、やっぱりショコラはどこにも居なかった。一日、また一日と時間が経ち、「もしかして事故にでも遭ったのだろうか?」という予想が家族の間で真実味を帯びるようになってきた。ショコラの居ない我が家は物足りなく、私は悲しい気持ちになった。懐かなかったとはいえ、私なりにショコラを愛していたのである。
十日ほどが経ったころである。私は学校の帰り道で、ふと細い路地を楽しそうに横切るショコラに似た犬のフォルムを見たような気がして立ち止まることがあった。それはショコラと同じような背格好の茶色い犬の後ろ姿だった。路地の先には門構えの立派なとても大きなお屋敷があるのみである。だけど私は小さな希望の光を見た気がして、そのままその影を追いかけてお屋敷に近づいて行った。大きな門扉は鉄格子のような造りをしていて、どうやらその門の間を茶色い犬はすり抜けてお屋敷の敷地内へ入ったようである。
私は門に近づいた。と、犬の吠える声が聞こえてきた。見ると、立派な体格をした柴犬のような番犬が、お屋敷の前でこちらに向かって吠えていた。賢そうな顔つきをした育ちの良さそうなたくましい番犬である。それから、そんな逞しい番犬の周りを、嬉しそうに飛び跳ねている茶色い犬が見えた。見紛うことなく、それはショコラだった。ショコラは嬉しそうにその犬の周りを駆け回り、時々、番犬の近くに置かれていた銀の器に鼻を近づけると、我が物顔でご飯まで食べていた。ショコラは、私が心配して途方に暮れていた十日間、この立派なお屋敷で、この逞しい番犬と共に可愛がられていたのである。
「あなたのワンちゃんだったのね」と言って、優しそうな老婦人が屋敷の門を開けてくれると、私は、突然ショコラがこの家にやって来て住み着いたのだという話を聞くことになった。なんという恥ずかしい犬!私は平謝りして嫌がるショコラを引っ張って家まで連れ帰ったが、そんな私の腕の中で、ショコラは怒って何度も暴れた。だけどついには力尽き、ショコラは悲しそうにお屋敷の方を見つめながら、大人しく我が家に戻ってきた。十日ぶりの我が家である。
もちろん、ショコラは不満そうだった。家に戻ってからも、ショコラは散歩の際にはすぐにこのお屋敷の方に行きたがったからである。いつも一目散にお屋敷の門まで行っては門の下から逞しい番犬の姿を見つけると、ショコラはちぎれんばかりにクロワッサンの尻尾を振って、門から離れようとしなかった。よほどこの番犬とのお屋敷の暮らしが楽しかったのだろう。クーンクーンと鼻を鳴らしながら、ショコラはいつまでも門の前で、もどかしそうに逞しい番犬のことを見ていた。
そして数か月後、ショコラは三匹の父親不明の子供を産んだ。もちろん、父親はあのお屋敷に住む彼である。生まれた子供たちの毛並みと利発そうな顔つきは、門の向こうからこちらを見ていたあの精悍な顔にそっくりだったからである。いったい誰に似たのだろうか? 私が生涯で一匹だけ飼った犬、ショコラ。彼女はとにかく、そんな犬だったのである。
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ウィスコンシン渾身日記 番外編
ひょんなことから、誰も知らないアメリカのウィスコンシン州マディソンで暮らすことになった。2015年から2017年の2年間、アメリカがオバマ政権からトランプ政権へと変わり、アメリカそのものが歴史的な変貌を遂げようとしている、ちょうどそんな頃の滞在だった。